2010年3月25日(木)
あるメルマガで、不覚にも読んで思わず泣いてしまった記事を
シェアします。
少々長いですが・・
戦後間もないころ、一人の日本女子学生がニューヨークへ留学していました。しかし、彼女は人種差別と栄養失調で精神的な苦痛を受け、肺結核にかかってしまいました。ニューヨークの診療所で「早く手術をしなければ長くもたない。モンロビアで治療を受けなさい」と診断されました。
モンロビアには当時、最高のサナトリウム(療養所)がありましたが、その場所はロサンゼルスから車で数時間もかかる山の中にありました。
貧しい留学生だったため、飛行機に乗るお金はありません。ニューヨークからロサンゼルスまで、5日かけて大陸横断鉄道で行くしか方法はありませんでした。その費用も留学生仲間にカンパをしてもらい、なんとか汽車賃は集まりました。しかし食料が5日分のうち、3日分しか集まらず、もちろん治療代もありませんでした。日本の実家からの「家、田畑をすべて売ってでも治療代を払います」という電報を証明書代わりに、彼女は大陸横断鉄道の特急に乗りこみました。
発熱と嘔吐を繰り返しながらモンロビアに向かいましたが、案の定、3日目に食料が尽きました。なけなしのお金で車掌にジュースを頼みました。車掌は彼女に「あなたは重病のようだね」と声をかけました。「肺結核のためモンロビアのサナトリウムに行きたいんです」と彼女は答えました。「このジュースで元気をつけなさい」と言い車掌はジュースを渡してくれました。
翌日、車掌は彼女にジュースとサンドイッチを手渡しました。「これは私からあなたへのお見舞いだから、飲んで食べて元気を出しなさい。明日の昼にはロサンゼルスに着くからね」と車掌は優しい言葉をかけました。
その日の夕方、突然、車内放送が流れました。「乗客の皆様、この列車に日本人留学生が乗っています。彼女は重病です。ワシントンの鉄道省に連絡をして会議してもらったところ、『モンロビアの駅で臨時停車せよ』との回答がきました。この電車は明日の朝、ロサンゼルスに向かう途中駅のモンロビアに臨時停車いたします。ご了承ください」
その瞬間、車内から一斉に拍手が沸き起こりました。
モンロビアに到着すると、車掌が彼女の荷物を運んでくれ、駅には車椅子を用意した看護婦が待ってくれていました。ざわめく列車を振り返ってみると、窓という窓、1等2等客車のすべての窓が開いて乗客が身を乗り出しています。名刺や自分の連絡先を書いたメモと一緒にドル紙幣を挟んで投げ渡す様子はまるで紙ふぶきが舞っているようでした。
「何かあったら私に手紙を書きなさい」「何かあったら俺のところに電話を掛けてきなさい」「たいしたお金じゃないけど何かの足しにしなさい」「列車の全員が君が治るのを祈っているから大丈夫」
列車に乗っていた人々が、少しでも彼女の役に立ちたいと思っていたのです。彼女は感動のあまり、4・5メートル先の列車が見えなくなる程、涙しました。
その後、3年にも及んだ治療の間、彼女のもとには毎週知らないアメリカ人が見舞いに訪れました。その人たちは皆、あの列車に乗り合わせた乗客でした。退院の日、3年間の莫大な入院費を払おうとしたところ、それも一人の裕福な乗客が、匿名で払ってくれていた後でした。
このように、女性の一命をとりとめることができたのは、鉄道省をはじめ、車掌や乗客の人々が、「自分に取れる最善」を尽くしてくれたからではないでしょうか。
これはまだ第二次世界大戦後、日本が貧しい時代、一方アメリカでは人種差別が行われていた頃の実話です。彼女が肺結核になった原因は、人種差別と栄養失調。しかし、彼女が治療できたのは、人種を超えた人類愛だったのですね。