早いもので、今週末は3月ですね・・・
一年のうちの2ヶ月がすでに過ぎようとしています。
でも、それぞれの道をすすむべき
それぞれの「挑戦」が
行われるのもこの時期かと。
大学入試、各国家試験、そして3月には高校入試・・・。
それぞれの挑戦が身を結びますよう、
しっかりと力が発揮されますよう
お祈りいたします。
ところで
わたしの職業にも関わるのですが
「言葉」
なくてはならないものですね。
あ、音声による言語だけではなく
意志や情報のやりとりには
非言語的な言葉もあり、
それは「目は口ほどにものを言う」などということわざもあるほど
手話や、点字、具体物を指さしたりすることでも伝わるし
カードコミュニケーションというものもありますね。
堅い話をするつもりはありません。
みなさんは
どんなふうに自分以外の人と やりとりをしたいですか?
『めんどくさいから、しゃべりたくない』という時もあるかとは思います。
しゃべりたくないときには 黙っている。
これは十分に意思を伝えることになりますし
まあ、心配をかけることがあるかもしれませんが
それほど相手に不快な思いを抱かせる可能性としてはそう高くはないかなと・・。
(ケースバイケースではありましょうが・・)
わたしはですね。
いろいろ・・ですが
やはり、「言葉の力」が 「言葉の暴力」になるところは
あまり見たくない、そうさせたくない、という
ふにゃふにゃした自分にしては、強い信念を
心の奥のみえない箱の中においています。 いつも・・・。
『じぶんなんか、うまれてこなければよかったのに!』
究極に悲しい言葉を
ある場面で対峙することが何度かありました。
でも
この言葉を発することは、
今思うのに、
『見てよ! 愛してよ! ここにいるよ!』って
きちっと言ってくれてること。
手遅れでは決してない、体中に愛を受け止めようとしている状態。
その時に、どんなご縁があるのかないのかで
その人のその後の生き方が自ずと
分かれていくわけで。
温かな言葉。
リアルな生活の中で、
相手の視線や、体温や、漂う空気感から伝わる
言葉なき言葉
それに加え、
音声としての、やわらかくて優しい響きのある言葉が
たくさんじゃなくていい、
たった一言でも添えられると
『自分はここに居ていいんだ・・・』と
ほんの少しでも そんな思いになってくれたら
傍にいた人も 一緒に 泣けるほどに
柔らかくてあったかい気持ちになりますよね。
難しいのが
ここ。
ここなんです。
数年前、研修先で 「ネットいじめ」のことを考察した
発表を聞いたことがあり
ごく普通の、生活をしている方であっても
罪悪感が薄い、というデータを見せられ
愕然とした覚えがありました。
世の中が便利になるということは
様々なリスクも背負うという事実を
忘れてはいけないのです。
リアルな社会で
コミュニケーションをとることに苦手さのある方が
ネット社会では雄弁に言葉を語り、
心あたたまる詩や 世の中への呼びかけを行ってくださること
これは、その人もそれに触れた人も 幸せな気持ちになるでしょう。
でもそれが願わくば
リアルな社会に一歩踏み出せる糧となるような
ここを通じてつながった縁が リアルに支え合える縁につながってほしいと
おせっかいなおばさんは 世の中の片隅でそのように思うわけで。
・・・・・・
ツイッターも
facebookも
情報伝達がスピーディで
遠くにいる方とも瞬時につながるありがたさ
でも
本当に
不特定多数の万人に
拡散していく怖さももちあわせていることは
周知のとおりです。
温かくて 優しい言葉の 裏返しの言葉・・・
『・・・ コウゲキスルタメニ ブログヲタチアゲタ・・・』
どうして・・・ ここまでの言葉を配信できるのでしょうかと
ため息のでる言葉の数々。
(もっとも・・これは表のはなし。裏サイトとやらはいったい・・)
ここにいたるまでの パーソナリティのバックボーンにまで
思いを馳せるには限界がありますし、その必要はないのが
ネットの中での「袖すり合う縁」でしょう。
が、しかし です。
その状態の人を どうにかしようとか
「目には目を、歯には歯を、言葉には言葉で」との
手段は、大切な時間と体力を
捧げることになります。
大切なものを守りたい・・・
では、最終的な目標なり 求める姿とはいったいどのような
ものでしょう。
大切な人に 恥ずかしくない
パーソナリティをもつ 自分でありつづけること
日々リアル社会で それぞれの抱える重いものと
対峙していくこと
その中から生まれる喜びを
共に生きる人と共有していくこと
そして、
いわば 「垂れ流し」状態のこの場では
自分の言葉に 責任を持つこと
できれば
「袖すり合う縁」であっても
心地よい風に吹かれたような
言葉を選びたいものだと
一個人の
単なる小さな主張。
「剣」と化した言葉を
思わず笑みがこぼれるような言葉で
ふわっと包みたいものです。
とても・・ とても困難なことなのかもしれないけれど。
なので
もう3度目かな?
