2015年度がスタートしました。


今年も桜は見事に、自分の生き様を開花させ、そして美しく散って行こうとしています。


本当に、自然の摂理は、粛々として美しく、見るものに無言で何かを伝え教え励まして。


そしてまた、自然とは美しいばかりではなく、時に猛威をふるい人の命さえ・・


そのようなことに思いを馳せると、日々生かされていることを痛切に感じます。



春は、出会いと別れの季節であり。



ジェジュンが、清々しく凛々と、「国防省の軍人」として


国民の義務を果たすため、入隊して1週間が経ちました。



振り返ればこのひと月・・・



彼自身と、彼の周りには


より一層の笑顔と涙と、愛が溢れていました。



たくさんの思いがそこに、ええ、今ももちろん


姿の見えない、「居場所」に思いを寄せ


様々な形の、彼への、そして彼の居場所であるJYJへの


人々の思いの形が、星の数ほどの言葉でも足りないほど


そこに存在することでしょう。


書きたいことは山々ですが、


その中でも、『これだけは・・』という思いを


ツイッターでもお世話になっている、Shiiiさまがブログ記事にて


書いてくださっていたことに 痛く共感しましたので、


お願いをして、ご紹介をさせていただくことにしました。




Siiiさんのブログ 「ジェジュンのメッセージ」


入隊前のインタビューにて


自身の言葉で、まっすぐな瞳で答えていました。

20代で幸せな瞬間3つが
1、SMとの裁判で勝った時
2、日本で JYJが初シングルをリリースした時
3、入隊前に1泊2日 メンバーと過ごせた事





この「3つ」を目にしたときに


ある意味すべてを表している、と。



文字にすれば、たったの3行ですが


なんと、重く、素敵で、胸打ち震えることを表しているのかと。




負けるわけにはいかない、自ら選択した苦闘。


その決意のほどは、まさにその時期に 心臓のある左胸側に施された文字で


表されました。


本当に・・・ 好きなように罵詈雑言やルーマーやレッテルを浴びせられ


八方塞がりな状況に追い込まれ、汚い力でねじ伏せられようとされました。


ええ、SMはその権力と暴力で簡単に屈服させられると高を括っていたでしょう。


でも、彼らは音を上げなかった・・ 守らねばならないものへの強い思いは


巨大組織の陳腐なねらいや欲を 一つ また一つ 跳ね返し、いなし


より一層 その3人を輝かせることに至っていると感じます。




でも


それもこれも 命あってのこと


『 裁判で負けるようなことになったら、こんなことを言ったら両親がいるのに


悲しむから言ってはいけないでしょうが、死んでしまおうかと』


彼を慈しみ 産みの母親以上の愛情を注ぎはぐくまれてきたお母様は


『心で生んだ我が子』とおっしゃいました。


心で生んだ・・・ なんという表現でしょうか。


彼は、自分が簡単には死ねないことを重々知っています。



それは、今まで自分を大切に思い 支え 愛してくれた人たちを思えばこそ。



自分のアイデンティティを誇ればこそ。





・・・その彼が、死のうと思うほど痛め付けられ、何度も心が折れそうになるということが


どういうことであるのか。






ジュンスが・・


今日日本に来ましたね。


名古屋でまた、公演ができるに至ったこれまでの歩みを思い・・


本当に 諦めずに 一途に「歌」への執念とも言える思いをつないでくれたことに


感謝しても しきれない。



『歌を奪われたら生きていけない』と思うほど・・彼は折に触れて語っていました。


それでも、たった一人でも聞いてくれる人がいたら歌いたい、とも。



どれほど・・・「モーツァルト」との出会いは運命的であったことでしょう・・。



「 僕こそ音楽 」 まさに ジュンスを表す歌ではないでしょうか。




今のユチョンを支える 転換期的な作品「成均館スキャンダル」との出会いも。


その作品との出会い、出演を懇願したこと、演技におけるワークショップの過程


当時の置かれた状況と 撮影に追われる日々・・身近で見たわけでもないのですが


肉体的にも精神的にも追い込まれていたのは必至でしょう。


それでも、オフショットの彼の笑顔は、言葉以上に雄弁に


苦しみよりも充実感を物語っているようでした。



・・・ソンギュンガンとの出会いは、生きる希望ともいうべきものではなかったかと。


それは後に、彼の「命を懸けて守りたい」と思うほどの、弟・ユファンの未来をも開くことに


もつながりましたので。


兄の演技指導の様子をみて、何かが変わる手応えを感じたと


後にユファン君は言っていました。




今、ユチョンは、自身の入隊前の最後の作品の中で輝きを放ち


「ムガク」として生きています。









「命懸け」とは、本当は容易く言葉にすべきでないことです。



それでも・・・


その人を切実に、大切に思い、心から失いたくないと思うのなら、



できうるかぎりの感性と想像力をはたらかせ、どれ程の苦悩と苦労を味わってきたか、


慮るべきだと思います。



また、彼らが、なぜこれほどに愛されながら、日本での公演やTV出演が不自由でままならないの


か、まだ十分に知り得ておられない方がいらっしゃいましたら、


彼らの身に何が起こってきたかについて、冷静に目を向け、


ぜひ理解していただければと思うのです。



そして、私たち自身も、彼らがどんな試練を、いかようにして闘って乗り越え、いなし、


新たな道をこじ開けてきたかを忘れないように、時折紐解くとよいのではないかと思います。




JYJThereRooms さまより。 JYJの真実

そのページの右側の「カテゴリー」よりそれぞれの記事を開かれると良いかと思います。




彼らからの言葉には


いつも私たちへの無償の愛が溢れています。



言葉にできないときには 歌にしてくれました。



音楽に乗せる、歌手としては最高の手段ですね。



自分の夢や苦悩や、希望、愛情、そして決意



メロディに乗せられた歌詞は 



語る以上に雄弁に、心にスッと入り



記憶に刻まれます。



「少年の手紙」や「You're」の歌詞は、それでも信じてともに歩んだ私たちへの究極の愛



「Wake Me Tonight」リリースは、なんとしても叶えたかった私たちへの最高のプレゼント



こんな風に思ってくれる



彼らにいつまでも、「僕らの大切な存在」と言ってもらえるようなファンでいませんか?



愛し愛され



お互いが無理をせず、されど惜しみ無く、慈しみ愛し合うことができれば



何より 幸せ。






しばらくは



少し 寂しい日々でしょう




それでも



ゆっくりと 折に触れ



ここで、ぽつぽつと



彼らを思って 形としては届かぬ手紙のような言葉を



心は 思いは きっと通じると信じて



綴っていきたいと 思います。





タイムリーな記事を書くことができなくてすみません。






今日はいつにも増して


うまく言葉にできなくて・・。




それでも 様々な思い出の詰まった


3月から4月にかけての時期だからこそ



綴りたかったので。




・・・ 活動休止の報に 凍り付いたあの4月


・・・ 日本が悲しみに打ちひしがれた3月 
    沈痛な面もちで言葉をくれた彼らの心がありがたかった

・・・ 大好きな彼にとって、身を切られるほどの悲しい別れのあった3月

・・・ オープニングのムービーから、彼らの言葉に号泣し、時の流れの残酷さと
    自分たちの無力さを思い知らされながらも、彼らの歌と笑顔と共にまた
    未来が輝くようにと併走を決めた 4月のドームライブ


・・・ 去年の今頃は、映画並みにスケールの大きなドラマ作品に胸躍らせて夢中で
    パソコンの前に座り


・・・ そして JYJの長兄の大きな一歩を見送り。




これからも ここは



JYJと共にあります。