大好きな 金子みすゞさんの詩
「さびしいとき」
私がさびしいときに
よその人は知らないの
私がさびしいときに
お友だちは笑うの
私がさびしいときに
お母さんはやさしいの
私がさびしいときに
仏さまはさびしいの
金子みすゞさんの埋もれていた遺稿をを
発掘し、全集としてまとめられた
矢崎節夫さんという作家さんが
「あなたはあなたでいいの」という本を
書かれています。
その中で この
「さびしいとき」の詩を
優しく温かく 解き明かしてくださっていました。
長くなりますので 私のお伝えしたいところ
選ばせていただきますことを
お許し下さい。
私がさびしいときに よその人は知らない
私がさびしいときに お友だちは笑う
ちょっと聞くと それってなんかさみしい…
と、思われるでしょうが
「私」の本当のさびしさを 芯のそこから
吐き出してしまうのは
誰に対してもできないことでしょう。
自分のある意味どうしようもない嫌な思いを
吐き出してしまうことは
恐らく最後のプライドがとめるはず。
だから、大半の人はわからないんです。
それは仕方ないことだと。
だってそれを選んだのは自分だから。
だから…
何かの縁でつながった その人を
ふと、どうなのかなあ・・・と
思いを寄せる人は
『ここまでしか言えなかった…
いや、まったく言えなかった…
ホントは苦しくてさみしくて、
たまらなくて… 』
という、その人の思いを
「さびしいね・・・」と
“ こだます ”ことで
いくらかでも その人のさびしさを
軽くできるかも知れないと。
“ おもんぱかる(慮る) ”
言葉に出来ない思いをくみ取る
そっと寄り添って、思いを、空気感を
共有する。
例えなんにも出来なくても
きっと…
さみしいひとの頬は すこしだけ
緩むかもしれません。
無償の愛を お母様は
与えてくれます。
時には「がんばりなさい!」と
言うかも知れないけれど^^・・・・
ほんとうによわっている我が子へ
かける言葉は
「さびしいのね・・・」と
“ こだます ”のですね。
やさしさとはこだますことと
矢崎さんは書かれています。
「優しい」という漢字
『憂い』に 人がそっとよりそって
できているのですね…
最後に、ここでの『仏さま』とは
最善最良の存在だとおっしゃっておられます。
これはこの最善最良の存在が
この苦しみを取り除いてくれる存在ではなく
ただ、こだましてくれる存在だというのです。
少し難しかったのですが
仏さま「も」ではなく 「は」という表現がとても大切だと。
仏さまは…ということで、自分の中にある最善最良の
存在が
自分の中のさびしさやつらさで、こころがいっぱいに
なって、押しつぶされないように、
私たちの中にいてくださる…ということだと。
さびしいときに、「さびしいね…」とこだまし、よりそって
いただけることで
さびしさがコトコトと動き出して、
少しずつ、少しずつ、さびしさがすみによって
すき間ができて、
うれしいことが見えるようにしてくださる…と
書かれていました。
春は確かにやって来ました。
最悪の冬を乗り越えて・・・
いろいろ考えると…
さびしくて、たまらない…
でも… わたしたちに、言葉の代わりに届けてくれた
愛の溢れる楽曲を どうかいつも
それぞれの心のお部屋で 流していてほしい。
私たちが元気なのが…
大好きな人たちを
一番安心させることだと 思うのです。
それでも…
さびしいとき
“ こだましてくれる ”人のそばで
さびしい… とつぶやき
さびしいね…とよりそい
うれしいことを おもいだして下さい。
ここを覗いてくださる皆さまは
本当に… あたたかくて…
そばにいたいな… そばにいてくれてありがとう…
あなたの存在が 嬉しくて。
そう思える 素晴らしき 愛すべき 大切な方々です。
とても魅力的な、皆さま。
だって… あんなに素敵な彼らに恋いこがれて
胸をときめかせて、彼らを思うだけで涙が溢れたり
みんなみんな 可愛い乙女ですよ・・・。
明日は来るから。
( 引用;「あなたはあなたでいいの」矢崎節夫
ポプラ社 )



