1995年~2001年:「DA.YO.NE」~「クリスマス・イブRap」
95年、EAST EXD × YURIの「DA.YO.NE」がヒットを記録した。この時、私は「ラップ」という歌唱法があることを知った。その時、私がラップというものに対して抱いたイメージは「メロディは無く、リズムに合わせてしゃべるような感じ。メロディのある通常の歌唱法とはまた違った練習方法が必要なのだろう。それに、ラップだと歌詞の文字数も多くなるから覚えるのが大変そう」、ざっとこんな感じだった。
その後、ラップを聞く機会といえば、安室奈美恵の「Chase the Chance」のラップパートや、globeの曲のマーク・パンサーのラップパートであったため、私のラップに対するイメージは「曲中に箸休め的に組み込まれるものであり、EAST ENDのようにラップがメインのグループは特殊なケースである」という感じだった。勿論この考えは誤っている。当時既にキングギドラやMICROPHONE PAGERといったラップグループがアンダーグラウンドシーンに存在していた。しかし当時子供だった私にそのようなアンダーグラウンドな音楽に触れる機会はなかった。
それから3年以上経った99年3月、再び「ラップがメインの曲」に出会った。Dragon Ashの「Let yourself go, Let myself go」だ。前述の通り、ラップグループが世に多数存在していることを知らなかった私は「こんなのEAST ENDのまねじゃん」などと考えてしまった。
何にせよ最初はこの曲をあまり良いとは思わなかったが、この曲がオリコンチャートで急上昇するうちに、だんだんこの曲がかっこよく思えるようになった。まず、グループ名に「ドラゴン」というゲーム的なワードが入っていることが新鮮だった。また、よく聞くと曲中に同じサウンドが終始ループしている。さらに今までは、ラップを曲中の箸休め的なものだと思っていたが、この曲では逆に「歌」が間奏として挿入されていてこれがとてもかっこいい。(「雲の切れ間に、見え隠れする未来~」の部分)
こうして「Let yourself go, Let myself go」は私が初めて好きになったラップの曲となった。
それからそのすぐ後に、Dragon Ashは「Grateful Days」と「I ❤ HIP HOP」の2枚のシングルを同時リリースしこちらもヒットを記録した。2曲とも確かにかっこいいと思ったが、心のどこかで「Dragon Ashなのだからかっこいいのだろう」という思いがあり、心からこれらの曲を好きというわけではなかった。(ちなみに今現在は2曲とも大好きである)
2000年3月には「Deep Impact feat. RAPPAGARIYA」をリリースしたが、私はこの時はすでにラップやDragon Ashへの興味は薄れていた。
そのまま時は過ぎ2001年7月、Steady&Coのデビューシングル「Stay Gold」がリリースされた。Steady&CoはDragpn AshのKjとBOTSが、RIP SLYMEのILMARI、スケボーキングのSHIGEOと結成したユニットである。最初はこの曲についても特段何も思わなかったが、まるで明け方(あくまで自分がそう感じた)のようなクールなサウンドとHOOKがだんだん好きになった。(よく考えれば、ラップの曲は後になって好きになるケースが多いかも)
2001年秋になるとSteady&Coが2ndシングル「春夏秋冬」をリリースし、またILMARIの本所属であるRIP SLYMEも「One」をリリースした。特に「春夏秋冬」の方はSHIGEOのハイトーンなラップが良いなぁと思った。こうして再び自分の中でラップというものに関心が高まりつつあった。
そして2001年11月のある晩、ラジオから山下達郎の「クリスマス・イブ」と思わしきイントロが流れてきた。「もうそんな季節か。でも少し早くはないだろうか?」と思いながら聞いていると、イントロの後に始まったのは達郎の歌声ではなくラップだった。この想定外の展開に曲が流れている間ずっと聞き入っていた。ラップという音楽はこんなこともできるのか。今まで聞いたラップの中でも一番衝撃的だった。これはKICK THE CAN CREWの「クリスマス・イブRap」という曲で、後日TVでたまたま観たこの曲のPVも何だかかっこよかった。
年が明けて2002年となり、私はこの曲のCDを買った。こうして「クリスマス・イブRap」は私が初めて買った日本語ラップのCDとなり、その後私が本格的に日本語ラップにはまる最初の一歩となった。