「疲れたねー」
僕の妻の言葉。
「疲れたよー」
僕の言葉。
ソファに転がって足をさすりながら、妻は遠くを見ている。
「こっちにおいで」
僕の言葉に、ゆっくりと体を起こす。
僕が手を揉むジェスチャーをすると、少し元気な顔になって仕事終わりで鉛のように重たくなった体を動かした。
ズボンを捲り上げてふくらはぎを触るとパンパンに膨れていた。
少し冷たい。
「これは大変だ」
僕の言葉には妻は細い目をする。
ゆっくりと揉む、時間をかけて。
その間妻は「うー」とか「ふー」とか言って目を瞑っている。
リンパを流すと「あぁー!」と言う。
しばらくすると足が動くようになる。
「軽くなった」
妻の言葉に顔を上げると、確かにさっきまで寄っていた眉間のシワがどこかへ消えていた。
「どう?もう痛くない?」
「まだ痛い」
すかさず答える妻。
軽くなったからといって痛みが消えたわけではない。
靴下のついた足、次第にピンク色に染まっていくふくらはぎを揉みながら僕は思う。
かわいそうなことをさせているって。
僕たちは大阪のある街でバーを経営している。
その場所は人が賑わう都市部でもなければ、二人の地元というわけでもない。
とある理由からその場所を選んだ(それはまた別の時に話そう)。
開店して七年を過ぎた。
常連さんもついたし、スタッフも育った。
だけど店には入らなければならない。
バーの営業は肉体労働だ。
カクテルを作るにしろ、お客さんと話すにしろ、立ち続けるわけだから体にはきつい。
そう、妻の体にはとてもきついこと。
僕の妻は朋子という。
年齢は49才。
僕が31才だから18才離れている。
彼女とは僕が22才の時出会った。
(その時のこともいずれ別の時に話そうと思う)
僕が22才、彼女が40才。
実はね、その時朋子さんは体を壊していて、医者から余命5年を言い渡されていた。
僕と出会って、色んなことがあって、結局45才も無事に迎えることができたから良かったものの体調は万全ではない。
むしろ悪い。
本来ならば働いてはならない状態。
ちょっと無理をすれば今みたいに足は膨れて、足首のくるぶし辺りに水が溜まったりする。
簡単に言えば、朋子さんは休めばいいのだけれど、僕たちの事情はそんなシンプルな問題ではなく。
でも、今の仕事を続けることは良くないことは確かで。
それはこのむくれた足を見れば一発で分かること。
「ねぇ、朋ちゃんは何でも好きなことしていいよって言われたら何がしたい?」
僕は朋子さんの足を揉みながら尋ねた。
「え?どうして急に?」
「いいから答えてみて。今置かれた環境とか条件とか何もかも取っ払って、自由に。」
それから朋子さんは斜め上の方を少し見て答えた。
「ハワイに住みたい」
なるほど、ハワイに住みたい、最高の答えだ。
「うん、いいね。でも、それは最後にしたいな」
「最後?」
「そう最後に残しておこうよ。僕たちにはもっと色々やりたいことがありそうだよ。」
「えー……」
そう言ってまた考える朋子さん。
時々僕たちはこうやって空想遊びをする。
「分かった!世界一周旅行!」
いいね、僕たちにピッタリなアクティブな答え。
温かくなったふくらはぎを置いて、僕はパソコンの電源を入れた。
Googleで検索する《世界一周 料金》。
出た、一人200万円から300万円。
これがどういう金額なのかは分からない。
分かるのは、決して豪華客船に乗っての優雅な船の旅ではないことだけは確か。
単純計算で、二人だから400万円から600万円。
「よし、世界一周旅行に出よう」
「は?」
という顔の朋子さん。
今の仕事をずっと続けることは無理なんだ。
僕の夢は彼女の夢、彼女の夢は僕の夢として10年間やってきた。
一度は失いかけた命。
そうだよ、僕たちの夢を叶えよう。
魂が素直に喜ぶ方へ、僕たちは力を注ぐべきなんだ。
彼女が眉間にシワを寄せたり、肩を落とす姿を見たくない。
今走っているレールの上にはそんな未来予想図しかない。
一度脱線しないと、魂が震えるほど歓喜することはないんだ。
僕たちにはできる。
僕は朋子さんに説明した。
すると朋子さんもすぐに理解してくれた。
そう、僕たちは一心同体。
お互いの考えはすぐに分かるんだ。
僕たちは誰かの支配の下で生きてきたわけじゃない。
だからこの国にいれば努力とアイディア次第でどうにかなることを知っている。
リスクを取れば店だってすぐにはじめることができる。
そのリスクを取ると色々考えないといけないけれど、考えることさえできればある程度は回避できる。
「考える」ことから逃げなければ、「誰かの支配」からは自由になれるんだ。
僕たちは話し合って、400万と600万の間をとり、500万円貯めることを決めた。
それも一年間の期限付き。
バーの経営だけじゃとてもじゃないけれどそんなお金を稼ぐことはできない。
さぁ壁に当たれば頭の中は勝手に動き出す。
どうやって資金を調達するか。
仕事終わりのお疲れモードから、一気にアドレナリン放出で二人でわくわくしてしまい、明け方まで話し込んだ結果、お金は0からスタートすることに決めた。
つまり、今持っているお金は一切使わずに500万円貯めること。
その日、僕らのRPGははじまった。