今日はコミュニケーションの変遷とそれについて思うことについて書いてみます。

■コミュニケーションの変化
コミュニケーションは僕が生きてきた,この40年弱の間で見てもすごく変わってきています。とくに「情報」「場」「ツール」の観点で。

僕が小学校の頃(1980~80年代中盤)を振り返ってみると,周囲とのコミュニケーションといえば,友だちとは「学校という場」での会話,そして,電話(アナログ)が中心でした。それから,中学・高校になってもそれはほとんど変わらなくて,強いて言えば,「場」の部分が,学校以外の繁華街に広がったぐらいでしょうか。あとは塾とか。このあたり,本質的には

・直接的な会話
・電話を通じたリアルタイムの会話

だけでした。「場」や「ツール」という観点では大きな変化はなく,「情報」という観点で会って話すか,電話で話すかというものでした。

それが大学に入った1993年,僕の母校芝浦工大では入学直後からインターネットを使える環境が用意されていて,メールやWeb,いわゆるインターネットを使った,デジタルのコミュニケーションができるようになりました。今までととくに違ったと感じたのが,

・タイムラグのある双方向コミュニケーション

です。

手紙やFAXでもそうしたことはできたと思いますが,当時のメールやWebによるコミュニケーションは,(相手方・自分方の接続状況により)リアルタイムではなく,ある程度のラグがある状態でのやりとりがけっこう活発に行えました。さらに,たとえば海外の知人とのメールだったり,中高時代の友だちとのメールなんかは,今いる「場」から違う「場」に入れるワクワク感を感じたのを覚えています(このワクワクっていうのは,当時はまだそれほど一般化していなくて,使える人の勝手な特権感覚にも起因していたと思います)。

そして,携帯電話の登場。とくに1999年のiモード登場以降は,

・リアルタイム通話
・インターネット通信

による,音声と文字と画像(当時はまだ映像はそれほどなかった)という複数の素材が交じり合ったコミュニケーションが増えたと思います。中でも,リアルタイム通話が,24時間/365日行える環境が用意されたことが大きかったなと。たいがい僕と同じ世代が話すネタにある「中学時代の異性の家に電話をかけるときは,あらかじめ時間を決めて家族に取られないようにする」的な,時間的制約に対する意識の壁がなくなったのです。

これがちょうど社会人になった年でもあったので,「場」の変化とともに,「情報」の質と「ツール」の大きな変化が起きた時期でした(余談ですが,僕はおそらく同世代に比べると携帯電話を持つのが2,3年遅かったのでこういうタイミングになりました)。

それでも,コミュニケーションの対象となる相手は,あらかじめ自分が知っている(認識している)人がほとんどでした。つまり,この当時までのコミュニケーションは,「情報」「場」「ツール」は異なっていても,相手がわかるケースが多かったように思います。

■ソーシャルネット登場以降
そして,2004年のmixiの登場。

ここで大きく変わったと感じたのが,「見知らぬ人」とのコミュニケーションの一般化。いわゆるソーシャルネットにおけるコミュニティ上のつながりです。これまでは「学校」「会社」といった限られた場でのコミュニケーションが濃くなりがちだったものが,ソーシャルネット上では,それ以外の要素――たとえば,同じ興味,同じ地域の居住など――つまり,選択肢が増え,さらに(見知らぬ相手との)出会い目的を含めた,不特定多数との共通の興味を核にしたコミュニケーションが増えたと感じています。

また,ソーシャルネットはインターネットの一部でもあるので,

・リアルタイム
・タイムラグ

のどちらのコミュニケーションも可能であり,かつ,インターネット上でのアーカイブができるようになったことで,これまであったフェイス・トゥ・フェイスや電話の会話とも違う,コミュニケーション体験が増えていった,と僕は感じています。

そして,ここ数年のLINEの登場。このブログでも何度か取り上げていますが,今度はスマホというデバイスを通じた

・ノンバーバル

なコミュニケーションが活性化してきたわけです。

長々と書いてしまいますが,この変遷を(健常者という前提のもとで)次のようにまとめてみました。

communication

とくに,ここ数年のソーシャルネット&スマホ登場以降は下の部分,

・チャット
・メール・掲示板
・メッセージング

の利用度が強くなってきているわけで,この分類で見ると,コミュニケーションのインターフェースが目(視覚)になってきていたんじゃないかと思ったわけです。

今後ますますオンラインツールが増え,デジタルでのコミュニケーションが多くなると仮定すると,視覚情報の重要性が高まるんじゃないかと考えています。

LINEのようなスタンプはもちろんのこと,活字の世界でも言えると思っていて。

たとえば,「漢字」「仮名文字」など,共通で認識できるはずの情報だとしても,そもそもその「漢字」「仮名文字」を知らなかったり,違う意味として認識していたら,「意思の疎通」が図れなくなるわけです。

