日々気になる モノ 人 ナドナド -7ページ目

日々気になる モノ 人 ナドナド

気になること や 日々のこと

という言葉が私の最近のブーム。



囚われる 捕われる 捉われる



奪われるにも似てる気がするけど、



どちらかというと後者よりも前者のほうがあんまりよいことに使われない気がする。



そのことに気持ちが言ってしまう。



例えば、悪いこと。怖いこと。恐れていること。悩み。



それに、捉われる。



もしかしたら、失敗するのではないか、落ちるのではないか、

病気になってしまうのではないか。このままではないか。



捉われるって言葉は、実際に現実的に起こる事態に

たいして使われることも多々あるけど、



実際は人の心というか、思ってる出来事に多い気がする。



全ては自分の不安に捉われる。





もしかしたらこの仕事は向いてないんじゃないか、

就活が世間的にうまくいってないと言われているからこの会社も落ちるのではないか

このまま病気で倒れてしまうのではないか

私が悪いからこんな人生ではないのか

こんなことになってしまうのはどうしてか

何かが悪いのではないか

どうしてこんなことが起こってしまうんだろう



全てのものに対して不安や猜疑心に満ちてしまって

物事がうまくいかないのではないかと、



自分自身が捉われる、陥る。

それに洗脳される。



そうすればそうするほど、物事はうまくすすまなくなって

イメージは悪くなる一方で、イメージした自分に捉われる、また。



もっとどんどん負のスパイラルにはまっていく。

貶められる。自分自身の考えに。



もっともっとうまくいくはずなのに、どうしてその枷がはずれないのか。

捉われている自分自身。



もがけばもがくほど、深みにはまる。



そんな体験を私もするし、誰でもするし、一番わかりやすく

いってしまうもの。



捉われているという心は自分が勝手に思い浮かべているソース。

簡単に、思い描ける。



その辺にどこにでも転がっている自己啓発シリーズのように語るものではないけれども。



私は大丈夫、うまくいく。きっと大丈夫。

この先には新しい何かが待っていて、それに向かって自分はうまくあるいていける。



そう信じていればそうなれるのに、



何かに捉われて、つらくなっている自分がナルシスト的に好きで

そうなってしまう人が、いる、気がする。



それは自分自身の心が思い描いてそうなっていると、気づく人は

うまくやれるんだろうか?



クエスチョンマークを描く時点で、私も何かに捉われている。

何か、ではなく自分自身に。



おそらく。