お久しぶりです。
夏は暑い
夏は忙しい
それなりの年齢になりますと、しがらみいっぱい・・・
それでも、そんなこんながあって
生かされてるなと、ふとしたときに思わされます。
様々なしがらみよ、ありがとうございます・・・
などと言いつつ。
体調を壊しやすい時期、皆様はいかがでしたか?
やはり、無理はいけませんね、
がんばり通して、ふと気が抜けたときに
熱が出るか、おなかを壊すか、腰を痛めるか
たいていそれが出ます。
この度はおなかでした^^;
体が疲れている分、気力で持っているところが多々あり
その一方が萎えると気も萎えて
横になっていても、ズブズブ孤独感や無力感にさいなまれました。
こりゃいかん!と
今日までの夏休みで、やっと元気を取り戻りつつあるので
こうして、久しぶりに書いている、次第です。
なので・・・・
書きたいなあ。。と思ったものが、ずいぶん時代遅れな感じがして
気も引けるのですが、
心の琴線に響いたものをピックアップして書こうかなと思います。
前記事より2週間以上たち、その間に、日本にとって大切な節目の日が
幾日かありましたね。。。
この年齢になり、今まで以上に日本の歩んだ歴史やこれからのことに
関心をもって様々な声に耳を傾けるようになりました。
学生時代はまだまだ理解力がなく、膨大な事実への検証確認には遠く至りませんでした。
大人になってから、自分の目の前の仕事や、結婚してからは家事育児に追われ、
片目で何とか追いながら考える、というような感じで。
また、世の中の検証、世界情勢の変化なども日々新たになり、
基礎知識を元に、多面的に眺めることを余儀なくされ、
短絡的に、また二極化的に物事の是非を表することに
抵抗を感じるのも事実です。
ですが、国民として判断を求められるときに、責任もって確固たる意志をもって
その義務を果たしたいと強く思っています。
いずれにしても、偉大な先人のかた、尊い犠牲、筆舌に尽くしがたい
無念さや悲しみや、届かぬいとおしさや、ありとあらゆる、それぞれかけがえのない
存在であったはずの人たちの、「思い」や「念」が、空に召され
風となり、木々の緑と同化し、
新たに生まれこの世を生きて、今生きる番を、一生懸命生きている、
そんな風に自覚をしつつ、子やいずれ会いたい未来のまごちゃんたちに
引き継いでいきたいなと、素直に思う次第です。
故あって、音楽がいつも隣にありました。
音楽の力。
それこそ、その時代でも、様々な役割があったことでしょう。
国民をある方向へ駆り立てるような役割を担ったこともあったでしょうし
その逆を思わせる歌は、規制される、などということもあったでしょう。
でも
音楽の力は
ぜひとも、人をいたわり、励まし、楽しく笑顔にさせるものであってほしいと
願わずにはいられません。
人間の行動は、心が決める。
その歌が生まれるのも
その歌が歌われるのも
その人の心の動きがその歌に命を吹き込む・・
そう思ってやみません。
その人が嘆きの心をもってメロディを奏でれば
その指先によって操られるキーからほとばしる音は
その音と旋律だけで自ずと涙があふれ出す。
その人が嘆きを越えて、そこにそっと希望を見いだした心根を乗せればまた
聴くものを涙させ、また微笑ませるかもしれない。
楽器の演奏なら、そこに言葉はないのだけれど
歌ならば、無駄な言葉は一切ないのだけれど
魂の共鳴。
そういったところでしょうか。
書きたかったこと。
なんということもないのですが。
7月22日に初めてユチョンの歌う「ひまわりの約束」を聴きましたね。
そして、実に感動的な日本での兵役前最後のステージにて
この「ひまわりの約束」を介しての『魂の共鳴』が実現しました。
彼らのカバーソング。
これをテーマに書きたかったのですが、なんだか時間がたってしまったのと中身の膨大さに
自分的に気圧されてしまって^^;
それでも。
今朝、ツイともさん(ご家族をなくされて辛い思いをなさいました・・)とのやりとりで
健気に、今週もがんばります、との言葉のやりとりで、声をかけさせていただいたなかに
自然に織り込んだのが、AIさんの「story」の一節でした。
この曲は、もちろんAIさんが歌った時にも、素敵な曲だな、と思っていました。
娘の中学校での合唱コンクールの課題曲にもなっていたほど、様々な人たちに愛された曲ですね
それを、私達の大好きなジュンスが、先のICHIGOコンでセレクトしてカバーし、歌ってくれましたね。
「時がなだめてく
痛みと共に流れてく
日の光が やさしく照らしてくれる」
彼らが、カバーする日本の曲。
どんな思いで選んだのかな、どんな気持ちを込めて歌ってくれるのかな・・
MCで少しお話をしてくださる場合もあります。
例えば、絢香の「みんな空の下」
ジュンスが「ちょうどいろいろあったときに、はげまされた・・」的なことを
言ってくれて。
でも、あまり多く語ることはありませんね。
それが、彼らの表現を聴けば、そこに言葉を越えた「心根」を
温かくて、柔らかで、愛しています、とか
ありがとう、とか、一緒にいてくれてうれしかった、とか
時には、「一緒にもりあがろーぜー!(ex.「Ultra Soul」)」
などなど、様々にしみいるように感じることができる、
まるで思いが一体化するような、喜びに包まれるんですね。。
彼らは歌手。
歌の持つ力の意味を、我々の何倍も感じつつ、言葉以上に伝わるものを
そこに込め、また、伝えることのできるアーティスト性と歌唱力をもって
表現してくれます。
韓国人である彼らが選ぶ、日本語の歌。
どうしてこんなに涙がでるのかな・・と自分でもとまどった曲の数々。
「蕾」も
「粉雪」も
「化粧」も
そして
「最愛」も。
3人で歌った「Rainy Blue」は
新たな一歩を踏み出すのに必要な曲だったと思うし、
何より、徳永さんへの感謝が込められていたようにも思います。
ふと思い出した、2009年の年末の歌番組。
今思えば、とんでもない心理状態に置かれた若者達が
当時のFNS歌謡祭だけが、個人的には歌の力と歌手としてのプロ意識で
奇跡的なハーモニーを紡ぎ出し(だから、絶対大丈夫!と錯覚^^;当時はね・・)ました。
でも、それは真ん中に徳永さんが居たからだったのかなあって。
歌に魂を込める
受け止める人に精一杯の思いを届ける
それは、表現する人の、心の有り様であり
「人となり」であり・・・
それを、国の違う、言葉の違う彼らが、
そこまで表現してくれることに
ストレートに感動するばかりです。
とはいえ、彼らの音楽の素晴らしさは、そこに限らずで
それでも、今日は、日本語の曲を彼らがカバーして歌ってくれることの
パワーについて、触れたかった日でした。
・・・にしても。
ユチョンは、どこで秦基博さんの歌を知ったのでしょう・・
知るよしもありませんが、
その出会いは、奇跡でしたね。本当に・・・。




