前回のエントリ「ソーシャル再考:1次情報と2次情報のはざまで」を書いて,友人・知人からコメントもらったり,反応を頂いたり。

こういう話をするのは好きなので書いてよかったと思いました :-)

■いいね!だけでは表現しきれない感情
で,改めて前回のエントリを書いた後,他の方たちのコメントなどをふまえてもうちょっと考えてみたところ,たぶん,シェアに対してと言うよりは,僕が気になっているのは,Facebookのいいね!に文脈を感じづらくなったことにモヤモヤを感じてるんだと思いました。

つまり,いいね!という表現に対して,額面通りに受け取れば,ポジティブに「良い」という意味が付与されるわけなんですが,Facebookの場合,相手の投稿に対して,

- 良いね(←言葉の意味)
- これ好き
- 気になる
- 見たよ
- チェックしておく


といったような,近そうで異なる意味が含まれ,さらにそれがタイムラインで可視化されすぎたことがあいまって違和感を感じたように思いました。
(意味という点では,それはいいね!と言っちゃいけないもの(と僕は思うこと)に対してもいいね!が付いたりもして)

まあ,タイムラインへの表示については自分でシャットアウトできるのでどうとでもなるのですが,いいね!という言葉が表す意味の違いについては,正直気になっています。

■ソーシャルネット上での感情表現
この,いいね!に関しては,アメリカ的なシンプルさそのものでもありますし,その手軽さこそが強みです。誰でもすぐにライトなコミュニケーションが取れるわけですし。

ただ,そうは言ってももうちょっと感情の濃淡を表現できたらいいのにな,と。

ちなみに,最近,このブログでもよく書いているPathでは,

- smiled
- laughed
- gasped
- frowned
- Loved


という5つの感情表現を表すボタンが用意されていて,話題によって使い分けることができます。最近,そっちのソーシャルネットコミュニケーションに慣れているから,必要以上にFacebookのいいね!が気になり始めたような気がしています。
結果として,単なる2次情報の垂れ流しのように感じることが強くなり(実際その傾向は強くなっていると思っていますが),とくにFacebookのソーシャルグラフがつまらなく感じ始めたんだろうなー。

馮富久のブログ - Tomihisa Fuon's Blog-Path

このあたり,他の皆さんはどうなんだろう?

個人的には,Facebookにしてもmixiにしても,もうちょっと感情表現を表すボタンがあってもいいかなーと。

そうすれば,直接的な知り合いに対するコミュニケーションは多様化しますし,ニュースのように,当事者ではない内容(俯瞰して接しやすい内容)については,その感情の統計をとることで,ソーシャルネット上の民意,みんなの声が拾えると思います。

そういうデータが出てくれば,また新しいソーシャルグラフ・インタレストグラフを生み出せて,ソーシャルネットとしての価値が高まるように思いました。

YouTubeのGood/Badなどはそれをすでに導入している良い例ですね。

ちょっとまとまりがなくなりましたが,ソーシャルネットのコミュニケーションが,ユーザの体験値のバラつきが大きくなる一方で,ツールという単一の環境の上で表現することによって変化し始めているんじゃないかと思いました。この辺の話題は,年末ぐらいに1年を振り返ってみたいです :-)

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学/紀伊國屋書店