こんにちは。


やることたくさんあるのですが・・・


神様、許して! あとから頑張るから!・・・(なんのこっちゃ。)



どうしても今日はこのことについて 書かせていただきたく



最近ツイでつながってくださいました、Ryokoさんのおかげもあり



アイロン掛けをおいといて 記事を書く事にいたしました。




Cjes社代表 ペク・チャンジュ氏


実は顔と名がきちんと一致したのは 初めてで。


$Picture of   " SOULMATES "



・・・この2年間



いったいどんな精神状態で越してきたのでしょうか。



強く、男気のある方だと拝察いたしました・・・。



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「KOREA JOONGANG DAILY」
JYJ personifies the vision of agency executive
[INSIDE K-pop] 5. C-JeS Entertainment
Oct 11,2012
By Carla Sunwoo, Yim Seung-hye [sharon@joongang.co.kr]

元記事は→ こちら


こちらの記事を Ryokoさんが丁寧に訳してくださいました。

転載の許可をいただきましたので、ご紹介いたします。

RyokoさんのTwitter


JYJが体現する社長のビジョン


[K-POP内部事情]5.C-JeSエンターテインメント
2012年10月11日



 芸能事務所は、通例、他の事務所の「離脱者」を救済するためには創立されない。特に前事務所から「反逆者」とみなされている人たちのためには。しかし、まさにこのためにC-JeSエンターテインメントは2009年12月に操業を開始した。

 3人の男性からなるグループ、JYJにはありがたいことだった。
 「彼らに会って、人間として気に入りました」と社長のペク・チャンジュは言う。
そして彼は、メンバー3人に前事務所との決裂のために「もう一度始める」ことになると告げた。
「新人のようにすっかり最初から始める心づもりをしなければならない。人気に関して、彼らが享受していたところからやり直せるという考えで再出発すべきでないと伝えた」とペクは言う。
 ペクの計画は、グループのファンベースを無から再構築することだった。そして同時に、JYJを、個々のパフォーマーとしても売り出していく方向にも向かわせた。

 ペクは、最初にキム・ジェジュン、パク・ユチョン、キムジュンスと、「JYJにとって最悪の時」に出会ったことを回想する。
 2009年半ば、JYJを形成する3人の東方神起メンバーは、所属していたSMEに対して訴訟を起こし、13年契約と排他的な契約体系、収益配当は一方的に不利益」なものだと主張した。



恵まれた状況


 2009年、法廷が独立して芸能活動へ従事するJYJの権利を確認し、SMEとの契約効力を停止させる履行命令を認めても、JYJは業界のネットワークによる支えを失い、自力でやっていくためのマネージメントの経験にも欠けていた。
 そして彼らは芸能業界のベテラン、ペクに会い、C-JeSエンターテインメントが生まれた。
 新しい拠り所が作られると、グループは最初の仕事に取りかかった。英語によるデビューアルバムを発表することで、これはK-POPグループによる初の試みだった。
 そのときから、JYJはもっとも大きなファンクラブをもつことで「ギネスレコード」に載った。  (←?)
 グループは、カニエ・ウェストやロドニー・ダークチャイルド・ジャーキンスらとコラボレートした。
 
 そして、ペクの最初の戦略は、完璧に機能した。3人は、JYJとして活動するときと同じほど、個人活動でも成功したのだ。
 単に空き時間に演技に首を突っ込むのではなく、彼らはさまざまなジャンルで信頼できるパフォーマーになろうと熱心に努力した。

 キム・ジェジュンにはK-POP歌手の中で最も多くのファンがいる。今年だけでも、中国、日本(←?)、トルコへ行き、韓流スタートリオの一人を一目見ようとやきもきする数千もの人々を引き寄せた。
 「ジャッカルが来る」の公開を前にして、キムは、南アメリカでもっともセクシーな男にファンの投票で選ばれ、来月末にかけてアジアでのファンミーティングツアーをスケジュールに押し込でいる。

 一方、パク・ユチョンは歌手から俳優への転身に成功した。「成均館スキャンダル」でデビューを果たし、今年は、朝鮮王朝の皇太子と現代のビジネスマンの二つの役を消化する、受賞者にふさわしい演技を「屋根部屋の皇太子」で披露した。その結果として、Paeksang Arts Awardsで栄誉に与った。

 グループの3人目のメンバー、キム・ジュンスは、ミュージカル「モーツァルト」、「エリザベート」で主演し、5月にソロ・アルバム「Tarantallegra」をリリースした。

 2010年にアメリカでワーナー・ミュージックと協同したことは、予期されない、偶然に導かれた動きだった。それは、韓国での業界ネットワークが限られていることが主な理由だった。
 「こう見えて、実際に恵まれていました」とペクは言う。
 当時、事務所によると、You Tubeが非常に盛り上がり、相互的な媒体(※SNSなど)を通して、アルバムは世界中のK-POPファンに受け入れられ、大ヒットした。
 韓国では、アルバム発売前に45万枚以上の予約があった。そしてアメリカでは、ビルボードがその年もっとも期待されるアルバムの5番目にランクづけた。
 音楽界の大物ウェストとジャーキンスは、このコラボ―レーションを「アジアのアーティストとコラボした中でもっとも意義深い成果」だったと述べることで、JYJを推奨した。