やはり、JJの読んだこの詩の力を借りたいと思います。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
あい 谷川俊太郎
あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない
あい はるかな過去をわすれないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること
「みんなやわらかい」より
(Yutcho Mickyさまよりお借りいたしました。ありがとうございます。)
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
くりかえし くりかえし 考え
命をかけて生きる
そうすれば 言葉は剣にはならないのかな・・。
あなたが 大切って
たくさん言ってもらえる
つながりが だれにでもできると いいのにね・・・。
明日は、いや 今日になりましたね。
7万人のお客様と
5000万人の国民が
見守る中での
一つの節目を迎えますね。
彼らはいつもどおり
凛として
国民を代表する選ばれしアーティストとして
一つの責任をしかと
果たすのみ・・・
今日は・・
思うところがあり、ながながととりとめのないお話になってしまって。
お付き合いくださいました皆さま
どうもありがとうございました。
明日もいい日でありますように・・・☆彡
おやすみなさい。
一年のうちの2ヶ月がすでに過ぎようとしています。
でも、それぞれの道をすすむべき
それぞれの「挑戦」が
行われるのもこの時期かと。
大学入試、各国家試験、そして3月には高校入試・・・。
それぞれの挑戦が身を結びますよう、
しっかりと力が発揮されますよう
お祈りいたします。
ところで
わたしの職業にも関わるのですが
「言葉」
なくてはならないものですね。
あ、音声による言語だけではなく
意志や情報のやりとりには
非言語的な言葉もあり、
それは「目は口ほどにものを言う」などということわざもあるほど
手話や、点字、具体物を指さしたりすることでも伝わるし
カードコミュニケーションというものもありますね。
堅い話をするつもりはありません。
みなさんは
どんなふうに自分以外の人と やりとりをしたいですか?
