GWで二日ほど実家に帰っていました。

キネシオロジーに出逢い、安藤晶子さんや齋藤慶太さんが『掃除・場の空気の大切さ』を語られている影響を受け、最近、掃除や片付けに気をつけています。
(とは言っても、元々大の苦手分野なので、個人的に以前に比べるとマシになったレベルですが・・・)

先日お婆ちゃんが亡くなったのですが、
ふと、気になって
実家のお婆ちゃん、お爺ちゃんが暮らしていたエリアに、
数年ぶりに足を踏み入れてみました。
(うちの実家は、爺ちゃん婆ちゃんが戦後コツコツ建てた古い家の前に、うちの両親がさらに一軒建てたヘンテコな造り)

私が11歳まで生活の殆どを過ごした場所。

入ってみると、そこには私にとってのノスタルジーがありました。
でも、浦島太郎のようでもありました。

主の居なくなった住まい。
数年、手入れもされず、廃墟のようで、部屋自体の『寂しさ』のようなものを感じました。

ただ、(私が知っているのも手伝って)その部屋であった出来事たちはしっかりと感じられました。
そして、戦後コツコツと、お金ができては玄関をつくり、お金ができては台所を増築した
お爺ちゃんお婆ちゃんの家に対する想いも、なぜか感じられました。
特にお爺ちゃんの部屋は、『あ、ここ空気違う』ていうのが私でも確実に分かって、足を踏み入れることができなかった。
お爺ちゃんが家を守っているのかな。

主の居なくなった住まい

私と弟が勉強机置いてた場所

お爺ちゃんの部屋

私と弟がチビのころ壁に描いた落書き


見ての通り、超廃墟状態で、蜘蛛の巣だらけ。
なんとなく、『このままでは家が本当に死んでしまう』と感じました。
次回帰った時に、
窓を空けて風を通して、
誰も住まなくとも、大掃除をする!と決めました。