いやー,毎日暑い。ほんとうに暑いですね。
そんな中,横浜みなとみらいにある日本新聞博物館に行ってきました。
![トップ](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/cc/48/p/o0600045013387870348.png?caw=800)
日本新聞博物館
http://newspark.jp/newspark/
こちらの博物館,オープンは2000年で今年で15年目。そして,この8月9日で一旦閉館してリニューアルするとのこと。それでは行かねば!と,初めて行ってきました。
こちらは日本新聞博物館の外観。
![博物館外観](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/ad/1b/p/o0600045013387869762.png?caw=800)
ちなみにみなとみらい線日本大通り駅直結で,このエスカレータを上がったところすぐに入口があります。
![日本大通り駅](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/ff/a5/p/o0600045013387869761.png?caw=800)
ここを抜けて。
![博物館中](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/5a/f2/p/o0600045013387869760.png?caw=800)
エスカレーターで2Fに上がると到着です。
![博物館看板](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/41/e5/p/o0600045013387869764.png?caw=800)
きっかけは女優・作家 中江有里さんのFacebookのポストでした :-)
■企画展『孤高の新聞「日本」』展
まずは企画展から。リニューアル前,最後の企画展『孤高の新聞「日本」』です。
![企画展](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/cf/8c/p/o0600045013387871152.png?caw=800)
この展示では,明治時代に独立系新聞として立ち上がった「日本」について,その立ち上がりの背景や展開,そこに関わったさまざまな人たちに関する展示が行われていました。
社長兼主筆となった陸羯南に関する展示を中心に,その後入社し,日本の文学欄の発展に大きく貢献した正岡子規に関するものが多数展示されており,面白かったです。とくに正岡子規に関してはこの4月,初めて愛媛に行ったときに,正岡子規ゆかりのの・ボールミュージアムを訪れたこともあって,より興味が深まった感じです。
ちなみに当時の日本にとって新聞はまだまだ最新のメディア。そして,新聞立ち上げのときは庶民向けというよりも,国・政局と大きく関わることが前提でもあり,情報発信に対してとても強い制限のある時代でした。
とくに明治時代はまだまだ言論統制が厳しく,当然ながら新聞に掲載する情報に対して,国からの制限が大きかったのです。
そのため「日本」は何度も発行停止処分を受け(合計131日間分),そういった中,独自の情報を庶民に向けて発信するものでした。
こうした状況に対して「明治時代の新聞社はベンチャーだった」という表現を見かけて,なるほど!と思うと同時に,今のようにインターネットが発達して,誰もがそこそこ自由に何かを発信できる時代とは本当に違う環境だったと言うことを改めて感じました。
それと,かの有名な正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」という句は,この日本に掲載されたのが初出だったそうです。
この「日本」は1889年(明治22年)2月11日に創刊し,1914年(大正3年)12月31日に廃刊するまで,この日本における新聞という産業・文化に大きく影響を与えたものだというのを知ることができました。
今のこの新メディア時代において,通ずるところ,ありえないところなど,とても刺激を受ける内容でした。
■常設展『新聞の歴史』
さてさて,企画展だけでも十分楽しめたのですが,この日本新聞博物館,常設展もかなり面白かったです。
こちらは,日本の新聞の歴史を,瓦版以降~現在の様子までを時代とともに解説してくれるもので,仮にもメディアに関わる身としては,観て良かった!と思わせてくれるものでした。
![常設展入口](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/47/82/p/o0600045013387869763.png?caw=800)
入口を入ってすぐにあるのがこれ。マリノニ型輪転機です。1890年に日本に入ってきた機械で,日本最初の輪転機(印刷機械)でした。
これを開発したマリノニさんは,パリ生まれの,紙型鉛版方式輪転機の製造者として有名とのこと。ふむふむ。
![中1](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/4d/10/p/o0600045013387870349.png?caw=800)
そして,明治以降の新聞のことについて。先ほどの企画展のときにも触れましたが,新聞が生まれた当時,国・政局と大きく関わるものが多い中,庶民向けの情報を発信する新聞も生まれてきて,それが今の朝日と読売の全身となっているそうです。
ちなみに,元々あった新聞(国・政局)を大新聞,庶民向けになった新聞を小新聞と表現していたとのこと。
これは読売新聞の第1号の複製。もうこのときから新聞の体をなしてますねー。
![中2(読売)](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/44/d8/p/o0600045013387870351.png?caw=800)
そして,大正,昭和に入っていくにつれて新聞製作自体が機械化されていきます。こういうのを見ると,情報配信と技術の革新というのが大きく関わっていることを改めて知ることができますね。
![中3](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/52/8a/p/o0600045013387870352.png?caw=800)
