コロナのニュースが中心の日々が続き、気持ちも

滅入る状況が長く続いているので、文字を連ねると

愚痴っぽくなると思い、更新していなかった。

もうそろそろ封印を解除しようと思って、久しぶりに

PCから書いています。

 

新型コロナウィルスが登場して、最初は正直

夏の暑いシーズンになれば少しは収まりがつくだろう

なんて、楽観的に考えていたが、やはりここまで長引いて

くると、医療機関の現場で必死で頑張っている人に限らず、

様々な場面でメンタルまで疲弊してくる。

これまでの非日常的な動きが「日常的な動き」に

変化しつつある「新しい生活様式」が浸透してきた。

*マスク着用

*手指消毒

*食事の時に「黙」などなど

 

言い換えれば、逆にそれだけを遵守していれば

コロナに羅患しない・・。という盲点も出てくる。

何より、重症の方割合のことを考えると、

致し方ないし、明日は我が身なので、しっかり真面目に

構えるのは当然のことだと思う。ただ・・ただ・・

 

人間はそれなりの共感が必要で、言葉や態度で

コミュニケーションをとる動物でもある。

その「人間」が「お互い向き合い食事をしながら喋る」という

行為そのものを制限されたら、ストレスが溜まるに決まっている。

いつも思うが、制限ばかりされたら、鬱憤が溜まり、どこかで

爆発する。シンプルに素直に爆発できる年齢はとうに過ぎてしまった

大人がそのストレスをどこで発散させるか・・・・。

 

今回、コロナの影響は思いも寄らない場面にまで浸透している。

毎日、メンタルが凹んでいる人や発達障害の子どもと接していると

一生懸命、自分たちの気持ちや考えが今以上に凹まないように

工夫して頑張っている様子が伺える。それに励まされる自分もいて

新しい生活様式の中でも明るく笑いながら頑張っている。

 

あるお母さんの話。

コロナが流行し、お店を経営していた友人がお店を閉めることになり

自殺未遂をしたという。そのご友人は一命は取り留めたが、もう

何もかも嫌になった。といっていたから、

 

 そのお母さんは友達だからこういったそうだ。

 

「お店があかんなったくらいで死のうなんで甘い。自分勝手に

死ぬって決めたんやったら、臓器移植待っている人に全部使えるところ

あげるって約束してから死んだらええんや。」って

 

自殺未遂したそのお友達は、今頑張って仕事を探しているという。

コミュニケーションの動物が必要なのは、一緒に食事をするという

ことだけではなく、LINEでもメールでもZOOMでも、どんな方法を

使ってでも、人間らしいホンネを言える相手とコミュニケーションを

とる事だと私は思っている。ホンネが言えない若い世代の子どもは

もっと疲れているかもしれないな。

 

私は戦争経験者ではないが、戦時下に生きていた人たちは

もっと激しい「制限下」にいた。まだまだ自分たちは贅沢だと

思う時がある。食べるものはあるし、買いにいけないわけではない。

だから、コロナのせいで今の生活環境がコロッと変わっても

命だけは大事にしてほしい。

毎日、1日1日を精一杯に生きる事。それだけを伝えたくて

毎日、患者さんと向き合っている。それが私の仕事。

 

今を一生懸命に生きるしかない。煽られそうになるニュースは

見る時間がないのでちょうどいい。 

朝風呂と一日の終わりのお風呂。時々、愛犬が入ってくる。最近は

それが幸せと感じるようになってきた。コロナ禍基準のせいだと思う。

小さい幸せの数を増やすことが今の楽しみ。

 

(下手な編み物・自分用に編んでみる小さい幸せ)

 

(美味しい団子を見つけて、それに合うお茶を探す小さい幸せ)

 

(Hot dog bedの中でウインナーになるEmmaさんを見る幸せ)

 

小さい 小さい 自分だけの幸せを見つけるのは続く・・・・。