今夜、美しい満月が
夏の空を、より神秘的な空間に演出しています。
ブルームーンというんですね。
「月」といえば
どうしても個人的に、ユチョンを思うんです。
月にまつわるエピソードが
とても彼ららしいと思い、
ずっと印象に残っているから何ですね。
・・・ 月を眺めて涙をながしていた
ユチョンを見て。。。
その、言いしれぬ思いを汲み、寄り添うように
思わず笑顔にするためなのか、慰めるためなのか
ジェジュンが言った言葉
『ぼくの大事なユチョンを泣かす月は
ぼくがつかまえてこらしめてやる!』
私達の知り得ない、エピソードは
苦しいときのものもあれば、
多くを語らずただなみだしながら
抱き合って喜び合ったものもあれば
無邪気にじゃれ合うように、心緩やかに
思いを共有するものなど
10年間で、どれほどのことが積み上げられてきたことでしょう。
ユチョンがファンミで泣きながら思わず語った、
「日本でデビューして、ホントによかった・・・」とのユチョンの言葉に
涙が滲みました。
日本に来て・・ ではなく、です。
日本でのデビュー。
言葉にならないほどの、幾多の苦労があったであろうことは
想像に難くありません。
それでも・・・
確かな歩みと共に、様々な出来事を踏み越え
ここにこうして、存在してくれ得たこと
一生の宝とも言える、「縁」を結び続けてくれていること
彼らがいるということ・・・。
「東方神起」は確かに5人でした。
時が経ち、出来事は上塗りされ、新たにそこに心を寄せるようになった方が
どれほど、過去をさかのぼり、どのように心を動かされ
次の行動にでるのか。
ある意味・・・ 興味深いと感じるところです。。。
人の感覚や感性は本当に十人十色で、
どこをどのように感じるのか、
まかりまちがっても、自分の感性と違うことを
責めたりはできないものです。
それでも・・・
人の道、だとか
世の理、だとか
単なる「好き」を越える何かを
この人達の歩みや人生に起こったことには
感じずにはいられない、自分がおります。
そして、そう感じるのが
一人ではなかったということ・・・。
あの
混迷を極めた、分裂騒動の際
本当はもうだめなんじゃないのか、と
心のどこかにあったのは
今となっては否定しないところです。
でも、認めるわけにはいかなかった。
だって。
当時はそう思う根拠がどこにもありませんでしたから。
必死でした。
あの5人での笑顔
サイパンで撮影されたオルアバの笑顔や
このブログが生まれたときにタイトルに拝借した、大好きな曲
ジュンスの作った「Picture of You」の美しい歌声とハーモニー
あらゆる5人で作り上げたものを、ファンとして、
守れるものなら、守りたいと。
目に見える現象は、とても厳しく、
その中で奇跡的に届けられる
映画の主題歌「WAMH」や「時ヲ止メテ」に希望を託すことは
生きることにふさわしいくらいの、当時は思いで居ましたから。
でも
一部、こうらしい、
応援するにはジェットコースターに乗るような覚悟で、
ジェジュンが一人で事務所に直談判にいった、
本当は本人達は離れたくないのに、事務所に無理矢理壁を作られている、
頼りになるのはエイベの社長、
ぜってーまけねえー!と言ってくれてるし、
ユノは何度も、ジェジュンに連絡をとろうとした、とカメラマンがいっていた、
ブラックスピネルのおそろいのアクセサリーを肌身離さずつけてるらしい、
様々な。。
本当にいろいろな言葉が、飛び交いました。
ソンユジュンという人が呼びかけた署名に協力もしました。
え?JJYなの?JYJなの?