これは1ドルが308円に切り上げなったときに出た号外。1971年だからまだほんの44年前。僕が生まれる4年前か。
![中4(見本)](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/db/4b/p/o0600045013387870350.png?caw=800)
ここまで来るとだいぶ現在の新聞製作に近いものに。コンピューターが導入されはじめました。
![中5](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/88/a7/p/o0600045013387871149.png?caw=800)
そして,日本が高度成長期を迎えるころには,新聞に掲載される情報が,政治・経済・文化と言ったものに加えて,広告(消費)に関するものが入ってきました。
![中6](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/1b/db/p/o0600045013387871151.png?caw=800)
個人的にこの説明は響いたな-。誤解を恐れずに言えば,今のネイティブアド云々とか,正直関係者だけが盛り上がっているだけだし,ニュースを出しているという気概で新聞広告を制作して配信することが大事なんだよね。うん。
![新聞広告](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/96/6c/j/o0600080013387872283.jpg?caw=800)
そして,平成以降の新聞について。取材と報道について,とくにインターネットが登場したことでさまざまなことが変わってきていることについて触れられていました。
![中7](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/ef/89/p/o0600045013387871148.png?caw=800)
かなり駆け足ですが,本当に見応えのある展示でした。残念ながら8月9日でいったん休刊して,リニューアルに入るとのこと。どういう形に生まれ変わるのか,また今から楽しみです。
こちらは休憩スペースにある椅子。活版印刷をモチーフに,漢字の部首の形をしています。おしゃれですね~
![休憩](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/b0/d6/p/o0600045013387871150.png?caw=800)
最後に改めて。
3.11のときにも少し感じたけど,新聞が持つ役割って言うのは時代時代でいろいろな要素があって,その中で,今のようにインターネットとスマホなどのデバイスだけで完結してしまう情報があったりする中で,紙・限られたスペースに,時間の制約と編集を盛り込んだ情報っていうのを知っている・見てきたという経験は大事だというのを感じました。
もしかしたら数十年後,あるいは数年後には今の形の新聞がないのかもしれませんが,それでも,いつの時代も情報への欲求が高く,その時代時代にあった情報伝達手段が生まれ進化・変化してきているという歴史があるんだ,ということを考えることができる場所でした。
そんな中,横浜みなとみらいにある日本新聞博物館に行ってきました。
![トップ](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/cc/48/p/o0600045013387870348.png?caw=800)
日本新聞博物館
http://newspark.jp/newspark/
こちらの博物館,オープンは2000年で今年で15年目。そして,この8月9日で一旦閉館してリニューアルするとのこと。それでは行かねば!と,初めて行ってきました。
こちらは日本新聞博物館の外観。
![博物館外観](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/ad/1b/p/o0600045013387869762.png?caw=800)
ちなみにみなとみらい線日本大通り駅直結で,このエスカレータを上がったところすぐに入口があります。
![日本大通り駅](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/ff/a5/p/o0600045013387869761.png?caw=800)
ここを抜けて。
![博物館中](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/5a/f2/p/o0600045013387869760.png?caw=800)
エスカレーターで2Fに上がると到着です。
![博物館看板](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/41/e5/p/o0600045013387869764.png?caw=800)
きっかけは女優・作家 中江有里さんのFacebookのポストでした :-)
■企画展『孤高の新聞「日本」』展
まずは企画展から。リニューアル前,最後の企画展『孤高の新聞「日本」』です。
![企画展](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/cf/8c/p/o0600045013387871152.png?caw=800)
この展示では,明治時代に独立系新聞として立ち上がった「日本」について,その立ち上がりの背景や展開,そこに関わったさまざまな人たちに関する展示が行われていました。
社長兼主筆となった陸羯南に関する展示を中心に,その後入社し,日本の文学欄の発展に大きく貢献した正岡子規に関するものが多数展示されており,面白かったです。とくに正岡子規に関してはこの4月,初めて愛媛に行ったときに,正岡子規ゆかりのの・ボールミュージアムを訪れたこともあって,より興味が深まった感じです。
ちなみに当時の日本にとって新聞はまだまだ最新のメディア。そして,新聞立ち上げのときは庶民向けというよりも,国・政局と大きく関わることが前提でもあり,情報発信に対してとても強い制限のある時代でした。
とくに明治時代はまだまだ言論統制が厳しく,当然ながら新聞に掲載する情報に対して,国からの制限が大きかったのです。
