今日の朝、満員電車で1席空いた席をおばさまと取り合いみたいな形になってしまいました。

私は、朝だし眠たいし、座りたいな〜って感覚だったので、すかさずその一席を狙います。

相手方となったおばさまは、そう呼ばせて頂いてる通り、私より人生の先輩です。

これは譲るのが道理だなと思い、身を引きました。

おばさまは遠慮なく座られました。

全然それでいいと思うんです。

座れなかったことに対して、私には苛立ちと言った感情はありません。

おばさまはお礼を述べて下さって、それで満足です。

しかしおばさまは、近くに立つ私を気にして『ごめんね、腰が悪くて。ほら、これでね』っと言って、高齢者のパス?の様なものを提示されました。

すごく気にされているんだなと感じました。

私はあの場面で譲って当然だと思うんです。

むしろおばさま取り合いになってしまったことが、浅ましい自分だったと省みるほどです。

障害者を家族に抱える身としては、公共の交通機関で席を譲って頂くなんてしょっちゅうです。なんなら、関係ない私にまでついでに席を譲って下さる方もいるほとです。

なので、こう言った出来事には常々感謝の気持ちを持っています。

ですからおばさまへ譲ったことも、日頃いただいてる感謝への恩返しになるかなと思えるくらいでした。

ですが、おばさまのすごく気にした様子が気の毒になってしまって…

席を取ったことで、過去に嫌な思いでもされたのでしょうか?

それとも、ちゃんと真っ当な理由を提示しないと、身の危険を感じるのでしょう?

そんな現代になっていたら悲しい時思いました。

私は満面の笑みで対応していたのですが、笑顔が足りなかったでしょうか?


どうか、こんな現代でも、ゆずりゆずられの世界が、温かい感情のやり取りであることを願います。