そこで右往左往をちょっぴりしたこともありました。
「時トメ」が、最後のシングルになった、という事実を受け止めたときには
悔し涙が滲みました。
2010年4月3日 時間が止まりました。全力をかけてきたことが
フリーズしました。
今となっては・・・
不安に思う材料一つ一つが、
「裏付け」であり、「事実の一つ」であったわけで。
6月24日の名古屋ガイシホールにて。
「忘れないで」を歌うジェジュンが、見たこともない表情で
号泣。
ユチョンがそっと寄り添ったとのエピソード。
あの「6月23日」の直後に、ライブでファンに決して悟られることなく
どんな気持ちで・・
歌ったのかと思うと。
JJYとしての活動がはじまり。
見ていられなかった・・2010年のa-nation。
いや、ステージでは相変わらずすてきでしたね。
歌姫あゆが、興奮気味に一ファンになってましたから。
韓国での初主演ドラマ、その撮影のスケジュールの厳しさと
先行きの見えぬ確執への対峙と、心労からの
今の表情や肌の色つやからは想像を絶するほどの
痩せた体と顔色の悪さのユチョンに言葉を失ったのはわずか5年前。
そのときに
ジェジュンとユチョンの体にタトゥーが増えた事実。
刻まれた文字に、二つに確実に道は分かれるのだと
強く覚悟を余儀なくされました。
そこからの、彼ら3人の歩みは
強大な権力への、一寸法師が鬼に立ち向かうような状況に加え
いわれなき誹謗中傷、ネットでの暴力をいかにいなしていくか
業界でのありえない仕打ちに耐えつづけ、
巡ってくるチャンスを、アーティストとしてのスキルをフル回転させ
磨き高め、一つの結果を確実に生み出していく・・・
その繰り返しの中で、「何か」を積み上げてきたこと。
書けば書くほど
混沌としていくのが、
まるで当時のようで・・・
読みづらいことでしょう・・
すみません。。。
何をこのテーマで書こうとしているのか。
価値観の相違や感性の多様性の中で
2009年当時、「東方神起を守りたい」という思いを共通してもつ方は
かなりな数でおられたと思います。
「ブログ」を立ち上げた方も多かったと言えます。
私もその中の一人であるわけですが、
星の数ほどに存在したブログの中で
奇跡の出会いをし、
上記のような、彼らが紆余曲折を経ていく中で
怒涛の流れを共に手を携え、
苦しみ傷つきながらも一つの事実を受け止め
結果「JYJ」に真実を見出すことに至った、
大切な方のお部屋が。
ここでの苦楽を、とことん共にし
支えていただいた方のブログが今日
一つの節目を迎え、
その存在が、その素敵なブログを知っている方の胸の中になった、という日です。
「立ち寄ってくださった方が、ふんわりと優しい気持ちになるような、そんなお部屋にしたい」
そのスタンスが、時にとんがってしまう私の構えを柔らかくなだめてくださいました。
そのスタンスに憧れ、そんなお部屋でありたいと、
今のこのブログの空気感を作っていると言っても過言ではありません。
今日節目を迎えられたのも、決して後ろ向きではなく、
先日の、ユチョンのファンミにて、
あの真っ正直で、ドsで、この数年泣かない男になっていたユチョンが、
会場いっぱいの、そこから日本全国の愛情あふれる「キダリルケ」の文字と
「ひまわり」に、真っ正直に号泣し、先の
「日本でデビューしてホントによかった」に加え
「僕は幸せ者です」
「JYJでまた来たいです」
さらに、「これから時がたくさんたって、いつか、5人で焼酎でも。無理でしょうが」の
言葉をこれまた、真っ正直にさらっとユチョンらしく語った、大人らしい彼の姿に
ジェジュンを軸としたJYJの強固な基盤は揺るぎないものになった、
ユチョンが兵役に行っても、しばし一人でジュンスは堂々とがんばってくれるだろう、等々
「JYJは大丈夫!」という、
愛し続けてきたからこその、前向きな確信がはっきりと手ごたえとして感じられたことが
そこにあったからなのでしょう。
思いは一心同体ほどですので・・・
時を同じくして、私も一つのカテゴリーテーマを
消しました。
記事もすべて。
過去を、彼らの大切にしてきたプロセスを
否定する気はさらさらありません。
それでも、過去があって今があり、そして未来へ続く、
その道が、これからもっと輝いていくであろうという
確信があればこその、節目なのです。
ここで出会ったのだから、
ここで心からのお礼を申し上げます。
ジェジュペンの姉さん。
ユチョペンの私とはまぎれもなく「Soulmate」です。
きみにありがとう
ずっとありがとう
あふれるおもいが
とどくとしんじて・・・
いまどこかで、だれかが
つらいきもちで、ひとりきり
ねむれぬよるをすごしているのなら
そのこころに ひかりさすまで
よりそって いのるから
Like a Melody and Harmony in love..
