ふと以前から「つぶやき」について思っていたことと,最近の自分自身のソーシャルネット利用で感じたことをまとめておきたくなったので。

今回は,つぶやきとライフログ,パッションログをテーマに書いてみます。
あ,ちなみにパッションログっていうのは僕の勝手な造語で,感情の記録,みたいなニュアンスで使っています:-)

■ライフログとしてのソーシャルネット
今,FacebookやTwitter,mixiなどなどたくさんのソーシャルネットがあって,それぞれサービスの機能や人のつながりの違いで,楽しみ方は十人十色です。

その中で,よくソーシャルネット全般に対して「ライフログ(生活の記録)」と表現されるケースがあるかと思います。これは,ちょうど2009年夏ごろに,日本でTwitterが流行り始めたころから,

・この瞬間をつぶやく
・毎日同じ時間に挨拶する


などなど,Twitterならではの使い方というのがメディアで紹介され,「つぶやき」という気軽さから自己発信数が増え,それがあたかも自分自身の生活をすべて記録できる,つまりライフログツールになり得るということから生まれていると思います。
(でも,そもそもそれって2002~2003年ぐらいのブログブームの時からも言われていたように思ったりもするんですけど(^^;)

で,たしかにそれはそれで見方によっては合っているように思う一方で,当時からTwitterのようなサービスの場合,個人のつぶやきはライフログという側面よりは,ある種の感情発信,情報発信という側面の方が強いんじゃないかと思っていました。

(流行り始めた以降の)Twitterの場合,閉じて利用すると言うよりは,つぶやく先に誰かいる,すなわち,不特定多数に見られている/読まれているという状況だということを,つぶやく側が意識的あるいは無意識に想定しているケースが多いからです。ですから,自分の感情や気持ち,あるいは伝えたい(という思いのある)情報を発信する,「パッションログ」のほうが当てはまるなーなんて思っていました。

逆に,僕はその当時,Flickrをよく使っていて,毎日の昼ご飯や夜ご飯,宴会,散歩などの写真をちょくちょく上げていました。そのときに,実はライフログっていう表現は,Flickrのように写真を利用したほうがハマるんじゃないかと思ったのを覚えています。
というのも,「写真」という画に残せることに加えて,Flickr(に限りませんが)ではタグ付ができるため,その写真が何年のものか,どこで撮ったものか,どういう属性のものかなどを,自分なりのルールで分類できるからです。

この観点で見ると,Twitterっていうのはサービス単体ではライフログを取りづらく,どちらかと言うと日記で書くほどではないけど,とりあえずアウトプットしたい欲求を満たすツールであり,言い換えれば「パッションログ」ツールに近かったと感じてたのです。

この辺については,さらに前の2007年,関心空間ファウンダーの前田さんとの対談でも話していたことで,前田さんはそのころからTwitterのことを「あれは僕,すごく相互補完的なものだと考えています。文脈のなさを文脈とするような,そのスキマを可視化しています」と評していて,ライフログやパッションログの違いを考えつつ,その対談を思い出しながら,「お,なるほど」と思ったものです。

WSEA(Web Site Expert Academia)
第20回 リニューアル直前!特別編

http://gihyo.jp/design/serial/01/wsea/0020

■ひとことソーシャルの概念――Yahoo! 360°を思い出しながら
ここでライフログとかパッションログの話から離れて。
そもそもこういうちょっとしたアウトプット,いわゆるひとことをつぶやけるサービス(「ひとことソーシャル」と呼びます)っていつから始まったんでしょうか?

僕が使っていたサービスの中では,昨年サービスが終了してしまった,「Yahoo! DAYS」が一番最初だったと記憶しています。
これはもともと,Yahoo! 360°というサービス名で始まったソーシャルネットです。2006年2月28日にスタートしたソーシャルネットで,ちょうどmixi,そしてGREE以外の新しいソーシャルネットとして,ネット界隈(いわゆるアーリーアダプター)の注目を集めていたのは懐かしい記憶です:-) すでにネット上から消えてしまったので,そのときのmixi日記のリンクを貼っておきますね。

Yahoo! 360°開始(2006年2月28日)※要mixiログイン
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=94918153&owner_id=5543