 JYJが韓国の枠を超えてそのベースを広げるにつれ、他の地域でも同じような成功に出くわすことになった。昨年、ヨーロッパ、南・北アメリカの15都市で公演し、ワールドツアーで総計21万もの人々を集めた最初の韓国人グループとなった。
 
「K-POPアーティストと事務所の多くは、地元オーガナイザーに信頼できると認められる必要があるため、新しい領域に挑戦しようとしません。それは高くつくのです」とペクは言う。
 しかし、JYJが、この挑戦が報われることになると知るのに、長くはかからなかった。「ペルーに降り立ったとき、そこは熱狂の渦でした」C-JeSの広報部長イ・モニカは言う。彼らに会おうと、3,000人以上のファンが空港にいた。そこにさらに1,000人が加わり、彼らの泊まったホテルの周りに集まった。



信頼性の確立


 JYJがK-POPグループとしての足場を回復するように見えたとき、(社長が推奨した)目標は、信頼性のあるブランドネームの確立であり、それは安くも容易でもなかった。
 「悪い情報を流すメディアばかりなので、我々は信頼できるイメージを確立するために努力した」とペクは言う。

 アメリカでのJYJの出演がビザの問題で中止されたとき、事務所は全額払い戻しをし、後に無料でコンサートを行った。
 「15億ウォン(130万ドル)かかったのですが、JYJがファンを大切にしていることを証明するために、我々は決断したのです」とペクは言う。

 「一番重要な点は、我々がアメリカでアーティストしての信頼性を失うわけにはいかないということでした

 ほとんどの事務所がそうは行動できなかっただろう。C-JeSの決断は、ペクによるグループの長期目標に立ち戻ることだった。
アメリカのプロモーターと業界関係者は、これを目に留めた。
 勇気ある行動で、JYJはさらなるファンを獲得し、アメリカの業界ネットワークに足を踏み入れる道が開かれた。

 「キャストやスタッフのあいだで、JYJはプロフェッショナルだという話が持ち上がった」間違いなく、この行動と得られた支持者は、今年、ハリウッドでキム(・ジュンス)がソロアルバムのレコーディングをし、ミュージック・ビデオを撮影したときの助けになった。

 満足を生み出し、広げていく先駆者のように、C-JeSはグループの評判を厳密に管理している。同意なく写真を使われないよう、弁護士世宗と協力して、JYJのイメージをモニターしている。
 そして、ブランドやイメージを厳密に守ってきたために、グループは市場関係者の夢そのものになった。
 「ある意味では、テレビ出演が少なければ少ないほど、企業はコマーシャルで目玉にしたがるんです」メディアの動きを観察するイ部長は言う。「テレビや雑誌でグループを見ることが難しいので、ある意味、広告業者からの信頼性を高めています」
 最近では、JYJはグループとして、または個人で、化粧品、薬品、ビデオゲーム、免税店、IT商品の促進をする契約をしている。



「マルチプレイヤー」になる


 「時が変化する中で、エンターテイナーは多方面に才能を持ち、すべてのことをやってみる必要があるのだと、私は最初から強調してきました。そして、彼らには、異なったことをやってみろと常に話してきました」キム・ジェジュンとパク・ユチョンに俳優業を、キム・ジュンスにミュージカルを薦めたペクは言う。

 「実際に、もうコンサートからDVDを作るだけでは十分ではないのです」とペクは説明する。
 彼は、K-POPの流動的な環境の中で、C-JeSは「満足を与える供給者」としてのニッチを埋めていくことを強調する。
 事務所のトップ(ペク)は、タレントと長い時間を使って対話し、新しいコンセプトを試す自由を与えているという。
 彼らが話し合った多くの物事のうちの一つは、未来の才能を発掘することであり、先月末、ロサンゼルス本部でオーディションが行われた。
 「しかし、これからすることについて、我々は堅実にいく」そう言うイ部長は、事務所は次から次へとアイドルグループを製造することには興味がないと付け加えた。 それでもC-JeSが、より活発に新しいグループを作ろうと決意するなら、必要なものはすべてそろっている。ただ1つのグループのために設立された会社の強みの一つだ。

 現在、C-JeSの40人ほどの従業員は、JYJを主要な仕事であり収入源だと誇りをもっている
ある意味では、C-JeSは、JYJが「アイドルグループの発展型」として、大物に、有力者となることで、道が開けることを信じているのだ。



他に見られないファンサービス


 格別な質の管理とともに、C-JeSはファンにきちんと対処する重要性も理解している。
 6月JYJは、会社によると約37億ウォンかけて、「メンバーシップウィーク」と名づけたファンイベントを行った。
 6月28日から7月1日にかけて、「メンバーシップウィーク」は22,000人のファンを集めた。7,000人以上の日本人もこのためにまちにやってきた。

