はるんのブログ
わたしは今、
毎月恒例…
娘の部屋掃除
掃除はついでかな…
金遣いが荒い娘に、
LINEでやりとりは
してるけど…
いまいち、
伝わらないというか
ま、わたしが
本来なら東京に引っ越す…
予定がね
とりあえず、
時間あるので…
昨日の出来事を
一昨日の夕方かな
味噌ラーメン友から、
なんか今出してる感じだから…
と
朝イチからは…
起きたら9時
10時半前かな、
着いて🎰
友が珍しく、
ゴットイーター打っていて
角2がまたしても、
朝イチ単発で即やめ台…
朝から角が出たから
多分やめた感じ
ま、そこしか
空いていなかったので…
というか、
最近並びで出すイメージもあり
座って、
投資3本…
64回で
…当たった
多分2連スイカ🍉
600枚ほどゲット…
次に130くらいで、
また当たり
いわゆる、
半分のまれて…
出て
の、繰り返し
わたしが、
打っていた間は…
ハマって300
ただ、
続かない…
1500枚は出たけど
まー、時間かかり
中段🍒
でも、続かない…8連が最高かな
いや、気持ち悪っ
だから、
多過ぎ
極めつけは…
マジですか…
え、多分設定2ですよね
MAXから、
ちょっと減らしたけど…
疲れたのと、
期待出来ないと判断
即やめ
ま、今日の事もあったので…
早よ寝ないとね
17時…
眠れない
19時…
眠れない
21時…
眠れない
23時…
眠れない
1時…
眠くなってきた
…4時
起床
というわけで、
絶不調
今日は…
なんやかんやで
シー
久しぶりに天気がいいらしく☀️
ま、毎回雨でしたので…
気温が、
20度
こちら、
朝2度しかありませんで
絶対体力…
そして、帰ってからの
疲労
明後日肺がんの、
CTと血液検査…朝イチ
だから、
明日は早よ帰ります
とりあえず、
出来ない仮眠でも…
してみようかな
ではでは
安定して、
…暇か
では、
昨日の続きをね…
看護師になり、
1年目は…
技術と知識
とにかく必死だった
早く一人前になりたかった
点滴、採血…
こればっかりは、
経験を
重ねていかなければ
ならなかった
最初の頃、
初めて点滴をした時
もう1人の主任が
一緒にいてくれて
患者さんに
説明してくれた
患者さんは
いいよいいよ、
いっぱい練習して
そう言ってくれた
でも、痛い思いをさせるのは
…一回で決めたいと
思ったけれど
結局、その患者さんに
6回も針を刺してしまった
大丈夫だから
いっぱい練習して
早く上手になるといいね
ごめんなさい
そう言って、
わたしは
その日
仕事が終わってからも
駆血帯のゴムで
何回も何回も
練習した
3ヶ月経つ頃には、
注射も点滴も
1発で出来るようになった
その後は
誰もが出来ない
お年寄りの患者さんの
点滴も
頼まれるくらい
できるようになっていた
整形外科には
色んな患者さんがいた
比較的、
年齢層は
若かった
自分の父親くらいの
患者さんには
娘のように
可愛がられた
夜勤をしていると
いつも、リポDとか
差し入れしてくれた
ある時、1人の
わたしより1つ下の
男の患者さんが
ICUから
病棟に移ってきた
事故で足を
開放骨折して
足には創外固定がされていた
その患者さんは
3週間くらい
ベッドから
起きられなく、
あまり
話すとかは
なかった
その人が
車椅子で動けるようになると
よく
ナースステーションに来て
わたしとよく話をするようになった
事故のショックと
今後歩けるようになるのか
彼は不安でいっぱいだった
わたしは、
傷の状態を見ながらも
普通に
わたし、B'z好きでね
などと
世間話をするようにした
少しでも
気が紛れたら
いいなと
社員旅行で、
ディズニー行った時に
ミッキーの双眼鏡を買った
そして、
彼に
病院の中ばかりじゃ
飽きるだろうから
これで、
外の景色楽しんで
と、双眼鏡をわたした
数日後
その人から
手紙をもらった
〇〇さんの、
優しさに救われています
自分がもうどうしようもなく
不安で
1人で色んな事を考えて
泣きたくなる
そんな自分の気持ちを
知ってるかのように
〇〇さんは、
いつもニコニコして
楽しい話を聞かせてくれる
自分も前向きに
頑張ろうと思います
わたしは、
患者さんも1人の人間
そういう気持ちで
