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エアコンがきいた部屋に引きこもったまま夏が終わる。
というか引きこもったまま人生自体が終わりそう。
本当なら2年前には就職していて、社会人2度目の夏を過ごしているはずだった。
どこからこの間違いが始まってしまったかといえば、幼稚園児のときにはすでに片鱗があったような気がする。
夏休みの自由研究、テーマが決まらず、作り始めず作り終わらず、夏休み明けの提出日に紫に染めた紙粘土をビー玉大に丸めたものを持って行った。
怒られると思ったが通ってしまった。
他の子どもたちの立派な自由研究に挟まれてちんまりとしている私の紙粘土玉。
居心地が悪かったけれど、提出したという実績さえあればいいのだと居心地の悪さを無視しようとした。
私の人生そんなもんよ。
女の人の、目の周りを黒く塗るメイクは、ちょっと悪魔的だなと思う。
ぴかぴかつやつや青白く光る肌がよけいにそれを連想させる。
たまにだけど、女の人にちょっとむらっとすることがある。
肌触りのよさそうなふとももをさらす女子高生、あれ、本当においしそう。
かぷっとかぶりついてみたらどうなるんだろうって考えてしまう。
胸も好き。大きな胸をした子は必ずチェックする。触りたい。
私、女でよかった(笑)
衝動的で制御不能な性欲に悩まされることなく、穏やかに女の人を観て味わえるから。
華奢な体でないと、抱きしめてもらうことすらできない。
自分が書いた文章をしばらくぶりに読み返すと、自分が一定のまとまりをもった統一感のある人物なんだなあという実感がもてて安心する。
別に誰も読んでいないブログなんだけど、残していてよかった。
こうしてネットの片隅で、自分の考えを公開することが、自分の生存をこの世に残す唯一の手段となっている。
現実の私の生活圏内にいるのは、私の残滓でしかない。
そこにいるのは私じゃない。
心がずいぶん年をとっているので、自分の中に感動がない。
いやもしかしたら、妄想ばかりして、自分の人生から逃げている時間が長すぎるせいかもしれない。
妄想の中では、私は生まれながらにとびぬけた美人で、会うたびに誰からも畏怖されるような存在だ。
そして運動神経が抜群で、20代前半にしてオリンピックで三連覇を遂げた。頭も良くて、カナダの名門大学を卒業していることになっている。
私が好きな有名人の親戚でもあり、華やかな世界で生きている。
妄想の中の私はいつも輝いている。
こんな風だったら、私は自分の人生をいきいきと生きていたのかもしれない。
しかし、これだけのスペックがそろっている人間なんてほとんどいない。
きっと、みんな、しょうもない人生を生きている。
それでも、しょうもなくても、これが私の人生だ、と言い切れるだけの何かを得てきた人たちがとてもうらやましい。
妄想ばかりして、自分の時間を無駄にしている自分のことがすこし嫌になる。