あと10日だね・・・。
静かに 穏やかに 見送ろうね・・・。

たくさん、鑑賞して楽しめるものを
残してくれてくるもんね・・・
なんだか、、
難しい話から、結局、大好きな人の話で終わりましたね^^;
行かれないけれど、
メンバーシップでは、どんな嬉しいお知らせがあるのでしょうか。
ほんの少しの期待が、大きな喜びになることを思って・・・。
残暑厳しい折り、どうぞ心身共に穏やかにお過ごし下さいませ・・・。

夏は暑い
夏は忙しい
それなりの年齢になりますと、しがらみいっぱい・・・
それでも、そんなこんながあって
生かされてるなと、ふとしたときに思わされます。
様々なしがらみよ、ありがとうございます・・・
などと言いつつ。
体調を壊しやすい時期、皆様はいかがでしたか?
やはり、無理はいけませんね、
がんばり通して、ふと気が抜けたときに
熱が出るか、おなかを壊すか、腰を痛めるか
たいていそれが出ます。
この度はおなかでした^^;
体が疲れている分、気力で持っているところが多々あり
その一方が萎えると気も萎えて
横になっていても、ズブズブ孤独感や無力感にさいなまれました。
こりゃいかん!と
今日までの夏休みで、やっと元気を取り戻りつつあるので
こうして、久しぶりに書いている、次第です。
なので・・・・
書きたいなあ。。と思ったものが、ずいぶん時代遅れな感じがして
気も引けるのですが、
心の琴線に響いたものをピックアップして書こうかなと思います。
前記事より2週間以上たち、その間に、日本にとって大切な節目の日が
幾日かありましたね。。。
この年齢になり、今まで以上に日本の歩んだ歴史やこれからのことに
関心をもって様々な声に耳を傾けるようになりました。
学生時代はまだまだ理解力がなく、膨大な事実への検証確認には遠く至りませんでした。
大人になってから、自分の目の前の仕事や、結婚してからは家事育児に追われ、
片目で何とか追いながら考える、というような感じで。
また、世の中の検証、世界情勢の変化なども日々新たになり、
基礎知識を元に、多面的に眺めることを余儀なくされ、
短絡的に、また二極化的に物事の是非を表することに
抵抗を感じるのも事実です。
ですが、国民として判断を求められるときに、責任もって確固たる意志をもって
その義務を果たしたいと強く思っています。
いずれにしても、偉大な先人のかた、尊い犠牲、筆舌に尽くしがたい
無念さや悲しみや、届かぬいとおしさや、ありとあらゆる、それぞれかけがえのない
存在であったはずの人たちの、「思い」や「念」が、空に召され
風となり、木々の緑と同化し、
新たに生まれこの世を生きて、今生きる番を、一生懸命生きている、
そんな風に自覚をしつつ、子やいずれ会いたい未来のまごちゃんたちに
引き継いでいきたいなと、素直に思う次第です。
故あって、音楽がいつも隣にありました。
音楽の力。
それこそ、その時代でも、様々な役割があったことでしょう。
国民をある方向へ駆り立てるような役割を担ったこともあったでしょうし
その逆を思わせる歌は、規制される、などということもあったでしょう。
でも
音楽の力は
ぜひとも、人をいたわり、励まし、楽しく笑顔にさせるものであってほしいと
願わずにはいられません。
人間の行動は、心が決める。
その歌が生まれるのも
その歌が歌われるのも
その人の心の動きがその歌に命を吹き込む・・
そう思ってやみません。
その人が嘆きの心をもってメロディを奏でれば
その指先によって操られるキーからほとばしる音は
その音と旋律だけで自ずと涙があふれ出す。
その人が嘆きを越えて、そこにそっと希望を見いだした心根を乗せればまた
聴くものを涙させ、また微笑ませるかもしれない。
楽器の演奏なら、そこに言葉はないのだけれど
歌ならば、無駄な言葉は一切ないのだけれど
魂の共鳴。
そういったところでしょうか。
書きたかったこと。
