昨年11月の末に、母が永眠した。

実家からほど近い宝塚のサ高住に最晩年の3年を過ごした彼女。実家にもそれなりに遺品はあったが、サ高住から持ち帰ったものは直前まで使っていたので、遺品色?!も色濃かった。

 

なぜだろう?どうしようもなく排除したい遺品がある

なぜだろう?私の日常にするっと溶け込むものがある

なぜだろう?その中間的で、もったいないからしばらく使って処分すっか

はたまた、思い出し笑いしたり苦笑したり。なんとなく和むものもある。

 

じっくり遺品を分析すると…

①報われたか報われなかったか

②自分のセンスか母のセンスか

③実用的か非実用的か

といったようなキーワードが浮かんできた。①に関しては介護の根幹的なテーマなのかも?ランニング中にこれを強く意識することがなかっただけでも、幸いなのかもしれない。なんて思いつつ…

 

 

母のサ高住で私が室内履きにしていたスリッパ。と、この冬母に届けようと購入していて間に合わなかった「まるでこたつソックス」。と、元々は私のもので、昨冬からは母がデイサービスやらへ出かけるときに使っていたひざ掛け。これらは、不思議と感情を揺らすことなく日々使っている。ちなみにサ高住訪問時用のスリッパは、3年間で72回(月2回×12カ月×3年)くらい履いたとして、うーん100回使用換算で処分してもいいんじゃない?と、カウントしながら活用している。ソックスは「もこもこ嫌いな私にはぜったいありえねぇ」と思っていたけれど、屋外に長くいるタイミングで試しに使ってみると…いやはや重宝!できるだけ「物」として成就させてやらなきゃねぇ~なんて気分にさせてくれた。