 「我々は宣伝のためにスペースを使うこともできたのですが、ファンにはあくまでJYJだけの経験をしてほしかったのです」イ部長は説明する。彼女は、事務所は新しい種類の「ファンサービス」のためはいつもブレインストーミングだと言っているのだと語る。
 「ある意味、多くの海外のK-POPファンにとって、JYJは韓国の顔なんです」とイ部長は言う。特に南アメリカファンの多くは、JYJがいるから韓国への親近感を感じると言っているのだと、多数が論じている。

 「マルチプレイヤー」として、JYJはK-POPファンだけでなく、より世代が上の層である韓国ドラマファンにも魅力的だ。
 自然とJYJメンバーもお返しをするようになる。彼らは常に世界中で慈善活動をしており、それは多くの場合、ファンへの感謝を示す方法でもある。
 最初からペクとJYJは、稼げば稼ぐだけより与えようと決意していた。
 とりわけキム・ジュンスは、昨年末にカンボジアに学校を建設することもした。



(囲みの記事)
・CEO:ペク・チャンジュ
・所属アーティスト:JYJ、ソン・ジヒョ、オ・スンヒョン、パク・ユファン、カク・ヨンファン、ジン・ヒョク、チャン・ミネ
・設立 2009年12月21日
・2011年の売上高326億ウォン
・従業員約40人
・韓国で初の先進的なマネージメントシステムを導入。レコード制作、流通、マーケティング、広報の専門技術を含む



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(←?)としたのは、事実かどうか不明な部分です。


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以上 引用です。




ペク氏は



今 「自分が出る時期に達した」との


判断でしょうか。



私は



今だから



ああ、そうだったのね! 


あの時の あれも これも・・・





ストン ストン... と胸に落ちる音がするようでした。




常に矢面に 立っていた イ・ジェウン(モニカ氏)広報部長さまも


この信頼と絆の礎があったから



毅然としていられたのでしょう。





『わからない』 時に


『不安』な時に



メディアプレイは実に効果的で・・・




かく申すわたくしも


2010年夏当時~ 漏れ伝わる ペク氏のプロフィールは


申し訳ないくらいひどいものが多かったです。




それも 日本だけと言っていいくらい・・・。



(a社は必死でしたからね... M社長のJJへの@リプは
 今でも思い出すと辛すぎるものがあります...
 今行われているa社との裁判記録を見れば、当時の不穏な
 部分が実にクリアに納得できました。)



『洗脳されている』
『金の亡者』
『B団との黒い噂』
『アメリカなんて大風呂敷ひろげて・・・』etc...



・・・ あえて 書きました。



真逆の結果を残してきているのは


この2年間の出来事を ゆっくり振り返れば


一目瞭然ではありませんか。





実際「黒い交際」云々あれば



すでに先方と何らかの戦争か和解かが


ファンを蚊帳の外にして


行われているはずです。




あの大震災の時に


日本ゆかりの海外アーティストで


いち早く実質的なサポートをしてくれたのは


誰でしょうか?




あの半端ない極寒のソウルで



やむをえずの野外会場に


何とかして屋根をつけられないか・・・



天候は味方をしてくれず、きっと断腸の思いで撤去したであろう



おびただしい布の画像を見たときに



たくさんの愛と涙が見えた気がしました。



物質的に叶わないならば 熱いパフォーマンスで応えようと



薄いステージ衣装や凍える声に 燃えるような信念を込めて



あのソウルコンを成し遂げてくれた 2010,11...



全ては 利害を2の次に置いて



ファンのために、と




精一杯の誠意を尽くしてくれた JYjと



その若い背中を グッと後押ししてくれた



ペク氏、ジェウン氏 そしてCjesスタッフの



プライドと彼らへの信頼から


生まれた絆だったと 思います。





誤解のないように あえて申し上げますが



今までのことを 不必要に悲観したり


美化したりするつもりはありません。



メディアに 業界に ブロックされてきたことを



かの当事者である 氏は 『チャンス』とさえ言わんばかりに



例えばCM業界での 希少価値を生み、実際に相当な経済利益を


その企業のもたらすという 結果を確実に出しているのですから。



もちろんそこに 3人自身の 賢さや 半端ない努力が


あってのことです。




これまでの歩みを振り返り



これからも息の長い寄り添いを



続けていくのみです。




私たちファンもちゃんと・・



その一員にそっと加えていただいてますから。



「信頼と絆」を「分かち合う」



その一員に。




さてさて、次女とランチにでもいきますか。



あれ? 仕事・・・



帰ってやります~~  スタコラ。。。(爆)






(余談;ひたちなか記念日にふと思った、あの時そして国技館で
尽力してくださったZAK社の社長をはじめとする皆様が
今どうされているか・・・ 強くあってほしいと願うばかりですが・・・)