さて,Yahoo! 360°は,後発ということもあって既存サービスとの差別化機能をいくつか用意していて,中でも特徴的だったのが今回取り上げている「ひとこと」機能でした。

今でいう,mixiボイス的なものなのですが,ユーザがそのときの思いを簡単につぶやけるというのが斬新でした。
(あとたしか,つぶやきを表示するボックスの形が複数用意されていて,円形とかギザギザとか,感情を表現できるようにもなっていたと思います。この辺,うろ覚えなので間違っていたらスミマセン)

で,Yahoo! 360°がリリースされ,とくに僕のマイミクの多くが異口同音につぶやいていたのが,

「そう,これ!これが欲しかったんだよ。mixiに足りなかったもの」

という発言です。

どういうことなのかなと,実際に会ってお話ししたり,聞いたりしてみると,当時のmixiは日記のコミュニケーションを中心に,コミュニティ,さらには足あとといったように,ヘビーというか,ウェットなコミュニケーションが主体で,SNS慣れし始めてきたユーザに対して必要以上に双方向を強いる(強く感じさせてしまう)場合があるということでした。
つまり,発信=コミュニケーションを図ることが前提であり,リプライを想定しない発信がしづらい(今思えば,現在ほどソーシャルネットの選択肢がなく,単に先入観でもあったと思うんですけど)状況の中,この「ひとこと」という機能が登場し,まさに,先ほどの前田さんがおっしゃっていた「スキマ」を埋めてくれたんだと思います。
このときの「ひとこと」は,今ほど洗練されておらず,単純にポストができ,そこにコメントしていけるタイプのものでした(TwitterのようなTLとしては流れていかない)。

ただ,結果的にYahoo! 360°(その後Yahoo! DAYS)はなくなってしまったのですが,Twitter登場以降のひとことソーシャルの隆盛を見ると,その後のソーシャルネットに大きな影響を与えたサービスなんじゃないかと思います。

余談ですが,mixiエコー(現mixiボイス)が出たときに「Twitterの真似じゃん」というユーザをけっこう見かけたんですけど,見かけるたびに「そもそもYahoo! 360°」のほうが早いし,なんて思ったこともありましたw(Twitterは2006年7月公開なので,時系列的にも前です)
さらに余談で,個人的に各種ソーシャルネットで,こういう風に似た機能が出たとしても,それは真似というよりは,サービス自体の機能補完,コミュニケーション手段の多様化だと思うので,そういうところはあまり気にならないですねー。どちらかというと,どういうユーザがどのぐらい使っているかとかのほうが重要なので。
それに,そもそもWeb 2.0の考え方って,共有だったり,Web APIを使ってサービスを繋げていくことなので,真似するとかしないとかユーザ目線で見れば本質論からはずれるんじゃないかと,個人的見解を書いておきます:-)


■つぶやくこと――記録なのか,記憶なのか
さて,今に立ち戻って。

最近はTwitterに限らず,Facebookでもmixiでも,ひとことをつぶやく機能がついています。マルチポストを使えば,そのつぶやきを全サービスに発信することまで可能です。
こうして見ると,つぶやきが持つ発信力が非常に高まっている時代になってきました。なので,そろそろTwitterをはじめとした「ひとことソーシャル」というのはパッションログにとどまらず,またライフログでもなく,やはり本当の意味でのメディアに近づいてきているなーと。

逆に,mixiの日記のように時系列に体形立ててまとめられるものはライフログとして機能しますし,先日のエントリで紹介したPathのように,使い方やつながりに制限を設けやすく,かつ,ノンバーバルでライトなコミュニケーションが図りやすいものほど,パッションログツールとして利用しやすいのかも,と思った次第です。
まあ,わざわざネット上で感情をつぶやく必要があるのか,という議論もありそうですが,ここではそれは置いておきます。

結局のところ,つぶやくという行為がなんなのか,記録なのか,記憶なのか,それとも別の何かか……そういうのをひっくるめてフラットにつながっていくことがソーシャルネットの世界であり,新しいコミュニケーション観になっていくんじゃないかと。

最近このブログでソーシャルのことばかり書いてるな。ま,いっかw

100万人から教わったウェブサービスの極意 ~「モバツイ」開発1268日の知恵と視点/藤川 真一