私たち20代は
生まれた時からすでに常に失われた30年の経済低迷やデフレスパイラルに囲まれ、
幼い頃に東日本大震災、
そろそろ社会人手前で新型コロナがあり、
今の生活は一瞬で崩れ去るという危うさを肌になんとなく感じながら生きてきた。
それと同時に、
紋切り型の人材を育成する学校において、
「自己肯定感を高めよう」「個性を持て」と求められ苦悩してきた。
本来、自己肯定感とはありのままの自分を認めることである。これが高いと新しい物事に挑戦する気概が生まれやすい。これが低いとハングリー精神でより精度の高い準備に時間を費やし、学力が高くなる傾向もあったりする〜
というが、実際は遺伝的要因が大きいとされ、最近の教育界では「自己肯定感は古い、自己効力感という己で現実の何かを変えられるという経験からくる自信が大切」という説も出てきている。
学期末や模試や学力テストとセットで、事あるごとに自己肯定感を確認する心理テストを受けてきた。
何も考えずに低い自己肯定感でのほほんと過ごしていた子どもの我々は、自己肯定感の意味もよくわからず、「どうやら他の国の子どもより自己肯定感が高くないと、大人からの気分的な評価がよろしくないかもしれないぞ」と気づき出す。
テレビやネット、学校では日本の子どもの「自己肯定感」のデータが出され、
外国の子供たちと比較され、能力や生活に支障があるわけでもさしてないふんわりとした謎の「ジココウテイカン」にあたふたしはじめる。
とにかくどうやら今ある自分ではダメらしいと突きつけられ続けた子供たちは
イケメンや天才、キャピキャピ系、根暗、スポーツマン、陽キャ、陰キャと
少子化した日本の狭い教室内で平べったい顔族同士の些細な差異を個性と呼びキャラ付けをしていく。
すでに本来の自己肯定感の定義から乖離していく。
なんとか自分は「ありふれたなんでもない存在」から「なにか特別な存在」たりえようとしてきた。
同級生達は、SNSでキラキラした物と自身を撮影することで己を装飾し自尊心を探し求めたり、
「僕はあの人とは違うんだよね」と言いながら常にソーシャルデバイスに流されたり。
「ビジュいいじゃん」「可愛いくてごめん」「うっせぇわ」「わたしは最強」と若者に流行りのタイトルを見ても、
我々の常に抱くふんわりとした根拠のない不安が見えるのではないかと思えてくる。
「なにか特別な存在」になりたいという欲求を否定するわけではないが、推し活や、中二病というのもこの流れなのだろう。
ゆえにうつ病で自殺する知人や、一見幸せそうに見える友達でさえ死亡保険に入り遺書を書いていたりする。
実際、日本の若者15-39歳の死因一位は自殺となっており、20代の4人に1人が終活をしているというデータまであったりする。G7諸国の中でも若年層の死因1位が自殺なのは日本だけである。
そうした我々20代は、
戦争をせず平和な日本においてなぜか謎の不安感を常に一身に背負い続けている。己のキャラ付けやスクールカーストを自分たちで作り上げ、自分たちで思い悩む。
平和ゆえに、悩みがつきない。
生きるか死ぬかの窮地ならまず考えないであろう、ある意味幸せで目的地のない哲学のような悩み。
生きる為に必須ではない自尊心やら個性やら世間的ビジュアルやらを求めて苦悩する。
明日も今日と同じとは限らない平和で不安定でふわふわとした社会の中で、存在するはずもない世界で特別な本当の私を探し続けてSNSの中で病んでいく。