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輪るピングドラムの主題によるギター演奏と朗読と歌唱劇
①ギターソロ ラグリマ
②朗読I こどもブロイラーを知っていますか?
③歌唱劇 ノルニル
④ギターソロ アデリータ
⑤朗読II 運命の果実を一緒に食べよう!
⑥歌唱劇 少年よ我に帰れ
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この記事で取り上げるものは、2018年3.11に上演した上記のプログラムの⑤番目にあたるものです。
あるアニメ作品をモチーフにしていて、オリジナルの作品では、このタイトルの「運命の果実を一緒に食べよう」がまるで電車の線路を切り替えるように運命の路線を乗り換えてしまう究極の魔法の呪文として出てきます。
僕はこの呪文を、そのまま「愛している」によって誰かを救うという、現実でも起こっているような事と並べたいと思いました。
アニメの作中で出てくる、ピングドラムは相手を大切にしたいという強い想いの連鎖。その想いをお互いに与えるという『愛する』という行為。それを短い朗読と歌唱劇に込めています。
☆ 込めた『コミュニティー批判』
アニメの作中でまるで死刑囚が集められるような『こどもブロイラー工場』。それを社会システムの間に作られた、管理側、経営側の快楽の為に作られた加工工場と朗読ではしています。
(朗読IIより抜粋)
『沢山、こどもが集まっていたけれど、思えば仲の良いフリをして戦っていた…僕らはお互いに戦っていたんだ。選ばれるために。仲良くなんかない。』
世間では集まりを作って、成長の場や楽しむ場所等を設けるとしていて、それをコミュニティーと呼んでいます。ルールやモラルと言われるものでコミュニティーの均衡、平和を上手に保ってはいても、ほとんど「戦争状態と同じ」と僕は見ています。
「何をしてもいい」としたら殺し合い奪い合うに違いないコミュニティーは数多くあると思います。戦い疲れてその元気もないかも。元々、心が戦争状態なのだったら、平和に見えていれば見せかけのごまかし。
そんな抜粋のような独白をする朗読内のこの登場人物は、コミュニティー内で自己に絶望するように持っていかれ⇨所属する世界に加工され⇨腹の足しにされるためのベルトコンベアー⇨こどもブロイラーシステムに乗ってしまいます。
そこに工場に入ってきた一人の少女が、その少年を助けます。本作では(たぶん裏拳で)壁を破って集団の中の彼に脱出するよう声をかけます。
工場システムは大規模で誰も逆らえないのですが、少女桃果はたった1人でこれに逆らいます。女性は『多数決に負ける生き物』で本心を縛られて従社会の状態ですが、桃果は愛によっていつもこれに勝つという本編で一番大切なシーンだなと僕は思いました。
そして朗読ではタイトルの呪文「運命の果実を一緒に食べよう」と、桃果が少年多蕗にかけた言葉を日常的なものとして広げ、交互に、たたみかけるように読んでいきます。そして少年は回想で
『それはとても単純な、語り尽くせない物語』
と独白します。少年が脱出する自信と力を取り戻す時間のスパンへの改作を入れました。
(朗読IIより抜粋)
『僕らはみんな、逃げてもいいって、逃げられるってわかったんだ。』
管理・経営・支配側は集団の中で望みを失ってしまった者をさらに取り込むのにパターンは色々ですが
「君だけではできないんだから、逃げずに言うことを聞きなさい。望みがあるようにしてあげよう。」
と助言して自尊心を無くさせる事がよくあります。
しかし相手を大切に想っていたら
「望みが無ければ逃げて落ち着ける場所で、自分を取り戻すと良いよ。」
と言います。好不都合で考えるのが自分なのか相手なのか(愛情があるかどうか)がここにも表れます。
(朗読IIより抜粋)
『その後、それぞれ手をつなごうとして届かなかったみんなの運命が輪りだしたみたいで…。助かったのはきっと僕だけじゃなかった。あの子たち、どうしてるのかなぁ。』
少女桃果が脱出口をバズーカで開けたという風に変えてしまったのですが、それは、この救出劇が影響して他にも生存者が出たと思いたかったところがありました。また荒んだ少年の心が、その時のかりそめの友達の安否まで自然に気にするくらいに余裕が出て潤っているという結果が欲しいと思って書いていました。
一番は、少しの間でも恋が成就した登場人物『救世主・桃果』の幸せ期間を想いたいという推し愛。
そうして、回想の独白「朗読II」は終わります。その後、こどもブロイラーに突入してきた桃果が歌っているという設定の歌唱劇『少年よ我に帰れ』につながります。
輪るピングドラムの主題によるギター演奏と朗読と歌唱劇
①ギターソロ ラグリマ
②朗読I こどもブロイラーを知っていますか?
