この日付に,この「“3月11日”という日」というタイトルでブログを書くのは5回目です。あの日から5年が経ちました。

昨年の3.11~昨日までの1年間,何度か東北に足を運びました(青森×1回,秋田×1回,福島×2回)。

昨年の東北六魂祭は秋田での開催。「さらに前へ」という言葉とともに。

初めて灯が点った秋田での東北六魂祭,さらに前へ

3.11を意識したということではこちらの企画にも参加いたしました。

復興バー@銀座に行ってきた

5年。けっこうな時間です。

この間,日本という視点で見ても,世界という視点で見ても,多くの変化がありました。そしてもちろん被災地も。

それでも,被災した場所に関しては,復興あるいは再興してきている場所もあればそのままの場所もあったり。また,原発のように課題として残っている場所もあります。


自分自身の5年を考えてみると,まず,歳を取りました。あたりまえですが。30代だったのがついに40代に入ったんです。40歳になったときにもブログで書きましたけど,40代に足を踏み入れたのが自分の中でとても大きな変化でした。

そういう感覚を持つ5年間で,実際に自分としてどのような変化があったのか。

東日本大震災が起きたから変わったと言えること。それは,東北という場所への意識を強く持つようになったこと,また,そこから日本という国について考えるようになったことです。つい先日もこのブログで「日本の人口減少とネットコミュニティとアクティブ率」というタイトルで記事を書きました。多かれ少なかれ東日本大震災にも(気持ちの中で)紐付いています。

このように,今まで意識していなかった特定のコト・モノ・ヒトについて考えるようになったのは自分にとって大きな変化ですし,この変化が今の自分の生活や行動にもつながっているように思っています。実際,東北へ足を運ぶ回数が増えています。また,仕事で東北方面とのつながりが生まれたりもしています。

5年

なんでこんなことを書いたかというと,つい先日(3月7日)に,Googleが開催した「震災から5年 未来への記憶,未来への学び」に参加し,女川町で被災した方のコメントを聞いたから。

「よく(東日本大震災のことを)忘れちゃいけないって言葉を耳にするんだけど,実際に被災した身としては忘れなきゃやってられないこともある。次にも進めなくなっちゃう」

このコメント,すごく重かったです。そして改めて自分の中で内省しました。「意識しすぎないこと」について。

先ほどの女川の方のコメントを聞いて「そうだよな」と思う自分と,「そうは言っても」と思う自分がいて,これがまさに5年というタイミングでの変化だなと。2011年3月11日,震災当時・直後の,あの(説明できない盛り上がりがあった)独特の緊張感とは違う感情。

震災当日,東京で暮らしていた身としては,直接被災していない自分というのはつねにあるわけで,それでも,改めて考えて行動したいという想い。何かにつながるんじゃないかという想い。なんで行動したいのか。そういう気持ち・意識が明確に生まれたのが2016年の3月11日でした。


過去4回,この日にこのタイトルでブログを書いてきた一番の理由は,自分の中で東日本大震災を風化させてはいけないという強い想いがあり,今日もまたその想いとともにブログを書いています。

しかし,風化させないだけではなく,さらに時間の経過とともに生まれる,自分と周辺の変化とどう向き合って,未来に向けて,どのように考えて行動するか。5年経った今,そう考えるようになりました。

まだまだ続く復興・再興に向けて必要なことは何なのか。

そして,もしかすると,また起きるであろう大きな震災あるいは天災,人災。

そういうことに向けた心構えとして,この日を意識しながらも,無意識のうちに固執しすぎないようにすること。そんな気持ちでまた来年,再来年の3月11日を迎えたいです。そして,毎年この日に自分の気持ちを整理してブログを書こう。

月日の経過とともに,また,一歩ずつ,前に進めますように。


2014年3月14日 11:54 追記:

think.1446.jpに参加登録しました。

think.1446.jp
http://think.1446.jp/