好きな人と意思疎通できないとかって良く聞く話だと思います。でも、私は全くないという事はないけど、あまりそういうシチュエーションには出くわさないタイプです。

何故かなと考えてみましたが、私が話がかみ合わない人と長い時間一緒にいれない、という至極シンプルな結論に至りました。笑

話が通じないという事に対して、その事実を受け入れるということをしています。

例えば「こういう時には謝るべきじゃない?」と言ったとして、「そうは思わない」と返されたら、そう思わないという考え方が彼の中で確立されてきた人生があって、現在はそういう考え方だということだと思うのです。

それが一般的にずれていても、自分とは違う考えであっても、私の経験上では悪気や悪意があって反対意見を言っている人はほとんどいません。ただ、彼の考え方がそこにあるだけです

だから、そこに言及しても無駄というのが私の考えです。

「なぜそう思うのか?」などを聞くのは楽しいかもしれないですね。それはやっぱり自分にないエッセンスだったりするので。でも、否定したり、自分が正しいと主張するのはナンセンスかなあと思うのですよ。

必要以上に言及していかない、その範囲内で言葉遊びしていくっていうのも、すごく楽しいかなと思っています。 

まあ、あまり意思疎通取れないと、一緒にいるの難しいかなと思いますけどね。笑


ちなみに、私は意味のない話で盛り上がれる人が昔から大好きなんですね。そういう相手って相性的にそこまで多くはないけど、かっこいい話をし合う人より分かり合えているって感じます。

かっこつけない言葉が一番ハートの真ん中に響いたりしますね。そんな気がするな。

TOM
自分の心の内側から知らず知らずに湧き出てくるものを、思ってよと言うのはなかなか厳しいものがありますね。

でも、“人”と“人”の関わり合いって、決して一方通行ではない気もしていて。

「自分はどうしたい」を事実ベースで話し合えると、とてもいい関係が築ける気がしています。

例えばね、恋の場面で言ったら連絡が欲しいとか会いたいなら、まず自分がそういう気持ちだという事実を知ってもらう事が大事だと思うのです。

多分。多分だけど、好かれる事が嫌な人は少ないです。

じゃあ何が嫌って、好きの裏に「これだけ思っているから思ってよ」とか、「これだけ尽くしているからこうしてよ」とか、そういうニュアンスの気持ちが見 えてしまうとなんだか気持ちが萎えてしまう気がしています。

それは、男でも女でもね。

でも、好きを強要したい人なんていないと思うんです。

お互いの自然な気持ちで寄り添い合いたい、だからこそ傷ついたり悲しくもなったりするんだけど、やっぱりそういう自然発生的なピュアな気持ちに着目できると「幸せ」って一歩近づくんじゃないかと思っています。

いま関わっている人と幸せになれればいいけど、そうじゃなかったとしても、ピュアに近づければ幸せにも近づけると思うのです。

ピュアでいるって大人になればなるほど難しいけど、やっぱり自分に誠実にいる方がいい。充実感が違うなとも思ったり。

だからね、この文章のタイトルにあるように、小手先で愛さない でって自分に思っています。小手先で何でもこなさない。

真心込めて真摯に向き合いたいです。まずは自分と。

愛について
ピュアについて

これを深掘りしていく人生がいいな。

TOM
ここのところ、世間では「いい人」が流行っているように思う。

いろんな事がオープン化されて、なにが正しいだの間違っているだの議論されている。
でも、そもそも正しいとか間違っているとかって、当人でなければ分からない事の方が多い気がしている。

自分が弱くなってしまっている時、傷ついたことを盾にして、相手や起きた出来事を批判しがちだと思う。
これは私にも経験があるからよく分かる。その方が自分を正当化できる気がするからだ。

でも、本当はそうやって相手や出来事へ意見している時ほど、自分にも原因があったりして、実は分かっているケースも多いのかなと感じる。
それでも起きてしまった悲しい事を、誰かに「間違っていなかったよ」って言って欲しいのかもしれない。

「間違っていなかったよ」なんて、自分で自分に言ってあげることもできるのに。
ついつい、誰かに言って欲しいなって時は、何かモノたりていないのだ。
とういか、自分が足りていない。自信がないとき。

自信がないと、誰かに支えてもらいたくなるもの。

だけどね、どんな時も自分に自信を付けるのは自分。
いつも「私が私に胸を張れるように生きていたい」

そんな風に思う。

そしたら、辛い事があってもひとりで立ち上がれる気がするよ。

だから、誰から見ても正しい間違っていない「いい人」でいようなんて思う必要はなくて、いつでもピュアに物事に誠実にいたら、それが人生の豊かさになると感じるのです。

いい人のノロいが解かれますように。

TOM

今の私から何か音がするとすれば「ビリビリビリ」だと思う。

 

