(続き)


「異文化交流」


「異文化の理解」


この言葉とそれを実践することが


私の身近でも盛んに必要とされるようになりました。


国際社会における異文化の理解… これが世間一般的なそれを指す代表格のようなものですね。


(そのほかにもいろいろありますね。今日は敢えてあげません・・・)


まずは言語の違い、文化伝統の違い、それによる価値観の違い、宗教的なもの


「異文化を理解しよう」という言葉の真逆に


「異質排除」というものもあり


それは哀しき人間の性の部分でもあります。


わからないものへの恐れや不安


だから、わかるものや理解し合えるもののみを


範疇にとどめ、得体の知れないもの…と


自分の価値観の中で判断してしまったものは


忌み嫌い、排除しようとし、守りにはいってしまう。


これも神様が人間に与えた


一つの種の保存本能の一部のようにも感じます。


ですが


人には理性と知恵も与えられてます。


だからこそ


歴史上の世界的な危機も


大きな犠牲を払いながら


経済や文化、人の暮らしが今に至って


繁栄してきたのでしょう。


果たして、今が幸せなのか?


その答えは…


グローバル的には、大きすぎて


明確な答えはないのかもしれない


でも


一個人としては


人として 果たすべき責任を果たし


小さな幸せを守りたいと


今日も明日も


苦しくしんどく切ない気持ちを抱きながらも


人の支えに感謝しながら


ゆっくりと

温かく柔らかく優しい気持ちを


繋いでいくこと


それが


幸せなのかな?と


思います。 (続く)