4月3日は昨年亡くなった母の90歳の誕生日。

そして、葬儀後、初めての法要を行う日。なんだかんだあって、四十九日とかすっとばし、百箇日もすっとばし、すっかり過ぎた百箇日と称して誕生日に、宝塚の実家での初めての法要を行う。

 

死んでしまえば、本人は、無。おそらく。

生きている人間の、達成感、満足感、充実感…ご都合感

 

ご縁のあるお坊様を招き、ご縁のあるお供えを取り寄せ、ご縁を紡ぎたかったお店をリザーブ。

 

31日に茅ヶ崎の自宅を出て、新幹線で実家のある宝塚へ。1日・2日となんだかんだ準備。今日、2日に夫が車でやってきた。介護が必要になって、母が実家から紆余曲折あって宝塚のサ高住へ移り住んで、ここ数年、繰り返してきた私と夫のタイムラグパターン。帰りはしょうがないので夫の車に同乗してのらりくらり寄り道して自宅へと戻る、いつものパターン。

 

予定では桜満開の法要…桜舞い散る宝塚からの帰り道…だったのだけど、関東では早々と開花。こちら、関西ではどうかなぁ。

 

ここ数年、介護な最中はとにかくドタバタで気がつけば誕生日は終わってた。

今年はゆっくり、たっぷり、じっくり、お祝?!

させていただきまっす!

 

2年前の4月1・2日、母の生まれ故郷である明石へ1泊の旅をした。介護タクシーで車椅子のままドアtoドア。親戚の経営するお寿司屋さんや、母の母校、生家、淡路島へも渡って、もちろん玉子焼きこと明石焼きを食べてなどなど。「ぎょうさん誕生日のお祝いしてもうた」と、母はお世話になっているサ高住のスタッフに自慢していたらしい。それを聞いて、「そっか、ほぼ誕生日やった!」と、私は気づいた。忘れてるかぁ~って感じだけど、なんかもう、それどころちゃいまんねん!と言いつつ、旅できるつうのは、そもそも、それなりに余裕あるよね。それが誕生日と結びつかんゆうのは、単にヌケてるだけなんちゃうん?