今日も、ブルームーンの余韻をたたえた


優しい夜です。



昼間の酷暑が 夜の帳に影をひそめ



秋の虫の声に... 耳を傾けながら




綴っています。




様々な   声




あえて「言葉」としなかったのは



「声」が、音声をはじめ、



言葉なき声や 歌声や そこに込められたものを



大切に包み込みたかったり




また 逆に




そこに込められた 



悲しい思いを整理し、消去したかった...のも



あるのかなと。




『 傷つけられたら牙をむけ 自分をなくさぬために・・・ 』


かつて大好きだったC&Aの「YAH!YAH!YAH!」の歌詞に


こんなワンフレーズがありました。



そういう場面も必要なこともあるでしょう。



嫌なものは嫌。 駄目なものは駄目。



はっきりと物申すことも 人生において必然であることも



当然あるかと思います。



それがすらりとできる方と



そうでない方と、 いろいろでしょう。



私なども・・・ はっきりと言えず、何度も自己嫌悪に陥ったり



悩んだりしたことが多々あります。






でも




今は、そんな自分も そんなに嫌ではなくなりました。



はっきりと物申す。



声をあげて 言葉として伝える場面もあれば



そうではない、声なき声を 行動で表せばより伝わることを覚えたし



視線一つで、人様に強烈に伝わることも経験したり、



優しく たくさんの思いを込めて



きゅっと肩を抱きしめることで




相手の緊張や様々な感情の糸がたちまちほどけるのを感じたりもしました。






自己主張をするシチュエーション



いつ 誰に対して どう伝わるかを考えて


結果どうなるのかを見通して




意思表示をしていますか?





その声に



どれほどの影響力があるかを



深く思考したうえで




表出してますか?




届ける手段として「声」や「言葉」を駆使する際、



そこに思いやりや 共生社会の一員としての責任感が



込められていますか?





また




発せられる




膨大な声を



どんな自分が  どんな状態で



どう処理していくつもりで




受け止め、受け入れ、 自分の中のものとして統合し




結果、自分が発信していく材料としていますか?




飛び交う情報や 様々な声には



優しいものばかりではありません。



優しい面をして とんでもない刃物を忍ばせている



甘い面をして  悪魔が舌を出している



そんな 素晴らしい細工を施されたものが



ごまんと存在するのです。



自分というものをしっかりともち、



大切にしたと思うものの 本質を見据え



賢く 冷静に ゆっくりと



吟味し、判断し、選び取っていく



広い視野と 深い思考があれば



だいじょうぶ。。。




そして、



「自分を大切にすること」と「相手を思いやること」が



同列、同質であることが 望ましいと思われます。



このバランスが 案外難しい・・・。



人間の欲望は限りなく、



だから「克己」だとか


「 己の敵は自分 」などという言葉が存在するわけで





「 すきなだけ おもったように いいたいことを 



なんのためらいもなく いう 」





果たして こんなことが万人に 通用して



共に生きる社会を スムーズに構築していくことができるでしょうか・・・










様々な 情報や 我欲に満ち満ちた 目や耳を覆いたくなるような



声に 翻弄されるのか








今までの自分も



これからの自分も





黙して語らずの姿勢を貫きながら



肝心なときには



磨かれた感性により 選ばれた



詩のような言葉や



熱い思いの込められた



ストレートな表現や



私たちが 相手の姿を反映するように



継続してきたことへ



労いを込めた 深い愛情の添えられた



温かな声や




苦しい気持ちを くすぐるようにほぐすように



ユーモアと楽しい空気感を満載した、「やりとり」や




そして そして・・・



思わず涙するような 



「歌声」を




・・・ そうそう




最も 大切な要素として



voice of themselves...



どれほど 迷い ため息をつくような状況が渦巻いても




彼ら自身の 「声」に




一筋の光を見出し



ここまで歩んできたかを



改めて認識しました。




・・・時に深すぎて読み取り切れないこともあるけれど
その賢さと、慈愛の深さに尊敬の念を禁じえない
ジェジュンの言葉の花束


(Twitter和訳;JYJTheirRoomsさまより)


kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss 6月22日

自分の価値がなにか知らず
ただ生きてる人は悲しいね。

僕たちは本当に幸せな存在だっと思わない?

*ここまで日本語。

다들 너무 고마워요(≧∇≦)↓
みんな本当にありがとう(≧∇≦)


kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss 6月22日

夢を叶えるために頑張る"人"
その"人"のために情熱分けてあげる"人"

どのような"気持ち"が繋がるからでしょ…
そして、お互いその"気持ち"に"感謝"する…

人の気持ちに感謝する人は
自分の価値も分かる人でしょ。なんてね

(日本語)




kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss 6月20日

"永遠"と言うのは信じてないけど…
雨が降る時一緒に落ちる"記憶"だけは否定できない"永遠"かもね…

(日本語)


kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss 6月20日

会いたい
歌いたい
笑いたい
感じたい

(日本語)


kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss 6月6日

유천이 생일즐거웠어^^
사랑하는 내 동생☆ pic.twitter.com/Mb4Tbm0nYz
ユチョンの誕生日楽しかった^^
愛するオレの弟☆



$Picture of   " SOULMATES "



