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昨日,WebSig24/7のモデレーターMTGを開催して,コミュニティのことやこれからのWebSig24/7のことなどをみっちり2時間半ほど話しました。

きっかけは先日のTechLION vol.25。ここでの和田さんのセッション内容から。

概要はこちらをご覧ください。

コミュニティに参加することは、個人と組織の未来の関係を先取りすること~TechLION vol25プレゼン後
http://www.ini.co.jp/blog/2016/04/techlion-vol25-after.html

こちらで話していただいたように,コミュニティとは機能体でもあり共同体でもあるということ。これはTechLIONで聞いたときもなるほどと思いつつ,昨日,改めて話していて,より解釈できました。

で,じゃあ,WebSig24/7ってなんだろ?という議題については,結論としてはまとまらずw これはこれとして今後も継続してみんなで話し合っていくことだと思っています。

■ネット上でのマッチング
その中で昨日の会議で出てきた「ヒトとヒトとの出会いって,これだけネット(インターネット)が普及しても難しい」という和田さんやえふしんさんのコメント。

かいつまんで話すとプレゼンスの高いヒト(表現力のあるヒト)は見つけやすいけど,そうではないヒトは,そもそも存在するかどうかがわからない(≒見つけられない)という議論。この議論について,僕はまだ自分事の課題としては捉えられていなくて,これについては,詳細はまたモデレーター内で議論してみたいです。今回のエントリは,その議論から「自分にとってのコミュニティとネットワーク」について考えたことをつらつらとまとめてみます。

■前提としてのネットワーク
「コミュニケーション」なり,「マッチング」なりというのは,自分と相手というように複数人(複数の接点)が必要なので,その意味では,前提としていかにネットワーク(ここで言うネットワークはインターネットではなくてつながりの意味))を広げられるかがポイントなんだと思います。広げ方は,ヒトづてだったり,会社づてだったり,テレビや新聞といったメディアづてだったり,リアルイベントづてだったり。インターネットが普及しようがしまいが,ネットワークのパスを増やしていくことが最も大事なんだと思います。

いわゆるメトカーフの法則(ネットワークの価値は,それに接続する端末や利用者の数の2乗に比例する)が表していることです。逆に言えば,そのネットワークの価値を求めなければそもそもパスを増やす必要はないわけです。

それでも,自分がネットワークの価値を享受したい,高めたいとなったとき何ができるんだろう……と自問して,今の段階で考えたのが「つねに自分自身がネットワークの中に意識的に入っていること」なのかな,と思いました。その1つの形が「コミュニティ」という存在です。

一方で,ここ数年すごく自分自身で感じることで,自分で使える時間は24時間365日だし,自分で処理できることには限界があるし,年々処理能力が(さまざまな要因で)衰えてるし……ということ。となると,無尽蔵にネットワークのパスを増やすと,今度はそこに自分自身が追いつかなくなるんではないかという怖さです。

■コミュニティとネットワーク
今のような情報およびさまざまなヒト・モノ・コトが肥大化している時代,かつ,物質的豊かさの魅力が(少し)残っている時代,「取(得る)」はポジティブに捉えられがちな反面,「捨(失う)」はネガティブに考えがちなので,だからこそ,増やすだけではなく,減らす(≒バランスを取る)もセットで考えなければいけない,いわゆる「取捨選択」の大切さを思いました。たとえば,惰性で続けることの悪い面ってまさにこの「捨(失う)」ができないことですしね。

余談ですが,昨今,失敗が受け入れがたい世の中に見えるのは,この「捨(失う)」の意味の履き違えに起因しているんじゃないかなと思ってます(話が飛躍してますがw)。


かなり抽象度が高いですが,いずれにしても,こういったことをまとめられたのが昨日のMTGで良かったことですし,改めてWebSig24/7に僕が参加する(自分にとっての)主体的な意味が改めてあるなと思いました(余談ですがWebSig24/7では毎年年始に拡大版MTGをやっていて,そこでいろいろとコンセプトのすり合わせをするのですが,今年は開催しませんでした。来年はやっぱり開催したいところですw)。

WebSig24/7しかり,TechLIONしかり,それこそ会社しかり,機能体,共同体いずれの形のコミュニティだとしても,前提となるネットワークとその価値,その中にいる自分の意味,その先にあるパス,そこから生まれる価値っていうのは,つねに意識しておきたい次第です。

ps
このあたりを自分なりにもうちょっと咀嚼しつつ,またいろいろ考えたいのは,コミュニティなりネットワークなりにいる自分を意識する(表現する)必要性・必然性ですかね~。僕は今のところ必要性・必然性があるとは思っているのですが。それは必ずしも主体的な意識でなくても良くて。

この辺についての考えが出てくると,先ほどのプレゼンスが弱いヒト・モノ・コトとのマッチングに対しての何か応えというか,ヒントが見つかるようにも思いました。

<追記>
そもそもとして「ネットワークに価値がある」って思えるようになったのは,これまでの自分自身の経験値なので,この点は本当に人それぞれで,定量化も定性的な表現も難しいなとは思っています。もしその価値について教えてほしいと聞かれたら,最初の一歩を踏み出して(参加するなり行動するなり自分の頭で考えたあと,体験してから)判断できるかどうか,かな,と。

この「変化する価値を表現すること・伝えること」=「世代の壁を越えること」にもつながるかな~と漠然と思ってます。