先日,5年来の友人ユッコさんと近況報告会的な呑み会を。

馮富久のブログ - Tomihisa Fuon's Blog-beer

約1年ぶりということでお互い積もる話をしつつ,ビールとソーセージとともに楽しいヒトトキを。途中,そこで撮った写真をFacebookに上げてみたところ。なんと予想外(?)なフレンドからのコメントが。それも異なる2人から。

1人は,大学時代の後輩。時期的にはかぶっていないけど,毎年行う新年会だったりOB会で顔を合わせていてFacebookやmixiでもつながっている関係。
もう1人は,公私ともども仲良くさせていただいている方のお姉さん。つい最近Facebookでつながりました。

どういうコメントがあったかというと,後輩からは「あれ?なんで○○さん(僕が一緒に呑んでいた相手)と知り合いなんですか?」,友人のお姉さんからは「もしかして○高の同級生?」というもの。

一緒に呑んでいた相手が,Facebookに上げた1枚の写真を通じて,自分の大学時代の後輩のコーチングスクールの先生であり,友人のお姉さんの同級生だったということが判明したのです。

こういう感じって,mixi時代からもコミュニティや日記を通じて体験できていたことなのですが,今のFacebookのアクティブ率&タグ付け機能によって,それがさらに強調されていると改めて思った出来事でした。

■オープンマインドでわかること・気をつけること
さてさて。

こういう,サプライズ的な,そしてポジティブなつながりというのは嬉しいものです。今回は知り合いの輪が一気に明示的になって,自分のソーシャルグラフが濃くなった典型的なケースの1つだと思います。これはまさにソーシャルネットが持っている魅力の1つです。

僕は2004年にorkutやmixiを始めてから,ずっと実名をIDとして使ってきていて(そうしようと思ったのは,僕をWebSigに誘ってくれた中野さんに「実名にしておいたほうが良いですよ」というアドバイスをいただいたから),結果,ソーシャルネットを通じて,良い出会い,あるいは,今回のような思わぬ出会いにつながるケースが多々あります。
とくに,出身校(小中高大)がフックになった出会い・再会は多いですね。

オープンマインド(≒割り切り)によって生まれた良い出来事です。

一方で,オープンであることによって,無意識に情報に対して無防備になる場合があります。それは本人としては受け入れていたとしても,ソーシャルネットはその人だけで閉じづらく,ときに,その先のつながりの相手(いわゆるフレンド)のポリシーと反していた場合には,思わぬ展開を生み出してしまう可能性・危険性があるのです。

わかりやすい例で言えば,自分は実名・顔出しOKでも,相手が実名・顔出しNGというケース。それで写真にタグ付けしてコメントで展開すれば,何かしらの(ポリシー的な)衝突につながる場合があります。

このブログで何度も書いていますが,僕はネットに上げた情報は,たとえ見た目上限定公開にしていても,あるいは気持ち的にはクローズドで扱っていたとしても,突き詰めると,すべてオープン(になることがある)だと思っています。そこに関係するのが,個人個人のネット経験値だったり,リテラシーだったりするわけで。

今のソーシャルネットは,こういう情報に対するポリシーが同じ人も異なる人もフラットにつながって,さらに,年齢を始めとした経験値やバックボーンが異なる人たちが同じテーブルに座れる場だったりします。だからこその,自分の心づもり,気の持ち方は大切だな,と思った次第です。昔で言うところのネチケット,そういう感覚のソーシャルネット版のようなものですかね。

自分自身は,これまでそういった衝突やトラブルに巻き込まれたことがないので,そもそも気にする必要は無いのかもしれませんが,もうちょっと大局的・俯瞰してみたときに,ソーシャルネットをいつも楽しく使うためにも,多少堅苦しくても,今後そういったものが自然形成されていくのがいいなと思っています。ちょっと大袈裟に言うなら,自由と無責任を履き違えない意識でしょうか。

話を戻して。

僕は基本的に仕事したり,呑んだり,遊んだりする方たちと一緒に写真を撮ってアップすることが好きだし,また,それをネットに上げておくと手軽なアルバムになるので,これからもそうしていきたいと思っています :-)

なので,ご一緒したときにはぜひ一緒に写真を撮りましょう。

(もちろん,写真を撮られたり顔を出すのが苦手な方には無理強いしませんし,アップする前には確認を取りますけど)

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