
持ち寄る愛
持ち寄る愛
なんか現代からは愛が消えてしまいました。
で、たとえば肉持ってる男と、米持ってる女が、それぞれ自分の持ってる物を出し合えば、二人で牛丼が食べられる、のです。
でも、二人共、出さないのなら、牛丼は無い、のです。
そして、今は女性が全然出さないのですが、それが愛がなく、報酬はカラダ、みたいな売春婦なのです。
売春婦なのですから、自分を一番高く買ってくれる人が良く、それがこういうこと、なのです。
相手に望むと言うより、自分の値付け、なのです。
男女の話ではなく、友達で集まるパーティーとか、親戚で集まる行事とかでも、
何も持って来ない、人は、呼ばれなくなる、のです。
と言うか、そもそもの思いからして無い、のです。
ハイキングに行くとして、彼が車を出すとすると、だったら彼女がサンドイッチを作るとか、そういう、そもそもの気持ちからして無い、のです。
そういう人達って、そういう人達なのです。
これを餓鬼と言う、のです。
あるいは畜生と言う、のです。
何故って、犬や猫や餓鬼にどんなにご馳走しても、何も返って来ないから、なのです。
最初の話の牛丼で言うと、いくら肉を与えても、米が返って来ないので、一生、牛丼にはならない、のです。
繰り返しますが、気持ちも、思いも、無い、のです。
難しく言うと、そもそも心という高次の脳が発達して無い、のです。
犬やら猫やらニートやらお姫様は、どこまでも貰って当然、なのです。
理由は、自分がそう思うから、なのです。
ザルに時間や金、愛情を注ぐようなもの、なのです。
これで言うと、自分の価値は800万円とか思っているのですから、たとえ年に800万円を貢いだとしても、普通、当たり前なのです。
で、これがマジョリティで、親からして、こう、なのです。
まさにエコノミックアニマルなのです。
なお、この話は男女の話みたいに思うかもしれませんが、たとえば仕事だって、各々、蕎麦愛とか、接客愛を出し合わないと、蕎麦屋として上手く行かない、のです。
ハイキングで言うと、彼氏が車を出して、彼女がお弁当を作ってきて、それで最高のハイキングとなる、のです。
彼氏が車を出して、彼女は車中でスマホをいじって、昼はオシャレなレストランなどを強請(ねだ)り、帰りは寝てるとかすると、ヤルだけ(若いうちだけ)なら良いけど、結婚はしたくはない、のです。