たぶんこの延長線にあるのが,オンラインでのコミュニケーションの齟齬ではないかと考えています。言葉(や絵)の意味を知らないことに起因する場合もあるでしょうし,言葉や絵の使い方の温度感がそれぞれ違うことによる場合もあるかと思います。また,そもそも使っている人自身がいる場の違い(家なのか外なのか,家ならどこかなど),さらにはソーシャルネットのようにそもそも見知らぬ人とのコミュニケーションが一般化しつつあることが少なからず影響しているのではないかと。

このあたりについては,昨年末,takram academyさんのセミナーでもお話させていただいたのですが,興味範囲や育ってきた環境はもちろん,育ってきた時代でけっこう差が出るような気がしていて。その理由は,テレビ以降,インターネットの登場で,文字・活字・絵が表現する意味が多様化し,また,それを受け取る人たち自身の受け取り方が,大きく異なってきているように思うからです。

なので,「阿吽の呼吸」っていうのは,オンライン全盛時代だからこそ一層価値があるようにも感じてきています。

takram

こういう変化については,この本でも書かれていて,明治時代の日本語の変化というのは,実は今インターネット・ソーシャルネット上で起きている言語(の概念)の変化に通ずる部分があるなと感じています。

百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)/岩波書店


一方で,明治時代と違うのは,オンラインコミュニケーションをサポートしてくれる多種多様なツールが登場してきていること。これは,コミュニケーションコストの低下という観点ではすごく良い反面,先ほど述べた「ツールに載る情報(文字・活字・絵)」の共有ができていることが前提なわけで,できていない場合の補完をツールがするのか,あるいは,コミュニケーションするもの同士の経験値・感覚値でするのか,というのは目の前にある課題なのかな,とも。

だいぶ発散してしまいましたが,まとめると,オンラインツールというのはこれからますます普及すると思いますし,自分自身活用したいと思っています。だからこそ,この視覚をインターフェースとした,次の概念,「意味を考える」というところに着目し,いろいろ取り組んでいきたいです。

それこそ,自分が取り組んでいる電子書籍は,文字情報とは言いながらも,読み手の感覚値によって捉えられ方が大きく異なる時代の表現物であるので,きちんと意識して取り組んで創っていきたいです。

■Webディレクター必見!プロジェクトを成功に導く、オンラインツール活用トラノマキ2014

で!最後に宣伝です(笑)

オンラインコミュニケーションの話から少々無理やり話を広げますが,昨今のプロジェクトでは,さまざまなオンラインツールを活用するケースが増えていますよね。ChatWorkやBacklog,Git,Evernote,Dropbox,サイボウズLiveなどなど。僕自身,業務ではYammerやRedmine,Googleドライブを活用しています。

こうしたツールは使いこなせればこなせるほど,ツールメリットの恩恵を受けられるわけです。

ということで。来る3月8日,WebSig24/7では,WebSig会議 vol.34「Webディレクター必見!プロジェクトを成功に導く、オンラインツール活用トラノマキ2014」と題したセミナーを開催します。

WebSig会議 vol.34
「Webディレクター必見!プロジェクトを成功に導く、オンラインツール活用トラノマキ2014」

http://websig247.jp/meeting/34/000274.html

ゲストには,IMJさん,nanapiさん,ソニックガーデンさん(そしてもう1社調整中)をお迎えし,それぞれの企業・組織でのオンラインツール活用事例について,プロジェクト視点・ワークフロー視点でお話いただきます。

今回のブログでは個々人の意識という点にフォーカスしましたが,業務でオンラインツールを活用するのであれば,品質の担保ができるフレーム,つまり「使い方」が重要です。今回のWebSig会議ではそのあたりについてじっくりしっかりお話い頂きますので,ぜひご参加ください :-)

お申し込みはこちらから↓

http://websig-vol34.peatix.com/