この問題について今さら僕がどうこう言うこともないのですが・・・
読売新聞オンラインと美術館連絡協議会が公開し、批判が噴出した美術館女子のウェブサイトの公開が先日終了したんだそうです。
この問題について、一応今回少し触れておきますと、ジェンダーバランスの公平性や美術館をいわゆる“映え”の道具として使っている点などに対して批判が噴出したのでした。
それにしても昨今のアート関連のニュース、
昨年のあいちトリエンナーレの表現自由問題なんかもそうですが、なんだか明るい話題が少ない様に感じますねぇ。
さて、今回の美術館女子問題ですけど、
僕はSNSである程度炎上した状況になってから知りましたけど、多分僕がそんな状況や問題を知らずにこの美術館女子のウェブサイトを見ても、正直なんの疑問も持たずに、「こんなんが始まったんだぁ、へぇ。」くらいだったと思います。
そもそも“○○女子”とか“○○男子”って、そのネーミングの根底には、「なのに」という意味合いが含まれていると思うんです。
例えば“スイーツ男子”なら、「男“なのに”スイーツが好き。」、“弁当男子”なら、「男“なのに”弁当を自分で作って持ってくる。」
“肉食系女子”なら、「女“なのに”ガツガツと積極的に男性にアプローチする。」などなど。
そんなのメディアが作り出したテキトーなイメージだってことくらい、誰もがみんな分かってるはずですけど、以前よりもジェンダー意識の高まりとかタイミング的なものもあって問題が大きくなったのかもしれませんね。
(まぁ、そもそもどの美術展も大抵7:3前後で女性の数が多めな印象なんですけどね。)
- B型だから自分勝手
- イタリア人男性だからチャラい
- 沖縄生まれだから時間にルーズ
- 男だからマルチタスクは苦手
- 女は地図が読めない
こういうイメージって多かれ少なかれあると思いますけど、当てはまる人もいればそうじゃない人も沢山いますからね。
まぁそうしたイメージが上手く機能する場面もあるんでしょうけど。
もうちょっと別の例で例えてみると、先日アメリカで黒人男性が白人警官に暴行され、それを契機に各地でデモが発生している状況ですよね。
僕自身、差別には勿論大反対ですし、
「あ、黒人が歩いてる!よし殴ろうっ!!」みたいなことは勿論ないですよ。(←そんなん相当ヤベェ奴だよ。)
でも、例えばこんなシチュエーションを想像してみたください。
小雨が降る中、暗い夜道を一人歩いていると、後ろから大柄な黒人がフードを被った状態で近づいてくる。
僕だったら正直、ちょっと怖いなって思っちゃいます。
でも後ろを歩いている方は、
「雨降ってきちゃったし、急いで帰ってシャワー浴びよ♪」なんてことを考えてるかもしれません。
なので、実際に差別的な行動を伴わなくても、潜在的にはやっぱり多かれ少なかれ人を見た目で区別とか差別はしてますよね。
ちなみにですが、その後ろから近付いてきた黒人ですけど、男性をイメージしませんでしたか?
僕は男性とも女性とも言及しておりません。
ルーヴル美術館の《モナリザ》って実物見たことありますか?
これはネットで拾った写真なのですが↓
僕が随分昔、学生時代に訪れた際もこんな状況でしたし、今も大体こんな感じでごった返しているんじゃないでしょうか。
展示室では《モナリザ》単体を撮る人もいれば、《モナリザ》と一緒に記念撮影する人もいました。
ちなみに僕は学生時代に、大学の友人と訪れた際、もの凄い人混みの中、その友人と《モナリザ》の写真を撮影した記憶があります。
僕がデジカメで撮った写真を確認した友人は、「あのモナリザちゃんと一緒に写ってもうたわ。もう最高や~。」と喜んでいました。(←友人は関西人。)
今回の問題、AKBのアイドルが被写体となって作品が添え物状態になっていたことも問題視されていましたが、
結局のところ作品に対して、“私が撮った写真“か、“私を撮った写真”くらいな違いなもんで、本質的に大した違いはないかなぁ。と僕は思っちゃいます。
そもそも最近は展示室の写真撮影OKが国際標準になりつつありますし、SNSでの拡散を意識した集客も目立ちますからね。
ただ、何枚も何枚も延々と一つの場所で撮り続けられちゃうと、「いい加減どけや。」とは思っちゃうことはありますけど。
そもそも館側からしたら来てお金を落としてくれれば同じですし、コロナで集客も落ちて大変な状況ですからね。
といったところで、
美術館女子なんてコンテンツを思いつく人って大抵、古臭い意識のおじさん世代であって、ちょっとズレてんのよ。
なんて勝手なイメージをもってしまう僕自身、古臭い意識のまんまですね。