☆ゲスト企画☆俺のヴェルディ、私のヴェルディ -1- | 東京ヴェルディバレーボールチームを応援するブログ

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V・チャレンジリーグに所属する東京ヴェルディバレーボールチームを応援するブログです。

 こんばんわ、EL13-桂-です。

 今回はゲスト企画として、
東京ヴェルディバレーボールチーム指導普及部長・後援会事務局長
藤生栄一郎
に寄稿していただきました!

 ありがとうございます!!


第1弾 はじめのヴェルディ

 ある日突然、メールを頂きました。(※管理人注)

「(略)今回の企画、共通テーマとして『☆ゲスト企画☆俺のヴェルディ、私のヴェルディ』というタイトルを想定しております。
その中で、記事をお願いする人の裁量で、サブタイトル『○○のヴェルディ』としたいと考えております。
○○の中には、それぞれの人称代名詞をいれていただこうと思っております。」


 ずいぶん前にご連絡をいただいていながらずっと書けず、ご迷惑をおかけしておりました。
で、ようやくいろいろ落ち着いたところで、書かせていただこうと思います。
しかし、○○の中には人称代名詞って...。
いきなり、企画外!?
人称代名詞で「俺の、私の」と行きたいところですが、そんな大それた...。

 ということで、あまり知られていないであろう、バレーボールチーム誕生の頃のお話を書かせていただきます。
「はじめの一歩」です。
ま、最年長者の努めとでも思って下さい。
あ、「最年長のヴェルディ」!
(やっぱ人称代名詞じゃないですね。^^;)

 
 さて、上にも書いたとおり、チーム最年長のおっさんです。
普段は練習場所を提供して練習を眺めたり、気が向くとレシーブ練習を付けたりと、気ままに過ごさせてもらっています。

 自分のメインは、バレーボール教室だと思っています。
これまで何人の小・中学生、高校生、ママさんたちとバレーボール教室をやらせていただいたでしょう。
大変だといえば大変ですが、これから書くスタート時点の理念を考えれば当たり前のことで、この活動をやめてしまえば、ヴェルディバレーボールチームがスタートを切った意味が無くなってしまうとさえ思っています。

 その意味では、今回、このような物を書かせていただけるというのはとてもありがたく、貴重な、意味のあることだと思っています。
(管理人さん、ありがとうございます!)


 さて。

 2001年2月28日、その年のサッカーチームの新体制発表と時を同じくして、バレーボールチームを正式に立ち上げることが記者発表されました。

 発表では、今後の細かい内容には触れることなく、それまで長く活動してきていた「東京教員バレーボールチーム」を母体にしてバレーボールチームを立ち上げるというものでした。
 残念ながら集まっていた記者はバレーボール関係者ではなかったこともあり、翌日の新聞紙上ではそのチームが目指す活動などは理解されることなく、
「あるクラブチームが金銭的な援助を得て活動し、Vリーグ(現プレミアリーグ)を目指す。」
というものでしかありませんでした。
 実はこの報道上での誤解はいろいろな波紋を広げ、特に東京教員バレーボールチームのOBからは非難されるようなこともあったのですが、結果としてチームが目指すことを明確にしていく重要性を強く認識することができました。

 折しも2000年9月、文部省(当時)より、「スポーツ振興基本計画」なるものが出され、「総合型地域スポーツクラブ」の全国展開構想が拡がっていました。
それは、中学校区程度の地域において学校体育施設などを活用し、地域住民の誰もが参加できる総合型地域スポーツクラブを整備していくというものでした。
 そもそもヴェルディと東京教員バレーボールチームが結びついたきっかけはこのことが重要な意味を持っています。

 当時東京教員バレーボールチームでキャプテンをしていた山中禎一郎(現監督)、代表者となっていた藤生、マネージャーの3人で東京ヴェルディの担当者と話し合いの結果、このチームの活動方針として、

1)トップチームの強化
2)指導普及

の二本柱が確認されたのです。

 つまり、日本バレーボール界のトップチームを目指しながら、広くバレーボールの指導普及活動に貢献していくことがこのチームの使命としてスタートを切ったのです。
 東京にある強いクラブチームだからと白羽の矢が立ったのではなく、様々なレベルで指導普及活動ができるクラブチームとしての存在が大きな意味を持っていたのです。

 …と、言いたいトコなのですが、すでに東京教員チームはピークを過ぎ、2000年には出場枠が1つになったこともあり、NECクラブに負けて全国大会出場を逃していました。
 その前年度まではほぼ毎年、NECクラブと共に全国クラブカップ選手権に出場していました!
ちなみに1984年からは10年連続、1999年までの16年間には13回全国大会に出場し、その間全国大会優勝1回、準優勝2回、第3位2回!

 そして、チーム結成を発表したその年の5月に、全日本実業団男女優勝大会東京都予選で優勝し、7月の全国実業団大会で優勝。
翌年2002年の地域リーグに初参戦し初優勝。
3月には地域プレーオフにも優勝してV1リーグ(現チャレンジリーグ)に昇格しました。
その後、昨年度まで6シーズンのV1リーグを戦い、3回上位リーグ(Vリーグ、プレミアリーグ)との入れ替え戦に臨むも敗退、昇格は果たせず今日に至っています。
 その間、2本柱であるバレーボール教室も40回以上行ってきており、仕事とバレーボール競技の両立に苦労しながらも、指導普及活動にも力を注いでいます。

 実は面白いことに、東京ヴェルディ(サッカー)の前身である読売サッカークラブは、設立当時日本テレビの社員を中心としたNTVクラブに東京教育大(現筑波大)出身などを加えて東京リーグBからスタート。
クラブ設立の目的は、「将来プロのチームを作ることと、底辺を拡大すること」だったといいます。
何となく共通するものを感じるのは、私だけでしょうか。
そのチームは昭和44年にスタートして、昭和52年にトップリーグに昇格、昭和53年にはトップリーグで5位となっています。
 それと比較すると、すでに遅れをとってしまっていますが、じっくりと足元を固めて、2本柱を大切に、多くのファン、サポーターに応援してもらえるチームを目指したいと思います!


 ということで、今回は東京ヴェルディバレーボールチームの誕生秘話(?)でした。
どうぞこれからも応援よろしくお願いします! 


ふじなま。

(※管理人注)
ヴェルディに関するお話を書いていただければ、というメールを送らせていただきました。
その中で、企画のテンプレという形でお願いしたもの、です。




 藤生 栄一郎
1960年2月21日生まれ
東京都出身(高校はH総理+O幹事長の後輩!・支持してるかどうかは別^^;)
東京ヴェルディバレーボールチーム指導普及部長+後援会事務局長
ブログ:ふじなまさきなまの「俺は強い」
本職:TF高校保健体育科教師+女子バレーボール部監督