■mixi9年目
本日,mixiをはじめてちょうど9年が経ちました。

まさか自分がソーシャルネットにこんなにハマるとはと思いつつ。

せっかくなので,いろんなWebサービスを調べてみたところ。

2004年4月 8日 mixi   → 9年
2007年4月 6日 Twitter  → 6年
2007年6月 1日 Facebook → 6年(もうすぐ)
2011年6月23日 LINE   → 2年(もうすぐ)
2011年7月18日 Path   → 2年(もうすぐ)

各サービスともけっこう使っています。

その中でもmixiはダントツで。これからも使いたいと思います。

■1次情報,2次情報,そのはざまで
さてさて。

いろいろと使う中で,最近感じるのが,ソーシャルネットにある情報のセグメント。

ぶっちゃけ考え過ぎなのかなと思いながらも,僕の中ではこんな分け方をしています。

1.いいね!/イイネ!(他人のリンク)→2次情報
2.いいね!/イイネ!(自分のリンク)→1次情報
3.コメント付きシェア(他人のリンク)→1次,1.5次,2次情報
4.コメント付きシェア(自分のリンク)→1次情報
5.投稿(文章・写真など)→1次情報


ブログ全盛時代はほぼすべてが1次or1.5次情報だったのが,
最近は,比率的に2次情報が(僕の周りでは)増えているように感じていて。

正直どうでもいいじゃんと思いながらも,
最近,とくにFacebookを見ていて思うのが,同じ記事が表示されることが多いことに
違和感を感じています。

それって,たぶん,自分のソーシャルグラフ内での
いいね!やシェアが増えながらも,それに対して,その人はどう考えているのかが,
僕が見えていないのにモヤモヤを感じているのかな,と。

悪いとは思わないのですが,正直つまらないというのが今の,個人的な感想です。

■共有(シェア)すること
こう思うっていうのは,自分の中で共有することに対しての葛藤なのかなって。

以前こんなブログを書きました。

ソーシャル再考:共有(シェア)すること
http://ameblo.jp/tomihisa18/entry-11130175865.html

シェアをするのは,その情報だったり写真だったりを,自分のフレンドたちにも知ってもらいたいという,「情報のポジティブな押し付け」だと思っています。

これに関しては,最近ますます強く感じていて。
良し悪しではないものの,ソーシャルネットってこうだっけ?と思うときが
強く考えることが最近多くなりました。

何を言いたいかというと,いいね!やシェアすることが,
代弁されてしまっているような空気感を醸しだしてしまうことです。
(実際,リアルであったときにそれ前提で話されることに違和感を
 感じたり,感じなかったり,ラジバンダリ :-))

例えがうまいかどうかわかりませんが,
いくら,草野球の主力選手が「イチローのあのバッティングはタイミングがいいんだよ」と
言ったところでイチローにはなれないというか,そんな感じです。

最近のソーシャルネットって,その履き違えがしやすくなってるのかな,と。

裏を返せば,表現力の向上に対してのコストの低下,表現しやすくなっている環境かとも。

■ソーシャルネットが生み出したコミュニケーションコストの低下
繰り返しになりますけど,いいね!やシェアすることで,
1次情報と同等という前提で進んでしまうケースが見られることに対して,
正直,違和感を感じている今日このごろです。

まとまりがないですが,いま自分が考えているソーシャルネット考です。

この先,どう変化していくのかなー



■自分にとってのソーシャルグラフの大切さ
でも,やっぱり,ソーシャルネットの醍醐味はソーシャルグラフだと思っていますし,
そこを楽しめるかどうかが,自分にとっては大事だなと思っています。

評論家になったり,被害者意識持つよりも,当事者意識を持ってどう行動するか,みたいな。

その点でブログみたいに1次情報が発信できることって,改めて良いなと思っています。

もちろん,シェアやRTに,自分の意見を行動やアウトプットを乗せられることは,
ソーシャルネット時代ならではだな,とも。

ほんとまとまりがないですが,書いてみました。

このあたりについては,いろいろな方たちとゆっくりお話してみたいです :-)

当事者研究の研究 (シリーズ ケアをひらく)/医学書院