今から13年前の2005年12月15日、一人の名将がこの世を去りました。
名将の名は仰木彬監督。弱小球団だった近鉄やオリックスブルーウェーブをリーグ優勝に導いた監督です。
特に95、96年はオリックスの2連覇、そして日本一へと導き、当時震災に見舞われた神戸の人達に勇気と希望を与えた偉大なる人物でした。
阪神大震災が起こった年、仰木監督は一つのスローガンを掲げました。
がんばろうKOBE
仰木監督のスローガンのもと、選手達は神戸の人達の為に一生懸命頑張り、その年にリーグ優勝をしました。
仰木監督は采配だけでなく、選手の能力を見抜くのも一流で、海へ渡ったイチロー選手や野茂投手、そして田口選手などと言った多くの一流選手を輩出させました。
そんな仰木監督の訃報は余りにも突然でした。シーズン途中に体調を崩していた為に監督を退き、オリックスのシニアアドバイザーに就任したばかりの出来事でした。
仰木彬監督の訃報は本当にショックでした。選手達の前では弱っている姿は決して見せなかったあの仰木監督が亡くなられたなんて当時は信じられませんでした。
亡くなられた後、多くの方がお別れの会を訪れ、仰木監督に関わった殆どの方が来られていました。その光景を目の当たりにした私は、仰木監督の偉大さを改めて知りました。
それ以降、仰木彬監督が亡くなられた12月には、ほぼ毎年神戸を訪れています。
仰木監督が救った神戸の街がいつまでも明るい街であって欲しいとの思いを込めて、神戸を訪れています。
それから13年経ちますが、仰木監督の意志は多くの方に今も引き継がれていると思います。
中には花道を作ってくれたにも拘わらず、警察の世話になった人間もいれば、2年前に「20年前の出来事は忘れました」と平気で口にする馬鹿オーナーと言う恩知らずもいます。
ですが、がんばろうKOBEの精神はこれからも変わらないでいて欲しいですし、次の世代にも伝えなければいけません。
プロ野球ファンの殆どの方は「名将と言えば?」の問いに長嶋監督や王監督、星野監督等と答えると思いますが、私にとって名将は仰木彬監督と上田利治監督の二人を真っ先に挙げると思います。
もし、ドラゴンボールが実在するのなら、仰木彬監督を今すぐにでも蘇らせたいですが、仰木彬監督の魂は永遠に不滅です。
これから先、仰木監督の意志は受け継ごうと思いますし、神戸の更なる発展の為に、がんばろうKOBEも守って行こうと思います。
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