海洋放出に対しては、水産物などへの風評被害が懸念され、漁業関係者が強く反対。地元自治体の多くも復興の妨げになるとして危機感を募らせている。反対や懸念の声を押し切って強行することは許されない。政府は新たな処理や保管の方法も引き続き検討し、関係者の理解が得られるよう丁寧な話し合いを続けるべきだ。
廃炉作業が行われている福島第1原発では、事故で溶けた核燃料への注水や、流入する地下水などで大量の汚染水が発生。浄化してから敷地内のタンクに処理水として保管している。東電は来年秋以降に容量が満杯になると予測。廃炉作業に支障が出るとされ、政府は処分方針の決定を急いでいた。
処理水には技術的に除去できない放射性物質トリチウムが含まれる。政府小委員会は昨年2月、処分には海洋放出が確実と結論づけた。トリチウム濃度を基準値以下に薄めて海洋放出するのは国内外で実績があるという。政府は昨年10月にも海洋放出を決める構えだった。だが、全国漁業協同組合連合会(全漁連)などの猛反発で先送りした経緯がある。
菅義偉首相は今月7日、全漁連の岸宏会長と会談し海洋放出への理解を求めたが、岸氏は絶対反対を表明。政府はそのわずか数日後に処分方針を固めた。最初から結論ありきで、全漁連側との会談はアリバイづくりだったとしか思えない。
市民団体は大型タンクによる長期安定保管や、モルタル固化処分などを提言している。この5カ月余り、こうした代替案が真剣に検討された様子はない。風評被害への対策の具体化もこれから。海洋放出の開始まで2年ほどあり、政府は科学的根拠に基づく安全性の発信に努めるという。順序が逆だろう。まず関係者と誠実に向き合い、説明と議論を尽くしてから処分方針を決めるのが筋だ。
周辺国も海洋放出を強く批判し、日本に説明を求めている。原発事故から10年の今も、15カ国・地域で日本産食品の輸入規制が続く。風評被害を払拭(ふっしょく)する難しさが見える。政府の強硬姿勢と説明不足は事態の改善を遠ざけるだけではないか。
事故後、福島の沿岸漁業は海域や魚種を絞った試験操業を続けてきた。ようやく今年3月で終え、本格操業に向けた移行期間に入ったばかり。これまでの努力が水の泡となりかねない。廃炉の都合で復興が妨げられるとしたら本末転倒だ。
東電は福島第1原発で地震計の故障を放置していたほか、核物質防護の不備で柏崎刈羽原発(新潟県)が運転禁止になる見通しと不祥事が相次ぐ。事故の教訓を生かしておらず、海洋放出の安全性を確保できるかどうか疑問符が付く。真に急ぐべきは東電の体質改善である。