ありがとうございます。
ずっと寄り添ってくださって、背中をささえてくださって。
これからも。物語は続きますよね。
これからもどうかよろしく。。。
さすけ姉さん。




夏の空を、より神秘的な空間に演出しています。
ブルームーンというんですね。
「月」といえば
どうしても個人的に、ユチョンを思うんです。
月にまつわるエピソードが
とても彼ららしいと思い、
ずっと印象に残っているから何ですね。
・・・ 月を眺めて涙をながしていた
ユチョンを見て。。。
その、言いしれぬ思いを汲み、寄り添うように
思わず笑顔にするためなのか、慰めるためなのか
ジェジュンが言った言葉
『ぼくの大事なユチョンを泣かす月は
ぼくがつかまえてこらしめてやる!』
私達の知り得ない、エピソードは
苦しいときのものもあれば、
多くを語らずただなみだしながら
抱き合って喜び合ったものもあれば
無邪気にじゃれ合うように、心緩やかに
思いを共有するものなど
10年間で、どれほどのことが積み上げられてきたことでしょう。
ユチョンがファンミで泣きながら思わず語った、
「日本でデビューして、ホントによかった・・・」とのユチョンの言葉に
涙が滲みました。
日本に来て・・ ではなく、です。
日本でのデビュー。
言葉にならないほどの、幾多の苦労があったであろうことは
想像に難くありません。
それでも・・・
確かな歩みと共に、様々な出来事を踏み越え
ここにこうして、存在してくれ得たこと
一生の宝とも言える、「縁」を結び続けてくれていること
彼らがいるということ・・・。
「東方神起」は確かに5人でした。
時が経ち、出来事は上塗りされ、新たにそこに心を寄せるようになった方が
どれほど、過去をさかのぼり、どのように心を動かされ
次の行動にでるのか。
ある意味・・・ 興味深いと感じるところです。。。
人の感覚や感性は本当に十人十色で、
どこをどのように感じるのか、
まかりまちがっても、自分の感性と違うことを
責めたりはできないものです。
それでも・・・
人の道、だとか
世の理、だとか
単なる「好き」を越える何かを
この人達の歩みや人生に起こったことには
感じずにはいられない、自分がおります。
そして、そう感じるのが
一人ではなかったということ・・・。
あの
混迷を極めた、分裂騒動の際
本当はもうだめなんじゃないのか、と
心のどこかにあったのは
今となっては否定しないところです。
でも、認めるわけにはいかなかった。
だって。
当時はそう思う根拠がどこにもありませんでしたから。
必死でした。
あの5人での笑顔
サイパンで撮影されたオルアバの笑顔や
このブログが生まれたときにタイトルに拝借した、大好きな曲
ジュンスの作った「Picture of You」の美しい歌声とハーモニー
あらゆる5人で作り上げたものを、ファンとして、
守れるものなら、守りたいと。
目に見える現象は、とても厳しく、
その中で奇跡的に届けられる
映画の主題歌「WAMH」や「時ヲ止メテ」に希望を託すことは
生きることにふさわしいくらいの、当時は思いで居ましたから。
でも
一部、こうらしい、
応援するにはジェットコースターに乗るような覚悟で、
ジェジュンが一人で事務所に直談判にいった、
本当は本人達は離れたくないのに、事務所に無理矢理壁を作られている、
頼りになるのはエイベの社長、
ぜってーまけねえー!と言ってくれてるし、
ユノは何度も、ジェジュンに連絡をとろうとした、とカメラマンがいっていた、
ブラックスピネルのおそろいのアクセサリーを肌身離さずつけてるらしい、
様々な。。
本当にいろいろな言葉が、飛び交いました。
ソンユジュンという人が呼びかけた署名に協力もしました。
え?JJYなの?JYJなの?