接していた
それは、
その人だけではなく
全ての患者さんに
そう接していた
病院て
入院て
嫌じゃないですか
だから、
少しでも
みんなが明るくなれるように
わたしが入った当初は、
その病棟は
閉鎖的で
いつも、ピリピリしていたらしい
人事の人が言っていた
当時の婦長さんが
そういう人だった
わたしは、
そんな病棟に自分なら
入院したくない
そう思った
だから、
明るく
みんな仲良く
楽しく
仕事はしっかりやって
少しずつ病棟の
雰囲気も変わり
同じタイミングで
めちゃくちゃ明るい
婦長さんに変わって
病棟は明るくなった
患者さんも、
その家族の方も
気軽に声をかけてくれた
ある時、
膵臓癌の末期の患者さんが
転院するだけだからと
うちの病棟にやってきた
転院は決まっていた
ある休日の勤務の時
大部屋で、
いつもカーテンを
閉めている
その患者さんのところに
状態を聞きに行った
その人は
口数も少なく
どうせ転院するから
そう言うだけだった
わたしは、
その人のベッドサイドの
椅子に座り
少しお話しませんか?
そう言った
わたしは田舎から出てきて、
最初大変で
電車が多くて
何回も間違えたり
他愛もない話をした
その人は聞いてくれた
そして、
自分の事を話始めた
会社と家族をのこして
自分が死んでしまったら
どうなるだろうか
わたしは、
その人が話終わるまで
頷きながら黙って話を聞いた
気づけば1時間以上
そこにいた
休日だからできた事だった
話終わると
その人は言った
なんかあったら、
助けてあげるから
いつでも連絡して
病院変わっても
俺はあんたと、主任しか
信用しない
主任とは、
わたしを助けてくれた
仲良しの主任の事だった
きっと主任も
わたしと同じように
したんだろうな
そう思った
わたしは
きっと無意識に
憧れの主任のような
看護師になりたい
意識的に考えた事はなかった
でも、
尊敬していたなら
きっとそうだったんだ
今ならわかる
若い頃は
仲良しという言葉しか
思いつかなかった
数日後、
その人は転院した
色々ありがとうな
連絡しろよ
助けるからな
その人が
何の会社で
どんな仕事をしていたのかは
覚えていない
ただ一つ
余命宣告をされ
ひたすらに
死を待つ
どんなに怖かっただろう
その人の
生きがいのカケラになれたのだろうか
わたしには
それができただろうか
その答えは
もう、わからない
わたしは、
看護師の仕事が好きだった
患者さんをケアする事
それだけ
ひたすらにやっていたかった
でも数年が経ち、
チームのリーダー
受け持ちの振り分け
医師との連絡
極めつけは
研修
もはや病院勤務というより
勉強の日々だった
これはわたしが
やりたかった仕事か?
葛藤が生まれた
ちょうど、
そのタイミングで
結局横浜に来ることがなかった
彼氏と
結婚の話になり
わたしは
病院をやめて田舎に帰ることにした
最後のほうは、
有給の消化で
ほとんど病院には行かなかった
久しぶりに
病棟に顔を出した時
主任に泣かれた
泣かないで
そう言いながらわたしも
泣いた
どれだけ
信頼され
信用され
愛されていたのか
いじめられて
やめたいと思った時から
5年の月日が流れていた
わたしは、
ちゃんと出来ただろうか
主任の涙を見た時に
自問自答も
一気に吹き飛んだ
ちゃんと、
できていた
良かった
わたしは
横浜を後にした
今日は、
ここまで
連日の朝も早よから、
パチ行って
疲れがMAXです
最後に1つだけ
今日ね、
娘がね、
岡山行くって言ってたから
稲葉さんの実家に行ってきて
わたしが行けないから、
娘がわたしの代わりに
ギャルな娘に
稲葉ママは
おむすびちゃんが来た
そう言って
稲葉さんを産んでくださり、
ありがとうございます
電話越しにそう伝えたら、
インスタも見てね
そんな日でした
娘凄いな…
でも、岡山観光に行くのを
と、ちゃんと行ってくれた
写真もいっぱい撮って
…今日、
飲み会なくなった
一本のLINEが…
それは仕方がない…
ま、そのうちね
さて、
昨日の続き…
20歳の時、
看護学校の友達と
飲みに行ったら
カウンター
コの字の
ちょうど、角で…
普通に女2人で
飲んでたら
端に座っていた
友達が、
隣?
