世界が愛した日本 | ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

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硬軟取り混ぜた種々雑多なネタについて書いてみようかと思います。
全くまとまりがないと思うけど、それが自分らしさということで。。。

今日は、読んで気持ちいい本の紹介。

四條たか子著 『世界が愛した日本

世界が愛した日本/四条 たか子
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日本ではあまり知られていない、日本人の外国との感動秘話が7編記されています。

第4章の杉原千畝の話が最も有名でしょう。
第二次世界大戦時、リトアニア領事代理だった杉原は、ドイツ軍の侵攻から逃げてきたユダヤ人たちが国外に逃亡するために必要な日本通過ビザを、外務省の方針に反しておよそ6000人分発行し続けてその命を救いました。

杉原氏は帰国してからは命令に違反したとして外務省を依願退職、その後職を点々とするなど、苦労もされた。
しかし、1985年、「自らの犠牲を顧みずにユダヤ人を助けてくれた異邦人に贈る」最高の賞が、イスラエルから氏に贈られた、とのことです。

また、第一章はトルコとの関係です。

第1章 明治23年に紀伊半島沖で座礁、沈没したトルコ軍艦エルトゥールル号の乗船者の生存者のけが人を看護し、 また遺体を収容して手厚く葬った、和歌山県大島村の村民たち。もともと貧しい村なのに、突如遭遇した外国人の悲劇に、自分たちの食べるもの、着るものまで差し出して、献身的に対応した。

この話、日本人はあまり知らないが、トルコではとても有名な話のようです。

1980年、イラン・イラク戦争で、サダム・フセインの爆弾宣言によりイラク国内から48時間以内に脱出しなければならなくなった在留邦人を臨時便の旅客機を飛ばして救ってくれたのは、トルコ政府とトルコ航空だった。それは、95年前のエルトゥールル号への恩返しであった、との感動的な話がつづられます。

自分の個人的な話として・・・

たまたま、和歌山の潮岬に友人と旅行したことがあり、そこで全くの予備知識なしで見つけたトルコ記念館を訪問して、この話を何とはなしに知っていました。

その数年後にハンガリーに旅行した際、英語が通じずに苦労していたわれわれを助けてくれたのが、一緒のホテルに宿泊していたトルコ人の二人組。われ われが日本人だと知ると、この軍艦の遭難の話は知ってるか、と聞いてきました。知っていると告げると、ますます親近感を表して、その後は、英語すらつたなかったわれわれのために、たびたび通訳を買って出てくれました。いい人たちでしたー。


この本には、その他にポーランド、ベルギー、インドネシア、韓国、ドイツとの逸話が記されています。
いずれも、日本人であることを誇りに思えるような話ばかりです。



外国との関係というときな臭い話ばかりの中、このような平和外交を官民あげて貫くことができないものかと夢想します。

たとえば中東ではトルコに限らず、日本に親近感を持つ人たちが多いと聞きます。

これは、
・日本の電化製品、自動車の品質が高いことは常識になっている
・日露戦争で、憎きロシアに小国の日本が勝利したことが今でも高く尊敬されていること
・歴史的にアラブ・イスラムを差別してこなかったこと (接点がなくてよく知らないだけで、結果オーライですが。)
・武器輸出をしていないこと
などが要因のようです。

中東情勢が緊迫する中、二枚舌外交を続けてきたアメリカに代わって、日本の存在意義を示す機会なのですが、今の民主党政権では望みは薄いでしょうね。(自民党だったとしても同じようなものでしょうが。)