ワタシは、お母さんが怖い。

ワタシは、『お母さんはワタシの気持ちは分かってくれない』と前提を握りしめている。

ワタシは、だから、お母さんに本音をさらすのが怖い。

 

 

こんばんわ。

とまよです。

 



 

ワタシには、まだ

人の顔色を伺う癖があります。

 

ワタシには、まだ

人の反応が気になる癖があります。

 

ワタシには、まだ

人に認められたくてたまらないワタシがいます。

 

ワタシには、まだ

人に嫌われるのが怖くてたまらないワタシがいます。

 

ワタシは

人に

『ワタシの気持ちを分かって欲しい』

がたまらない。

 

 

その、すべての

大元は

お母さん と お父さん。

 

特に、お母さん。

 

 

 

いつまでも、

心のどこかに

 

「お母さんに否定されたら壊れそう」

のような

「お母さんがワタシの価値を決めている」

ような

 

偉大すぎる、

大きすぎる、

お母さんがいます。

 

 

 

でも、、、

それは幻想です。

 

大きな大きな幻想です。

 

たくさんの人が持っている幻想です。

 

 

 

確かに、

お母さんは

ワタシをこの世界に産み出してくれた存在です。

 

でも、、、

お母さんは「ワタシを司る」存在ではありません。

 

 

百歩譲って

赤ちゃんの頃は

子供の頃は

そうだったのかもしれない。

 

 

でも、、、

ワタシ

もう、大きな大きな

大人です。

 

 

 

というか

好みもあるし

ワタシの生き方

ワタシの好きな考え方 は

お母さんにはあわないかもしれない。

 

 

でも、

だからと言って

それは

ワタシ を 否定されたわけではない。

 

 

もし、

すべての考え方が同じで

すべての好みが一緒なら

それはそれで嬉しいけれど、

 

考え方が違う事

好みが違う事は

 

=愛がない

 

ことではない。

 

 

 

それに、

本当の意味で

気づき

 

本当の意味で

腑に落とすときがやってきました。

 

 

 

 

ワタシは

お母さん

お父さん

から自由になる時です。

 

 

そして、

それは

ワタシにとっては

 

大きな大きな他人軸から

自分軸へ戻る時を意味します。

 

 

たぶんだけど、

お母さん、お父さんから

軸を戻したら

 

人生で現れるほとんどの人から

軸を戻せると思う。

 

(私の場合の話。万人ではないよ。)

 

 

 

 

ワタシは

家族というものをテーマに生まれてきました。

「森本家」「藤岡家」 をテーマに生まれてきました。

 


代々受け継いできた

『お母さんの顔色を伺う』

『人の顔色を伺う』


 

 

いよいよ、ずっとずっと

この家系で受け継いできたモノを

陰から陽へ

そして、

中庸へ

戻す時がやってきました。

 

 

 

 

「森本家」も

「藤岡家」も

他人軸から自分軸へ戻ろう。

 

 

私がその

先頭を切ります。