ここ1ヵ月の間に,展示会にいくつか行ってきました。

行ってきたのはこれ。

- スタジオ・アッズーロ展
http://www.kawasaki-museum.jp/azzurro/
- ポーランドポスター展
http://www.polandposter.jp/
- アートと音楽
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/138/
- MOT ANNUAL 2012:風が吹けば桶屋が儲かる
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/140/1
- MOTコレクション:私たちの90年:1923-2013 ふりかえりつつ、前へ
http://www.mot-art-museum.jp/collection/

個人的に現代アート,とくにアメリカンポップは好きなので,コレ系にもちょくちょく行くのですが,最近は仕事でも関係しそうな,インタラクティブ・アートに興味があって,観てきました。

ということで,今回は,テクノロジーの進化と体験をテーマに書いてみます。

■まずは鑑賞した展示会のご紹介
上記5つすべてが体感型ではなく,

- スタジオ・アッズーロ展
- アートと音楽
- MOT ANNUAL 2012:風が吹けば桶屋が儲かる

が体験型,体感できる作品展示を行っていました。

中でも面白かったのがスタジオ・アッズーロの作品たち。
たとえば,「水たまり」という作品。

馮富久のブログ - Tomihisa Fuon's Blog-水たまり

この写真のように,ディスプレイを水たまりに見た立てて実際に手で叩くと,水しぶきが上がり,正面カメラで映しだした自分の顔に水しぶきがかかります。

さらにその模様をその場ですぐにプリントアウトまでしてくれます。

馮富久のブログ - Tomihisa Fuon's Blog-水たまりの写真

なんかホラーっぽくなってしまったのはご愛嬌w

他にも,「語り部」,そして,「センシティブ・シティ」など注目作品が展示されていました。

「センシティブ・シティ」


この「センシティブ・シティ」という作品は,2つのディスプレイを使った映像インスタレーションです。簡単に紹介すると,イタリア各地やサンタフェにフォーカスを当て,その土地の紹介を行うという作品なのですが,そこに先ほどのインタビューに協力した方々が歩く映像が流れます。そして,ディスプレイ上でその人をタッチすると,その人が答えたその土地の魅力や思いが声と文字とともに紹介されるという創りになっています。
この作品が凄いなーと思うのは,ただ客観的に土地を紹介するだけではなく,

- その土地に馴染みのある方たちの声を拾い上げている点
- ディスプレイを触るということで,人とのつながりを“触覚”で表現している点

の2つだと思っています。

前者はブログだったりSNSを利用することで実現しやすい時代になって来ましたが,そこにディスプレイとタッチという操作を加えることで,新しい感覚,つながっている感覚がより強くなった作品になっているんじゃないかと思います。

これはまさにテクノロジー進化の賜物でもあり,一昔前では実現しづらいものだったんじゃないかな,と。
スタジオ・アッズーロ展ばかりの紹介になってしまいましたが,その他のアートと音楽では,流れのあるプールの中に多数のボウルを浮かばせ,そのぶつかり合いを歩きながら聞き取るといったものや,MOT ANNUAL 2012では,空間と学芸員までを作品に盛り込んだ作品が展示されるなど,テクノロジー頼みではない体感作品が展示されていました。

■テクノロジーの進化で体感が身近に,仮想と現実の間
さて,紹介前置きが長くなりましたが,こうした作品の登場はやはりテクノロジーの進化と密接に関わっています。たとえば,スタジオ・アッズーロの作品はディスプレイの進化に寄るところがとても大きいわけですし,そこにアイデアを盛り込むことでテクノロジーの価値を最大限に活かした作品になっているのです。

こうした,テクノロジーの進化が生み出すモノ(体験)として,個人的に注目したいのは,物質的な距離感を小さくした結果,よりリアルに近づく体験が得られるようになってきている点です。
ソーシャルネットの進化で,つながりにおける心理的な距離感というのはすごく近くなりましたし,コミュニケーションコストがどんどん下がってきています。ただ,ソーシャルネットの場合,ソーシャルグラフ(個人的なつながり)が前提なわけなので,ある程度つながりの枠組みが担保されていると考えられます。

テクノロジーの進化は,そうした前提となること以外に,客観的なつながり,いわゆるセレンディピティ的な部分を高めているように感じました。もちろん,ブログやインターネットの情報がその部分を担ってきたわけですが,活字や映像以外の部分,ソフトではないハードな部分と組み合わさることで,“つながり”や“リアル”さという感覚値が大きくなったと思うのです。

■仮想体験がリアルになればなるほど,現実の体験の価値が高まる
一方で,前回のエントリで書いた「紅葉・黄葉」のように,実際に自分の眼で見て,空間に触れてという感覚に,テクノロジーによる仮想的なモノ・コトが追いつくことは,この先もないと思っています。

なので,テクノロジーの進化はあくまで100%に近づくための補完,すなわち≒であり,=にはならないというのが僕の意見なのですが,それでもテクノロジーの進化によって,人としての感覚として仮想では追いつけない“リアル”なモノ・コトが強調され,実際に何かを体感することの価値がもっともっと高まっていくんじゃないかと。先日の枕職人の旅なんかも,個人的にはそういったことの裏返しだと思います。

もっと飛躍すると,各種タブレットデバイスだったり,「Google Glass」,「ARコンタクトレンズ」といったモノが身近になればなるほど,仮想的なものがリアルになればなるほど,リアルなモノ・コトの価値は高まっていくんだろうな,なんて漠然と考えています。

いま,僕がイベント関係に積極的にコミットしたいという気持ちを持ってたくさん関わらせてもらっているのも,突き詰めるとこの感覚に近いのかも,とも。

ちょっとまとまりがなくなりましたが,テクノロジーの進化によって高まる体感(つながり・リアル)の価値,この部分っていうのは,これからもますます大きくなると思いますし,今後,個人的にも注目して取り組んでいきたいテーマの1つです。

あ,そういえば,先日の第31回WebSig会議でもテクノロジーの進化と空間というところで,個人的にインパクトのある体験ができました。こちらはまた改めて紹介します :-)