皆様こんばんは。

引き続き私事なご報告です。

また長文となります。


前回の記事の続きとなります。

令和4年5月4日に

父は自宅で息を引き取りました。


病院からの帰宅後は、

抗がん剤治療のダメージが深刻で

激しい脱水と

低ナトリウム症からくる

せん妄が激しい状況でした。


食事も取れず寝たままから、

訪問緩和ケアのお陰で

1週間をかけて

なんとかほんの少し食事や水分を

摂れるようになり

改善していきました。

しかし緩和ケアは治療ではない為

病状はすぐに悪化していきました。


帰宅から約1ヶ月ですが

とても濃い時間でした。

毎日克明に記録を取り

日々その状況に合った

ベストな環境を作りましたが

最終的には完全な介護となりました。


そもそも病気の発見が遅すぎた中で

やれる限りを尽くしました。


訪問緩和ケアの先生や

看護師さんにも恵まれ

ケアマネにも恵まれた事、

家族のサポートもあり

目まぐるしく変わる

父の病状に合った

適切なケアが出来ました。


亡くなって3週間が経ち

振り返ればものすごく

あっという間でした。

1月末から5月頭の約3ヶ月

治療までの検査に1ヶ月

治療は3週目で断念

帰宅後のサポートが約1ヶ月

昼夜問わずな日も頻繁にありました。

とても長い日々だった感覚でしたが

もの凄く短い期間でした。

しかし、

父も私達家族も後悔はありません。


過去に何度も病気で死にかけた父ですから

64という若さでしたが、

この年齢まで

生きていてくれた事に

感謝しています。


以前の記事にもありますが、

そんな状況の中で

祖母の事も重なっておりました。


父の初七日を終え、

すぐに祖母は入院させました。

『統合失調感情障害』

という病名がつけられました。

89という高齢という事で

側頭葉の萎縮こそありましたが、

基本的に脳は満ち満ちに詰まっていて

前頭葉に異常がない為

認知症とは診断されませんでした。

しかし、

表面に出ている症状としては

該当しているという事で

事前の相談の通り

入院いたしました。

現状としては

環境面を考慮しても

ベストだと思っています。

将来的には施設での生活を

私が家族として

支援する形になります。


激しい環境変化で

父が亡くなってから

1週間が経った辺りで

私の身体に疲れが現れ

今はバタバタと事務的な

手続きを色々進めております。


昼夜現状を冷静に判断して

決断しなくてはならない日々が

続いていたせいか

気持ちにラグがあり

今一番気持ちが疲れています。

大人しく横になったり

飲みに出て発散したりと

事務的な事を処理しながら

気を紛らわせていますが

ふと我に返ると

やはりため息が出ます。


入院している祖母の事

実家に一人生活する事となった

私の叔父の事

父の代わりにサポートをしていきます。


6月の中旬ごろには店を再開させようと

計画しています。

以前から計画していたイベントも

早急に実施したいと思っています。


どうかまた応援して頂けましたら

幸いです。


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一つ前の記事をご覧頂ければ

休業の理由はそこに記載しております。


先にお伝えしますが

以下、長文です。


あまり大っぴらに

書く事ではありませんし

かと言って書かずには

私の精神が保ちそうになく

吐け口としてつらつらと

書き殴ろうと思いました。


私の生い立ちは

平和ではありません。

物心ついた頃から

母を知らず

日常を恐怖の中で育ち

幼少から大人になる過程も

あまりに理不尽なものです。


大人になってから改めて

自分の生い立ちを

振り返った時

やむを得なかった事が

いくつも見えてきました。


そしてその根本的な

不幸な歩みの原因の

大きな割合を占めるものが

祖母であると気づいた時の

複雑な感情は忘れられません。


私が物心ついて小学1年の秋まで

母親だと言い聞かされて

生きてきたからです。


酷い家庭環境故に

物心ついた頃から

独り立ちするまでの

記憶はあまりに鮮明で

今も私の心に悪い影響を

及ぼしています。


平和に暮らしたいという

極当たり前の感情が強い為、

過ちを繰り返してはならぬと

割と理性的で

正論を重視する生き方を

私は選ぶ事にしました。


しかし世の中当然

正論や理屈で考える人ばかりではなく

祖母もまた例外の様で…

私には全く理解出来ないのです。


父が日頃から私の祖母に対し

荒々しく暴力を振るっていたその意味が

大人になってからわかりました。

勘違いしないで頂きたいのは

私は暴力はいけない事だと

思っていますし

父の暴力は認められるものではないと

思っています。

しかし私の祖母は

話せば話すほど

身勝手で自分の事は

盛大に棚にあげ

他者に対して完璧を求める。

気に入らない事があれば

散々延々と陰口や悪態をつきます。


歳をとったせいか

既に酷かったその性格が

悪化しており

その矛先は私にも向いています。


現在実家には

父・祖母・叔父が同居しており

父が治療がもう出来ずに

自宅に戻ってきて

私が妻のサポートを受けながら

訪問緩和ケアを利用して

ずっと介護をして1ヶ月が経ちます。


祖母にも父がいつ亡くなっても

おかしくはないという説明はしました。

が、その日以降

私の祖母に対しての認識が

当初性格だと思っていたものが