③歌唱劇 ノルニル
④ギターソロ アデリータ
⑤朗読II 運命の果実を一緒に食べよう!
⑥歌唱劇 少年よ我に帰れ
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この記事で取り上げるものは、2018年3.11に上演した上記のプログラムの⑤番目にあたるものです。
あるアニメ作品をモチーフにしていて、オリジナルの作品では、このタイトルの「運命の果実を一緒に食べよう」がまるで電車の線路を切り替えるように運命の路線を乗り換えてしまう究極の魔法の呪文として出てきます。
僕はこの呪文を、そのまま「愛している」によって誰かを救うという、現実でも起こっているような事と並べたいと思いました。
アニメの作中で出てくる、ピングドラムは相手を大切にしたいという強い想いの連鎖。その想いをお互いに与えるという『愛する』という行為。それを短い朗読と歌唱劇に込めています。
☆ 込めた『コミュニティー批判』
アニメの作中でまるで死刑囚が集められるような『こどもブロイラー工場』。それを社会システムの間に作られた、管理側、経営側の快楽の為に作られた加工工場と朗読ではしています。
(朗読IIより抜粋)
『沢山、こどもが集まっていたけれど、思えば仲の良いフリをして戦っていた…僕らはお互いに戦っていたんだ。選ばれるために。仲良くなんかない。』
世間では集まりを作って、成長の場や楽しむ場所等を設けるとしていて、それをコミュニティーと呼んでいます。ルールやモラルと言われるものでコミュニティーの均衡、平和を上手に保ってはいても、ほとんど「戦争状態と同じ」と僕は見ています。
「何をしてもいい」としたら殺し合い奪い合うに違いないコミュニティーは数多くあると思います。戦い疲れてその元気もないかも。元々、心が戦争状態なのだったら、平和に見えていれば見せかけのごまかし。
そんな抜粋のような独白をする朗読内のこの登場人物は、コミュニティー内で自己に絶望するように持っていかれ⇨所属する世界に加工され⇨腹の足しにされるためのベルトコンベアー⇨こどもブロイラーシステムに乗ってしまいます。
そこに工場に入ってきた一人の少女が、その少年を助けます。本作では(たぶん裏拳で)壁を破って集団の中の彼に脱出するよう声をかけます。
工場システムは大規模で誰も逆らえないのですが、少女桃果はたった1人でこれに逆らいます。女性は『多数決に負ける生き物』で本心を縛られて従社会の状態ですが、桃果は愛によっていつもこれに勝つという本編で一番大切なシーンだなと僕は思いました。
そして朗読ではタイトルの呪文「運命の果実を一緒に食べよう」と、桃果が少年多蕗にかけた言葉を日常的なものとして広げ、交互に、たたみかけるように読んでいきます。そして少年は回想で
『それはとても単純な、語り尽くせない物語』
と独白します。少年が脱出する自信と力を取り戻す時間のスパンへの改作を入れました。
(朗読IIより抜粋)
『僕らはみんな、逃げてもいいって、逃げられるってわかったんだ。』
管理・経営・支配側は集団の中で望みを失ってしまった者をさらに取り込むのにパターンは色々ですが
「君だけではできないんだから、逃げずに言うことを聞きなさい。望みがあるようにしてあげよう。」
と助言して自尊心を無くさせる事がよくあります。
しかし相手を大切に想っていたら
「望みが無ければ逃げて落ち着ける場所で、自分を取り戻すと良いよ。」
と言います。好不都合で考えるのが自分なのか相手なのか(愛情があるかどうか)がここにも表れます。
(朗読IIより抜粋)
『その後、それぞれ手をつなごうとして届かなかったみんなの運命が輪りだしたみたいで…。助かったのはきっと僕だけじゃなかった。あの子たち、どうしてるのかなぁ。』
少女桃果が脱出口をバズーカで開けたという風に変えてしまったのですが、それは、この救出劇が影響して他にも生存者が出たと思いたかったところがありました。また荒んだ少年の心が、その時のかりそめの友達の安否まで自然に気にするくらいに余裕が出て潤っているという結果が欲しいと思って書いていました。
一番は、少しの間でも恋が成就した登場人物『救世主・桃果』の幸せ期間を想いたいという推し愛。
そうして、回想の独白「朗読II」は終わります。その後、こどもブロイラーに突入してきた桃果が歌っているという設定の歌唱劇『少年よ我に帰れ』につながります。