そこで右往左往をちょっぴりしたこともありました。
「時トメ」が、最後のシングルになった、という事実を受け止めたときには
悔し涙が滲みました。
2010年4月3日 時間が止まりました。全力をかけてきたことが
フリーズしました。
今となっては・・・
不安に思う材料一つ一つが、
「裏付け」であり、「事実の一つ」であったわけで。
6月24日の名古屋ガイシホールにて。
「忘れないで」を歌うジェジュンが、見たこともない表情で
号泣。
ユチョンがそっと寄り添ったとのエピソード。
あの「6月23日」の直後に、ライブでファンに決して悟られることなく
どんな気持ちで・・
歌ったのかと思うと。
JJYとしての活動がはじまり。
見ていられなかった・・2010年のa-nation。
いや、ステージでは相変わらずすてきでしたね。
歌姫あゆが、興奮気味に一ファンになってましたから。
韓国での初主演ドラマ、その撮影のスケジュールの厳しさと
先行きの見えぬ確執への対峙と、心労からの
今の表情や肌の色つやからは想像を絶するほどの
痩せた体と顔色の悪さのユチョンに言葉を失ったのはわずか5年前。
そのときに
ジェジュンとユチョンの体にタトゥーが増えた事実。
刻まれた文字に、二つに確実に道は分かれるのだと
強く覚悟を余儀なくされました。
そこからの、彼ら3人の歩みは
強大な権力への、一寸法師が鬼に立ち向かうような状況に加え
いわれなき誹謗中傷、ネットでの暴力をいかにいなしていくか
業界でのありえない仕打ちに耐えつづけ、
巡ってくるチャンスを、アーティストとしてのスキルをフル回転させ
磨き高め、一つの結果を確実に生み出していく・・・
その繰り返しの中で、「何か」を積み上げてきたこと。
書けば書くほど
混沌としていくのが、
まるで当時のようで・・・
読みづらいことでしょう・・
すみません。。。
何をこのテーマで書こうとしているのか。
価値観の相違や感性の多様性の中で
2009年当時、「東方神起を守りたい」という思いを共通してもつ方は
かなりな数でおられたと思います。
「ブログ」を立ち上げた方も多かったと言えます。
私もその中の一人であるわけですが、
星の数ほどに存在したブログの中で
奇跡の出会いをし、
上記のような、彼らが紆余曲折を経ていく中で
怒涛の流れを共に手を携え、
苦しみ傷つきながらも一つの事実を受け止め
結果「JYJ」に真実を見出すことに至った、
大切な方のお部屋が。
ここでの苦楽を、とことん共にし
支えていただいた方のブログが今日
一つの節目を迎え、
その存在が、その素敵なブログを知っている方の胸の中になった、という日です。
「立ち寄ってくださった方が、ふんわりと優しい気持ちになるような、そんなお部屋にしたい」
そのスタンスが、時にとんがってしまう私の構えを柔らかくなだめてくださいました。
そのスタンスに憧れ、そんなお部屋でありたいと、
今のこのブログの空気感を作っていると言っても過言ではありません。
今日節目を迎えられたのも、決して後ろ向きではなく、
先日の、ユチョンのファンミにて、
あの真っ正直で、ドsで、この数年泣かない男になっていたユチョンが、
会場いっぱいの、そこから日本全国の愛情あふれる「キダリルケ」の文字と
「ひまわり」に、真っ正直に号泣し、先の
「日本でデビューしてホントによかった」に加え
「僕は幸せ者です」
「JYJでまた来たいです」
さらに、「これから時がたくさんたって、いつか、5人で焼酎でも。無理でしょうが」の
言葉をこれまた、真っ正直にさらっとユチョンらしく語った、大人らしい彼の姿に
ジェジュンを軸としたJYJの強固な基盤は揺るぎないものになった、
ユチョンが兵役に行っても、しばし一人でジュンスは堂々とがんばってくれるだろう、等々
「JYJは大丈夫!」という、
愛し続けてきたからこその、前向きな確信がはっきりと手ごたえとして感じられたことが
そこにあったからなのでしょう。
思いは一心同体ほどですので・・・
時を同じくして、私も一つのカテゴリーテーマを
消しました。
記事もすべて。
過去を、彼らの大切にしてきたプロセスを
否定する気はさらさらありません。
それでも、過去があって今があり、そして未来へ続く、
その道が、これからもっと輝いていくであろうという
確信があればこその、節目なのです。
ここで出会ったのだから、
ここで心からのお礼を申し上げます。
ジェジュペンの姉さん。
ユチョペンの私とはまぎれもなく「Soulmate」です。
きみにありがとう
ずっとありがとう
あふれるおもいが
とどくとしんじて・・・
いまどこかで、だれかが
つらいきもちで、ひとりきり
ねむれぬよるをすごしているのなら
そのこころに ひかりさすまで
よりそって いのるから
Like a Melody and Harmony in love..
ありがとうございます。
ずっと寄り添ってくださって、背中をささえてくださって。
これからも。物語は続きますよね。
これからもどうかよろしく。。。
さすけ姉さん。