何かしらの精神疾患ではないのかと

考えるようになりました。


発見が遅く全身に転移していて

治療がもう出来ない事を

伝えると頭を抱え

「どうしよう。どうしたらいい」と

祖母は泣き出しました。

が、その30分後には

テレビを観て笑っているのです。


その他にも昔はなかった

会話形式の独語をする様になっていて


他人に語る内容も

思い込みが非常に強く

例え本人が直接内容の誤解を

解こうとも解けません。


私は自分の父がそんなに

もう長いことない事をわかっていて

込み上げる色んな感情を抑えて

面倒を看ている中で、

祖母は終いに

自分に疎外感を感じる対応を

少しでもされると過去の膨大な

嫌な記憶が蘇り

悪口が止まらなくなります。

それを止めたのですが

今度は私にもブツブツと

止まらなくなりました。


この状況下でも繰り返す

あまりの不気味さに

激しいストレスを感じています。

加えて耳が遠いので

その自称独り言は全て

私の耳に入ります。


全く状況と関係のない

私への悪態があったので

至近距離に行くと


私「なんだって?」

祖母「独り言だ」

私「今それなに関係あるんだ」

祖母「事実でしょ!事実を言ってるだけでしょ」

私「全部聞こえてるんだわ」

祖母「聞き耳立ててるんだべ!」

私「声がデカいから聞こえるんだ!」

「何で今俺がそんな事言われなきゃいけないのよ!」

「今父さん大変でばあちゃんの事も

しなきゃいけなくて俺仕事もいけてないんだぞ」

祖母「そんなの勝手だべさ!」

等々延々続きます。

そして私が少し離れると

祖母「(父の名前)も勇太郎も大した野郎だなっ!」

や他にも

「ロクな死に方しねぇわ」など

まともに聞き続けるとこっちが狂います。


祖母が父から受けた暴力・暴言の原因の9割が

人間関係を破壊するレベルの祖母の陰口・小言でした。

文面では伝わりませんが

とにかく言い方が汚く

凄く嫌な言い方をする為

大抵の人は耐えられません。


祖母の脳内には

自分がされてきた嫌な記憶だけが残り

自分が相手にした悪さは

まるっきり記憶にないのです。


これが原因で私の母

そして継母はこの家から

出て行った過去があるほどです。


厄介なのが凄まじいほどの外面の良さ。

浅い表面的な付き合いの

他人からは

物凄く優しい人に映ることです。


仮に自分の息子が憎くても、

約7年前にほぼ寝たきりの祖母を

施設にも入れず面倒を看て

歩けるまでに回復させたのは

紛れもなく父です。


本当に激しいストレスを感じています。

父の事を優先し、

祖母が怒鳴ろうが泣こうが叫ぼうが

施設へ預けようと決意している

私の判断は一方的に間違っていると

非難されるものでしょうか。


今何が正しいのかわからなくて苦しいです。


間違いなく言える事は

父を病院に送れば

面会も出来ないので

それが最期になるという事


私がこの状況に耐えて倒れれば

父も祖母も終わりだという事

(叔父は軽度の知的障害で

難しい事が出来ない為)


祖母を検査して

異常があれば

父の努力が報われず、

異常がなければ

ただただその人格に絶望です。


この取留めの無い愚痴を

読んでもらえるだけで

救われます。


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皆様こんばんは。

まん防も明けてまたお店も

コツコツ復帰に向けて

試行錯誤の時期ですが…


今回こちらのブログでのみ

ご報告をさせて頂きます。


令和4年1月29日に

父が体調不良を訴えました。

声が割れ、咳が止まらず、

水が飲みにくく、血圧も上がる。

2月1日CT検査

2月2日MRI検査

2月22日に肺がんだとわかりました。

更に細かく調べた結果、

3月3日全身に転移が見つかりました。

すぐに入院をして

抗がん剤治療をしましたが、

思う様に結果が伴わずに

本人の意思もあり

3月23日に家に帰宅。

3月25日から訪問緩和ケアの

医師と看護師に来て頂いて

現在1日置きに必要な処置を

してもらっています。

退院時よりも治療による

ダメージ(脱水症状や幻覚症状)は

回復してきていますが、

私と私の妻でサポートをしている状況です。

日中妻も働いていますので

ほぼ私はつきっきりの状況です。

声帯が半分麻痺した為に

嚥下が思うようにいかず、

食事のメニューを試行錯誤しています。

体重も激しく落ちたので

トイレまでの歩行のサポートも。


それに加えて、

私には元気な祖母がおりまして

今までは父が食事等や

家事等をサポートしていた為、

現在全て代わりを務めています。


店を開けられる時間がありません。

なんとかする為に

環境を整えている最中

という事もありまして、

自分の時間は1時間取れれば上出来

といったところです。


内視鏡検査をした2月17日以降

ずっと父の代わりと

父のサポートの日々となりました。


なんとか働く時間を確保する為

介護保険の認定や

祖母の利用している

介助サービスの見直し

諸々調整をしています。


店舗再開の目処が立っておりません。


代わりに応援して頂きたいイベントを

いろんな方の協力を得て

進めています。

(それすら私は手が出ません…)

実施日と内容が確定しましたら

お知らせいたします。


以上近況報告でした。







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