の男の人と話はじめて…
向こうも2人で、
流れで4人で
飲み始めた
相手のもう1人…
わたしは、
一目惚れした
当時、
美容師だった彼は…
凄くおしゃれで
かっこよかった
向こうは、
わたしには…
さほど興味はなかった
街で、バッタリ会って
また一緒に飲みに行く事になった
もちろん友達も一緒
お酒の勢いもあり
人気のないところで、
彼にキスをされた
嬉しかった
告白はお互い、
していない…
自然に付き合いが始まった
彼は免許をとっていなかったので、
必然的に
わたしが彼の家に行く日々だった
もちろん実家暮らし
1年間ずっと一緒にいた
看護の勉強をしながら…
わたしが3年になり、
毎週のように
病院実習があった
凄く大変だったけど、
毎日彼に会いたかった…
ある時、
産婦人科の実習で
母親学級みたいな
母乳を出すための
乳房マッサージ…
わたしたち学生も、
一緒にやった
それから、数日…
不正出血があった
わたしは、
子宮内膜症があり
生理以外でも
出血することがあったので、
気にしなかった
彼と付き合って
子宮内膜症と診断されて…
子どもが産めないかもしれない
そう、医師に告げられ
彼の胸で泣いた
彼は、
子どもがいなくても
大丈夫だよ
そう言ってくれた
実習の帰りのバスで、
友達に
なんか出血してるんだよね
そう話したら
あんた、それ
妊娠してない?
避妊はしていた
でも、ある日
ゴムが破けた時があって
でも、まさか…
違う友達が、
産婦人科に付き合ってくれて
医師に
妊娠してるの、
わかる?
…頭が真っ白になった
産みたい、
でも…看護師になると
ここまで頑張ってきたのに
…どうしたらいいか
正直わからなかった
彼は産んで欲しいけど、
夢叶えたいだろ?
…決断は出来なかった
友達みんなに、
まだ若いから
一緒に卒業したいから
でも、
悩みは一瞬で吹き飛んだ
…流産だった
妊娠しているのを
知らずに
乳房マッサージとか
めちゃくちゃやったから
子宮が収縮して
…泣いた
産婦人科に行く前に、
母親に話した
母親は、
びっくりしていたが
流産と聞き
わたしを問い詰める事は
しなかった
母親と友達と
2人で
わたしの手術が終わるのを
待ってくれた
手術が終わり、
2人の顔を見た時に
泣いた
2人は黙って見守っていた
日帰りではなく
一泊入院する事になった
しかし、
ベッドに空きはなかったため
わたしは
ナースステーションの
ベッドで寝ることになった
眠れなかった…
看護師さんが
うるさくしてごめんね
大丈夫です
結局、
一睡も出来なかった
次の日、
母親と友達が迎えにきてくれた
わたしは、
彼に会いたかった
母親も理解していた
何も言わずに
わたしが出掛けるのを
見送ってくれた
彼は、
大丈夫か?