『めんどくさいから、しゃべりたくない』という時もあるかとは思います。
しゃべりたくないときには 黙っている。
これは十分に意思を伝えることになりますし
まあ、心配をかけることがあるかもしれませんが
それほど相手に不快な思いを抱かせる可能性としてはそう高くはないかなと・・。
(ケースバイケースではありましょうが・・)
わたしはですね。
いろいろ・・ですが
やはり、「言葉の力」が 「言葉の暴力」になるところは
あまり見たくない、そうさせたくない、という
ふにゃふにゃした自分にしては、強い信念を
心の奥のみえない箱の中においています。 いつも・・・。
『じぶんなんか、うまれてこなければよかったのに!』
究極に悲しい言葉を
ある場面で対峙することが何度かありました。
でも
この言葉を発することは、
今思うのに、
『見てよ! 愛してよ! ここにいるよ!』って
きちっと言ってくれてること。
手遅れでは決してない、体中に愛を受け止めようとしている状態。
その時に、どんなご縁があるのかないのかで
その人のその後の生き方が自ずと
分かれていくわけで。
温かな言葉。
リアルな生活の中で、
相手の視線や、体温や、漂う空気感から伝わる
言葉なき言葉
それに加え、
音声としての、やわらかくて優しい響きのある言葉が
たくさんじゃなくていい、
たった一言でも添えられると
『自分はここに居ていいんだ・・・』と
ほんの少しでも そんな思いになってくれたら
傍にいた人も 一緒に 泣けるほどに
柔らかくてあったかい気持ちになりますよね。
難しいのが
ここ。
ここなんです。
数年前、研修先で 「ネットいじめ」のことを考察した
発表を聞いたことがあり
ごく普通の、生活をしている方であっても
罪悪感が薄い、というデータを見せられ
愕然とした覚えがありました。
世の中が便利になるということは
様々なリスクも背負うという事実を
忘れてはいけないのです。
リアルな社会で
コミュニケーションをとることに苦手さのある方が
ネット社会では雄弁に言葉を語り、
心あたたまる詩や 世の中への呼びかけを行ってくださること
これは、その人もそれに触れた人も 幸せな気持ちになるでしょう。
でもそれが願わくば
リアルな社会に一歩踏み出せる糧となるような
ここを通じてつながった縁が リアルに支え合える縁につながってほしいと
おせっかいなおばさんは 世の中の片隅でそのように思うわけで。
・・・・・・
ツイッターも
facebookも
情報伝達がスピーディで
遠くにいる方とも瞬時につながるありがたさ
でも
本当に
不特定多数の万人に
拡散していく怖さももちあわせていることは
周知のとおりです。
温かくて 優しい言葉の 裏返しの言葉・・・
『・・・ コウゲキスルタメニ ブログヲタチアゲタ・・・』
どうして・・・ ここまでの言葉を配信できるのでしょうかと
ため息のでる言葉の数々。
(もっとも・・これは表のはなし。裏サイトとやらはいったい・・)
ここにいたるまでの パーソナリティのバックボーンにまで
思いを馳せるには限界がありますし、その必要はないのが
ネットの中での「袖すり合う縁」でしょう。
が、しかし です。
その状態の人を どうにかしようとか
「目には目を、歯には歯を、言葉には言葉で」との
手段は、大切な時間と体力を
捧げることになります。
大切なものを守りたい・・・
では、最終的な目標なり 求める姿とはいったいどのような
ものでしょう。
大切な人に 恥ずかしくない
パーソナリティをもつ 自分でありつづけること
日々リアル社会で それぞれの抱える重いものと
対峙していくこと
その中から生まれる喜びを
共に生きる人と共有していくこと
そして、
いわば 「垂れ流し」状態のこの場では
自分の言葉に 責任を持つこと
できれば
「袖すり合う縁」であっても
心地よい風に吹かれたような
言葉を選びたいものだと
一個人の
単なる小さな主張。
「剣」と化した言葉を
思わず笑みがこぼれるような言葉で
ふわっと包みたいものです。
とても・・ とても困難なことなのかもしれないけれど。
なので
もう3度目かな?
やはり、JJの読んだこの詩の力を借りたいと思います。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
あい 谷川俊太郎
あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない
あい はるかな過去をわすれないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること
「みんなやわらかい」より
(Yutcho Mickyさまよりお借りいたしました。ありがとうございます。)
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
くりかえし くりかえし 考え
命をかけて生きる
そうすれば 言葉は剣にはならないのかな・・。
あなたが 大切って
たくさん言ってもらえる
つながりが だれにでもできると いいのにね・・・。
明日は、いや 今日になりましたね。
7万人のお客様と
5000万人の国民が
見守る中での
一つの節目を迎えますね。
彼らはいつもどおり
凛として
国民を代表する選ばれしアーティストとして
一つの責任をしかと
果たすのみ・・・
今日は・・
思うところがあり、ながながととりとめのないお話になってしまって。
お付き合いくださいました皆さま
どうもありがとうございました。
明日もいい日でありますように・・・☆彡
おやすみなさい。