そのため「日本」は何度も発行停止処分を受け(合計131日間分),そういった中,独自の情報を庶民に向けて発信するものでした。
こうした状況に対して「明治時代の新聞社はベンチャーだった」という表現を見かけて,なるほど!と思うと同時に,今のようにインターネットが発達して,誰もがそこそこ自由に何かを発信できる時代とは本当に違う環境だったと言うことを改めて感じました。
それと,かの有名な正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」という句は,この日本に掲載されたのが初出だったそうです。
この「日本」は1889年(明治22年)2月11日に創刊し,1914年(大正3年)12月31日に廃刊するまで,この日本における新聞という産業・文化に大きく影響を与えたものだというのを知ることができました。
今のこの新メディア時代において,通ずるところ,ありえないところなど,とても刺激を受ける内容でした。
■常設展『新聞の歴史』
さてさて,企画展だけでも十分楽しめたのですが,この日本新聞博物館,常設展もかなり面白かったです。
こちらは,日本の新聞の歴史を,瓦版以降~現在の様子までを時代とともに解説してくれるもので,仮にもメディアに関わる身としては,観て良かった!と思わせてくれるものでした。
![常設展入口](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/47/82/p/o0600045013387869763.png?caw=800)
入口を入ってすぐにあるのがこれ。マリノニ型輪転機です。1890年に日本に入ってきた機械で,日本最初の輪転機(印刷機械)でした。
これを開発したマリノニさんは,パリ生まれの,紙型鉛版方式輪転機の製造者として有名とのこと。ふむふむ。
![中1](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/4d/10/p/o0600045013387870349.png?caw=800)
そして,明治以降の新聞のことについて。先ほどの企画展のときにも触れましたが,新聞が生まれた当時,国・政局と大きく関わるものが多い中,庶民向けの情報を発信する新聞も生まれてきて,それが今の朝日と読売の全身となっているそうです。
ちなみに,元々あった新聞(国・政局)を大新聞,庶民向けになった新聞を小新聞と表現していたとのこと。
これは読売新聞の第1号の複製。もうこのときから新聞の体をなしてますねー。
![中2(読売)](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/44/d8/p/o0600045013387870351.png?caw=800)
そして,大正,昭和に入っていくにつれて新聞製作自体が機械化されていきます。こういうのを見ると,情報配信と技術の革新というのが大きく関わっていることを改めて知ることができますね。
![中3](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/52/8a/p/o0600045013387870352.png?caw=800)
これは1ドルが308円に切り上げなったときに出た号外。1971年だからまだほんの44年前。僕が生まれる4年前か。
![中4(見本)](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/db/4b/p/o0600045013387870350.png?caw=800)
ここまで来るとだいぶ現在の新聞製作に近いものに。コンピューターが導入されはじめました。
![中5](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/88/a7/p/o0600045013387871149.png?caw=800)
そして,日本が高度成長期を迎えるころには,新聞に掲載される情報が,政治・経済・文化と言ったものに加えて,広告(消費)に関するものが入ってきました。
![中6](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/1b/db/p/o0600045013387871151.png?caw=800)
個人的にこの説明は響いたな-。誤解を恐れずに言えば,今のネイティブアド云々とか,正直関係者だけが盛り上がっているだけだし,ニュースを出しているという気概で新聞広告を制作して配信することが大事なんだよね。うん。
![新聞広告](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/96/6c/j/o0600080013387872283.jpg?caw=800)
そして,平成以降の新聞について。取材と報道について,とくにインターネットが登場したことでさまざまなことが変わってきていることについて触れられていました。
![中7](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/ef/89/p/o0600045013387871148.png?caw=800)
かなり駆け足ですが,本当に見応えのある展示でした。残念ながら8月9日でいったん休刊して,リニューアルに入るとのこと。どういう形に生まれ変わるのか,また今から楽しみです。
こちらは休憩スペースにある椅子。活版印刷をモチーフに,漢字の部首の形をしています。おしゃれですね~
![休憩](https://stat.ameba.jp/user_images/20150806/17/tomihisa18/b0/d6/p/o0600045013387871150.png?caw=800)
最後に改めて。
3.11のときにも少し感じたけど,新聞が持つ役割って言うのは時代時代でいろいろな要素があって,その中で,今のようにインターネットとスマホなどのデバイスだけで完結してしまう情報があったりする中で,紙・限られたスペースに,時間の制約と編集を盛り込んだ情報っていうのを知っている・見てきたという経験は大事だというのを感じました。
もしかしたら数十年後,あるいは数年後には今の形の新聞がないのかもしれませんが,それでも,いつの時代も情報への欲求が高く,その時代時代にあった情報伝達手段が生まれ進化・変化してきているという歴史があるんだ,ということを考えることができる場所でした。