ごめんな
わたしこそ、
ごめん…
仲のいい友達みんなが
心配してくれた
もし、流産していなかったら…
わたしは産んでいたのだろうか
あれから何十年経っても、
その答えは
わからないまま
無事に看護学校を卒業した
彼が住みたいと言っていた
横浜に就職した
わたしが、
横浜に旅立つ
夜行バスには
母親、兄…
そして彼が見送りに来ていた
わたしは
彼と離れるのが
寂しかった
すぐ行くから
そう、彼は言った
バスが発車した
窓からは
母親が泣く姿が見えた
わたしは、
涙が止まらなかった
そして、
病院の寮に入ったわたしは
六畳一間
バストイレ共有
キッチンも共有
お風呂さえ
入れれば別に
寝るだけだからと
特に気にはならなかった
何より、
家賃が安かった
初めての給料は
母親に少し送った
本家のおばさんたちにも
少しだけど
送った
わたしが、
配置されたのは
整形外科メインで
眼科が少し入っている
病棟だった
同期1人、
その年はわたしたち2人だけだった
わたしは、
田舎から出てきたばかり
要領も悪く
おどおど…
同期の友達は、
横浜生まれ横浜育ち
明るくて
要領もよく、
先輩たちに可愛がられていた
わたしも、
ニコニコしよう
仕事はこれから覚えるけど
暗いままじゃ
患者さんを不安にさせる
そう思って、
常に笑顔を絶やさなかった
…それが、
一つ上の先輩方には
気に入らなかったらしく
間も無く
イジメが始まった
特に休日勤務の時は
人が少なかったので、
イジメもあからさまだった
清拭用のタオルが入っている
熱いスチーマー
普段はゴム手を履いて
タオルを絞るのを
ゴム手を隠され
早くタオル持ってきて
仕方がないので、
素手でタオルを何枚も絞った
わたしの手は
真っ赤になり
ひりついた
一部水疱にもなった
昼食の配膳…
誰1人いなくなって
全部1人で患者さんへ
配った
更に、当時はお茶も
入れていたので
全部1人でやった
もちろん
50人を全部1人でやるには
時間がかかった
しばらくして、
先輩たちが戻ってきて
まだ終わってないの?
もう食事の時間終わるんだけど
わたしは
ダメな人間だと思った
それでも、
患者さんの前では
笑顔でいた
辛かった
やめようと思った
当時の主任に、
やめたいです…
何があった?
全部話した
主任は物凄く怒り
先輩達を集めて
話をした
え、教育ですよ
1人が言った
主任は、
あのさ、あんたらやってんの
教育って言わないよ、イジメなんだよ!
先輩達はみんな下を向いた…
それ以降
わたしは主任と仲良くさせてもらった
いろんな話をした
仕事の事も
プライベートな事も
社員旅行も、
一緒に行った
わたしは
本当の意味で
笑顔になれた
ある時、
退院する患者さんから
手紙をもらった
そこには
〇〇さんの笑顔に救われました
いつもニコニコして、
これからもたくさんの患者さんの
救いになってください
そう書かれていた
嬉しかった
わたしは仕事がまだ未熟だから、
患者さんには笑顔で
それから始まった事だけど
仕事中は
笑顔を絶やす事はなかった
患者さんも、
〇〇ちゃん
と、
今じゃ考えられないけれど
当時は普通にあった
担当の患者さんが、
外出して
帰ってきた時に
とても綺麗な
オルゴールの宝石箱を
買ってきてくれて
嬉しかった
整形外科メインとはいえ、
ベッドが空いていれば
他科でも救急で普通に
入院していた
ある日、
小児科のベッドがあくまで
と、
8歳かそのくらいの男の子だった
大人ばかりの病棟に
入院することになった
その子はわたしが担当になった
他の患者さん達も、
子どもの面倒を
よく見てくれた
その子が、
小児科に転棟して
しばらく経って…
退院する患者さんから
1枚の写真と手紙をもらった
わたしと、
その子が2人で映った写真だった
そして、
この笑顔のように
いつまでもニコニコしてくださいね
あなたの笑顔に
この子も救われたんです
そう書いてあった
嬉しかった
…さて、
本日はここまでにしましょう
わたしね、
こうやって振り返って…
涙流しながらブログ
書いてたり
とりあえず、
今日もがんばりました
明日また、
暇なら続きをね