えー読者さんはあまり関心がないかもと恐れますが(笑)、クイズ「変則拍子」!でおなじみの(?)バルカン半島諸国について、ニュースを耳にしたことを契機に、旧ユーゴスラビア諸国に関するあれこれについて書きます。
まず、そのニュースですが、セルビアで、コソボに対して強硬な姿勢を取る大統領が選ばれました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120521/k10015260611000.html
これを理解するために、旧「ユーゴスラビア」について。
旧ユーゴスラビアは、 以前にバルカン半島に存在した連邦国家です。その統治の複雑さは「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と表現されました(第二のユーゴスラビア)。6つの共和国とは、次の6つです。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120521/k10015260611000.html
(引用開始)
(5月21日 11時30分)
(5月21日 11時30分)
セルビアの大統領選挙は20日、決戦投票が行われ、選挙を監視する団体によりますと、開票率97%で民族派の野党「セルビア進歩党」の党首、ニコリッチ候補が49.8%、親欧米派の与党「民主党」の党首、タディッチ前大統領が47.0%となりニコリッチ候補の勝利が確実となりました。
これを受けてニコリッチ氏は勝利を宣言し、「セルビアは今後もEU統合への道を歩むが、コソボは守り抜く」と述べ、EUとの加盟交渉は進める一方、コソボの独立を認める考えはないことを改めて強調しました。
ニコリッチ氏は60歳。
旧ユーゴスラビア紛争を巡る国連の戦争犯罪法廷の裁判中に死去したミロシェビッチ元大統領の下で閣僚を務めるなど、反欧米の民族派として知られていますが、4年前に極右政党を脱退し、「セルビア進歩党」を立ち上げてからは欧米との協調路線に転換しています。EUへの加盟にはコソボとの関係改善が条件となっていることから、コソボに強硬な姿勢をとる大統領が就任することで加盟に向けた交渉に遅れが出るものとみられます。
(引用終わり)
これを理解するために、旧「ユーゴスラビア」について。
・スロベニア
・クロアチア
・セルビア
・ボスニア・ヘルツェゴビナ
・モンテネグロ
・マケドニア
このうち、セルビアにはヴォイヴォディナとコソボという自治州がありました。
1989年に東欧革命(ベルリンの壁崩壊とドイツ統一、ハンガリー・ブルガリア・チェコスロバキア・ルーマニアの民主化)が起きると、ユーゴスラビアでも次第に域内の各国が独立して、崩壊します。
これら諸国のあるバルカン半島についてのWikipediaの記事(英語)に、この地域の言語と宗教についての分布図がありました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Balkans
バルカン半島地域の言語分布

バルカン半島地域の宗教分布

ここから(だけではないですが…)以下のようなことがわかります。
・しばしば対立するセルビア人とクロアチア人は言語が同じ(「セルビア・クロアチア語」)だが、宗教はそれぞれ正教(セルビア正教)とカトリック。
・ボスニア・ヘルツェゴビナでは、カトリック(クロアチア人)・正教(セルビア人)・イスラム教(ボシュニャク人)が入り混じっている。
・コソボには主としてイスラム教徒のアルバニア人が住んでいる。
このような種々の民族が複雑に住んでいる地域であり、ユーゴスラビア崩壊の過程で次のような紛争が勃発しました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1992年ボスニア政府が独立を宣言すると、独立に反対する国内のセルビア人と、クロアチア人・ムスリムとの対立が激化し、冬季オリンピックが開催されたこともある(1984年)美しい首都サラエボはセルビア人武装勢力によって大規模に破壊され、一方でNATOによるセルビア人勢力に対する空爆が行われました。 1995年になってようやく紛争は終結しました。
元サッカー日本代表の監督のイビチャ・オシム氏はサラエボの出身であり、この紛争当時にユーゴスラビア代表監督で、家族ともども大変な苦労をされています。また当時、ピクシーこと現名古屋グランパス監督のストイコビッチ氏(セルビア出身)がユーゴスラビア代表選手でした。このとき、ユーゴスラビア代表は、
内戦を受けて国連の制裁でUEFA欧州選手権の出場停止処分を受けています。
↓オシムの歩んだ人生と、それに裏打ちされた深い言葉が身にしみます。お薦めの本です。
オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える (集英社文庫)/木村 元彦

コソボ紛争
一方のコソボ。(上の地図上では「K's」とされている地域。)
1991年コソボは独立を宣言しましたが、このときはアルバニアしか承認せず、国際的には"新ユーゴスラビア"(セルビア)の自治州とみなされていました。1996年にユーゴスラビア軍・セルビア人勢力と、独立を求めるアルバニア人のコソボ解放軍との戦闘が激化、1999年にはNATOによるセルビア空爆も実行されました。ドイツ空軍が第二次世界大戦後初めて戦闘に参加したことも注目を集めました。
2008年にコソボはセルビアからの独立宣言を採択しました。現在米英独仏や日本を含む90カ国が独立を承認していますが、セルビアとロシア・中国などが承認を拒否しています。(これが冒頭のニュースの背景です。)
さらに、マケドニア呼称問題について。
現在のマケドニア共和国ではマケドニア人が64%と支配的ですが、マケドニア語はブルガリア語ときわめて類似しており、ブルガリア人からはマケドニア人はブルガリア人の一部とみなされているそうです。(→道理で、変則拍子の音楽はブルガリアとマケドニアとに広がっている訳です。)
一方、アレキサンダー大王で有名な古代マケドニアの5割は現在のギリシャ領のマケドニア地方であり、大王の出生地もギリシャにあります。ギリシャはマケドニア共和国がマケドニアと名乗ることを嫌い、国名を改めるように要求しています。ギリシャ領マケドニアの住民は、現在では大部分がギリシャ人です。
以上、情報源の大部分はWikipediaです。昔、私が学生時代とかにはインターネットのように便利なものがなかったので、こんな情報を調べようとすれば図書館に行ってまず本を探して必要な情報を見つけるしかなかったですが(←学生時代に興味を持っていたはずの東欧諸国についてよく知らなかったことの言い訳:笑)、何でも簡単に調べることができるようになったものです。
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