2018年になった時、私はある事を決めた。それは自分のために自分が一生懸命生きる事、自分に妥協しないこと、好きなことを少しずつでもやる事。そんな風に今までの私では考えられないほど、小さい事から大きな事まで挑戦を続けている。

 

その結果、これまでには出来なかった事してみたり、新たな出会いがあったり、自分でも知らなかった感覚を味わえたり、とても刺激的である。

 

でも、やっぱりやったことのない事をするのは、誰だって怖いもの。平然としてそうに見える私も、実は臆病で慎重な面があるから、心の中ではいろいろとぐるぐると考えてしまうこともあります。

 

考えてしまうのは仕方ないから、私はやりたいけど怖い事はやってしまう事にしている。だって、決めても決めなくても怖いものは怖い。不安を考え出したら多分ずっと考えられるでしょう?笑 不安に費やす時間が増えるのはもったいない。だったら、チャレンジしてその場で判断していく。自分のしたい事をして、少しでも毎日が楽しくなるためには、こうした瞬間の決断力がとても必要だなあと感じました。

 

「ビリビリビリ」

 

しばらくこの音を聞く日が続きそうだな。

 

私が私の殻を破る音。

もっと心の奥を見せてよ。

そうやって楽しんでよ。

私を、世界を、私を

 

TOM

 

 

 

周り女の子を見ていて、なんだか恋愛事情がうまくいっていない子に多いのが「自分の思っている事をうまく言えない女の子。」

 

これまでの経験で私が言えることがあるとすれば、男子はなんだかんだわがままな女の子が好きだ。

 

もちろん、これだけで言うと反論も聞こえてきそうだけど、要するに分かりやすい子が好きということ。

女の子は建前が上手だから、自分の要望を隠すのもすんなりできてしまう事も多いけど、聞き分けのいい子ほど不幸せである。

要するに一見いい子なのだけど、悪く思われたくない気持ちが先行してしまうと物事は進まない。

 

私調べでは99%の女の子が男性に優しさや思いやり、エスコートのうまさなどを期待している。

と、同時に、何をして欲しいのかはっきりと意思表示できない子は多い。

それで優しくないだの、あれこれしてくれないなどと言うのは男性には酷であろうと思う。

恐らく、世の男性は女の子の役に立ったり喜ばせることは基本的には好きな傾向にある。

 

しかし、意思表示が分かりにくい、中途半端だと本当のところでお互いを満足させられず、結局男女の関係として成り立たない

ケースも多いように思う。

 

良く言われるのは「何食べたい?」の質問に「何でもいい。」という回答が一番困るという話。

逆の立場で考えれば分かる話だけど、せっかく楽しませてあげたいと思っているのに「何でもいいってなんやねーーーーん。」と思われても仕方ない。多分、私が男でもそう思う。

 

昔私が良く言ったのは「サラダが食べたい。」

 

ほとんどの男性が「サラダ?えー?(笑)」ってなっていたけど、昔は本当にいつも野菜が食べたかったからそのまま正直に言ってのです。意外な回答に少々困ってはいたけれど、野菜の美味しいお店とか近い願望の場所には連れていってくれたし、大概サラダの回答に面白がってもくれていた。

 

こうやって正直な会話を続けると、女性は願望を叶えてくれたことで嬉しいし、男性は喜ばせてあげられたことで自信がつく。

いいことしかない。

 

もちろん、男性がしてくれないこともあるかもしれないけど、それは事実として出来ない事もあるっていうだけで、それがイコール女性を好きでないという事ではないことも多い。

 

そもそも、してあげる事に照れがあったり、不慣れな人もいたりするからね。

 

だけど、女の子はして欲しい生き物。してくれた事に喜び、幸せを感じるもの。

だから、積極的にわがままを言って欲しいなと思う今日この頃です。

 

それがお互いの幸せだと思うんですよね。

 

女の子の可愛くおねだりが世界を救うと思うなー。

おおげさ?笑

 

 

 

 

恋せよ乙女。

 

世の中の女の子は可愛い。可愛いは世界を救う。そして、女の子の輝きは世界を救う。

そして、恋している時の女の子は最高に魅力的だ。

私はそう信じている。

 

だから、世の中の女の子は積極的に恋して欲しい。

自分に、仕事に、男に。

 

貴方が幸せになれば、周りも幸せなのだと伝えたい。

そんな事がこのブログで伝えられたら。

コラムあり、日記あり、ポエムあり。

そんな感じで緩く見てくださいね。

 

TOM