なんということもないのですが。
7月22日に初めてユチョンの歌う「ひまわりの約束」を聴きましたね。
そして、実に感動的な日本での兵役前最後のステージにて
この「ひまわりの約束」を介しての『魂の共鳴』が実現しました。
彼らのカバーソング。
これをテーマに書きたかったのですが、なんだか時間がたってしまったのと中身の膨大さに
自分的に気圧されてしまって^^;
それでも。
今朝、ツイともさん(ご家族をなくされて辛い思いをなさいました・・)とのやりとりで
健気に、今週もがんばります、との言葉のやりとりで、声をかけさせていただいたなかに
自然に織り込んだのが、AIさんの「story」の一節でした。
この曲は、もちろんAIさんが歌った時にも、素敵な曲だな、と思っていました。
娘の中学校での合唱コンクールの課題曲にもなっていたほど、様々な人たちに愛された曲ですね
それを、私達の大好きなジュンスが、先のICHIGOコンでセレクトしてカバーし、歌ってくれましたね。
「時がなだめてく
痛みと共に流れてく
日の光が やさしく照らしてくれる」
彼らが、カバーする日本の曲。
どんな思いで選んだのかな、どんな気持ちを込めて歌ってくれるのかな・・
MCで少しお話をしてくださる場合もあります。
例えば、絢香の「みんな空の下」
ジュンスが「ちょうどいろいろあったときに、はげまされた・・」的なことを
言ってくれて。
でも、あまり多く語ることはありませんね。
それが、彼らの表現を聴けば、そこに言葉を越えた「心根」を
温かくて、柔らかで、愛しています、とか
ありがとう、とか、一緒にいてくれてうれしかった、とか
時には、「一緒にもりあがろーぜー!(ex.「Ultra Soul」)」
などなど、様々にしみいるように感じることができる、
まるで思いが一体化するような、喜びに包まれるんですね。。
彼らは歌手。
歌の持つ力の意味を、我々の何倍も感じつつ、言葉以上に伝わるものを
そこに込め、また、伝えることのできるアーティスト性と歌唱力をもって
表現してくれます。
韓国人である彼らが選ぶ、日本語の歌。
どうしてこんなに涙がでるのかな・・と自分でもとまどった曲の数々。
「蕾」も
「粉雪」も
「化粧」も
そして
「最愛」も。
3人で歌った「Rainy Blue」は
新たな一歩を踏み出すのに必要な曲だったと思うし、
何より、徳永さんへの感謝が込められていたようにも思います。
ふと思い出した、2009年の年末の歌番組。
今思えば、とんでもない心理状態に置かれた若者達が
当時のFNS歌謡祭だけが、個人的には歌の力と歌手としてのプロ意識で
奇跡的なハーモニーを紡ぎ出し(だから、絶対大丈夫!と錯覚^^;当時はね・・)ました。
でも、それは真ん中に徳永さんが居たからだったのかなあって。
歌に魂を込める
受け止める人に精一杯の思いを届ける
それは、表現する人の、心の有り様であり
「人となり」であり・・・
それを、国の違う、言葉の違う彼らが、
そこまで表現してくれることに
ストレートに感動するばかりです。
とはいえ、彼らの音楽の素晴らしさは、そこに限らずで
それでも、今日は、日本語の曲を彼らがカバーして歌ってくれることの
パワーについて、触れたかった日でした。
・・・にしても。
ユチョンは、どこで秦基博さんの歌を知ったのでしょう・・
知るよしもありませんが、
その出会いは、奇跡でしたね。本当に・・・。




あと10日だね・・・。
静かに 穏やかに 見送ろうね・・・。

たくさん、鑑賞して楽しめるものを
残してくれてくるもんね・・・

なんだか、、
難しい話から、結局、大好きな人の話で終わりましたね^^;
行かれないけれど、
メンバーシップでは、どんな嬉しいお知らせがあるのでしょうか。
ほんの少しの期待が、大きな喜びになることを思って・・・。
残暑厳しい折り、どうぞ心身共に穏やかにお過ごし下さいませ・・・。