2013/04/08(月)

いつも周りにありがたい方々が多くいらっしゃるので、僕がさらに輝き、僕たちがより輝くと思います。一人一人の方々に一言ずつ伝えることできませんが、その貴重な努力と心は忘れず感謝いたしております~ もし、この文をお読みになり、自分のことだと思う方がいらっしゃったら、間違いなくあなたのことです。ありがとう^^

↓の訳です。

kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss ジェジュン

항상 주변에 감사한분들이 많이 계셔서 제가 더빛날수있고 우리가 더빛나는것같아요 .
한분한분께 한마디씩 다 전해드릴순없지만 그 소중한 노력과 마음은 잊지않고 감사하겠습니다~혹시 이글을 읽고 본인이라생각하시는 분들이 계신다면 바로 당신입니다.감사해요^^

2013年4月7日 - 23:26



kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss ジェジュン

ごめん。眠くて日本語ヘタクソー(T . T)
とにかく…皆ありがとー(T . T)

2013年4月5日 - 2:19 (日本語のツイ) 15:42



kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss ジェジュン

ひとりだけじゃつくれない事…
ひとりじゃないからこわくない…
どこでも良かった。
皆の声が聞けて良かった。
皆のナミダや微笑みが見れて良かった…
皆の本当にありがとー

2013年4月5日


kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss ジェジュン

僕たちはまだ不透明なミライの上に置いている。まだ不完全な世界の中…またいろんな起きていろんな事と戦う…繰り返しの繰り返し。でももうこわくない!
どん事が起きても時間がすぎても
変わらない事を見つけたから。
それは"信頼"て言うのだ…

2013年4月5日 - 2:09 (日本語のツイです)



(翻訳機使用)

kimjaejoong ‏@bornfreeonekiss 4時間(8月22日)
정신이 최고로 활발하게 움직이고,잊어버리는 것이 가장 적은 순간에 사람은 가장 강렬한 기쁨을 느낀다.이것이 바로 자신이 누리는 참된 행복인지를 시험할 수 있는 가장 좋은 방법이다


精神が最高に活発に動いて、忘れることが最も少ない瞬間に人は最も強烈な喜びを感じる。これがすぐに自身が享受する真の幸福なのかを試験できる最も良い方法だ。




・・・・ ちゃんと
どんな思いで待っているかを十分すぎるほどに感じ取ってくれて
その「時」が来た時に、ストレートな表現で届けてくれた声に
全ての憂いが飛んだ一昨昨日・・
愛して止まない、ユチョンの男気


$Picture of   " SOULMATES "



そして、
この子から「歌声」を奪ったらきっと
生ける屍となってしまうでしょう・・と思わせる
さらに、この「歌声」と小鳥の声との絶妙なコラボに
理屈抜きで先ほども涙した
ジュンスの声












そう・・・


彼ら自身から発せられる声に


ちゃんと 自分自身の受け皿のセンサーが反応し



背筋を伸ばして、辺りをゆっくりと見渡す心のゆとりと


豊かさを取り戻してもらえる この幸せ。







そして



この 光景を見て



どこの だれが 苦悩と 拘束感を 



隠し抱いているというのでしょうか・・・・・











わたしたちは



単なる 彼らのことを大好きな 



「ファン」に過ぎません。




実質的な 


家族でも


彼女でも


保護者でも


仕事のパートナーでも


ありません。


なんら立ち入る権利もなければ


好きでなくなったのに


応援する義務も


ありません。




自分の理想の形の アーティストでなくなれば



だまって離れれば良いわけで



三流のゴシップ記事を書く


えせジャーナリストがごとく


物知りぶって あれがどうだ これはこうしたほうが


などと



言える立場ではないと、私は思います。





事実を知りえるのは


本人たちと


ごく近しい方たちのみで



単なるファンは 立ち入るべきではないと



個人的に考えます。



彼らから発せられる 温かい言葉や


深遠な言葉を受け止め



感性を共有できる喜びを認識できる



人間性を持ち続けられるように



日々の実社会での暮らしに真摯に対峙し



人としての資質を磨いていくほうが



何倍も幸せではないでしょうか・・・。





彼らの選択を尊重し、支持していく。



生き方を尊敬し、彼らの紡ぎだす芸術作品を


愛でていく。



それのみです。









傷つけられても 簡単には牙をむかないお年頃になりましたが




信念をもって 共にあろうとする構えを




「事務所ペン」だの「枠ペン」だのと


勝手に低俗な表現で 勝手にレッテルを貼ってくれるな、と


少しだけ 毒を吐きつつ



(どんどん・・・大好きな人との距離を自分たちでつくっていることへの
憐れみを感じながら。。。)




あの時に



5から3への 静かなる、いや激動といえる移行の際に



MAZEに投げ込まれながらも



とうとう、こうして寄り添う道をかき分け見出した



自分たちであり続けられるように




これからも共に・・・。





彼ら自身の声に



しっかりと 寄り添っていきませんか?








$Picture of   " SOULMATES "