どうしてこんなに人気なの? EXILEが好きになれない理由 | 注目ニュース情報ステーション

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武田砂鉄さんの芸能時評、今回取り上げるのはソロ活動を本格化させメディア露出も増えているEXILEのボーカルATSUSHI。国民的人気グループのEXILEですが、日焼けしたマッチョなボディの彼らが、半裸で踊り歌う姿に「どうしても好きになれない」なんて毛嫌いする声もよく聞かれます。しかし「なぜEXILEが好きになれないのか?」なんてことを考えてはいけません。その理由を武田さんが解説してくれます。

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●「急性エグザイル中毒」を起こさないために

年末年始くらいかなぁテレビで音楽番組をダラダラ観るのなんて、という人は、急性エグザイル中毒を起こしやすい。慣れない体に一定期間に集中してあの光景を与えると、耐性のない体の血中エグザイル濃度が突如上がり判断機能が麻痺してしまう。ここで、麻痺を必死に振り払って、「あんなホストみたいな連中が今のJ-POP界のトップだなんて……」と雑に片付けてしまうケースが多いのだが、それはさすがに無礼だと思うんである。流行りのヤンキー文化論や地方都市考察の代名詞としてEXILEが登場するのはテッパンだが、あの軍団の野心はそもそもディスカッションをするテーブルには座らずに、エアロバイクを漕いで漕いで筋肉をつけまくることを一義に根を張っているわけで、考えれば考えるほど考えた側の一方通行となり、筋力に乏しいこちらはたちまち疲れ果ててしまう。EXILEを外野から見つめることは思いのほか難しい。だからといって「体が受け付けない」とする反応を、一丁前の理由として走らせるだけではいけない。

●「暴力団」から「暴力」を引くと「団」になる

震災以降の「絆産業」というか「立ち上がろう産業」というか、スローガン重視のプロジェクトのいくつかには彼らの名前があった。昨年リリースされた彼らの代表曲の1つ「EXILE PRIDE」のサブタイトルは「こんな世界を愛するため」だ。こんな世界ってどんな世界なの、という子どもじみた設問をディスカッションのテーブルに持ち込んではいけない。繰り返すが、彼らは議論の場には登場せずにエアロバイクに乗っている。この文章、ファンの方はさぞかしお怒りになるだろう。しかし、怒りを煽るためにこう書いているのではない。EXILEが構築する「集団・族・TRIBE」の肝は「外からは何も言わせねぇよ感」にあって、それが限られた縦社会の身体性のみで育まれていく以上、突っ込む手段を持てないのである。強面のお兄さんたちなのだが、暴力の匂いがしない。「暴力団」から「暴力」を引くと「団」になる。その「団」にこれまでにない史上最大の厚みを持たせるのが、彼らが口を揃えて言う「最高のエンタテインメントの追求」ということになろう。昨今の長渕剛が放つ自衛隊臭には下手すりゃ往復ビンタされる緊張感があるが、EXILEが放つヤンキー臭からは他団体と抗争するピリピリムードが漂わない。暴力が介在しない。

●「何も言わせねぇよ感」を豊かに耕すATSUSHIの存在

ここ最近、ソロ作のPRも兼ねて、ヴォーカルのATSUSHIがやたらとバラエティに出ている。彼はEXILEの「外からは何も言わせねぇよ感」を作り上げる、優しい笑顔の外交マンだ。どのカヴァーソングを歌っても自分の持ち歌のようにスムーズに情感をこめていく圧倒的な歌唱力。彼が「ふるさと」などの唱歌を歌いながらイメージとしての「故郷」へのアクセスを始め、その過程で辻井伸行や久石譲や瀬戸内寂聴といった「分かりやすく本物」な人たちと繋がっていく。この外交で培った「何も言わせねぇよ感」を畑に持ち帰り、そして耕し、グループ全体の作物を豊かに実らせていく。バラエティに出ればその確率100%で持ち出される「サングラスを外すと優しい顔をしている」に端を発するチャーミングさも、彼らの「何も言わせねぇよ感」の担保になっていく。

●ATSUSHIのコメントは失言をしない政治家のごとし

今秋からのEXILE一族のツアーにATSUSHIが参加しない意向を明らかにし、ファンの間では脱退かとの憶測も飛んでいるようだ。その噂を火消しするように早速ATSUSHIがHPにメッセージを発表した。来年のEXILEのツアーには必ず参加するとし、「ファンの皆さんに……/そして日本に……/夢と愛のあふれるエンタテインメントを/愛を感じられる歌を/真心のこもった活動を/一生懸命お届けしていきますので、/これからもどうか応援よろしくお願いいたします」と書いた。謝罪のスケールがでかい、同調のスケールもでかい。このコメントの「ファン」を「国民」に、「エンタテインメント」を「政治」に、「歌」を「我が国」とでも変換すれば、それがたちまち(自民党保守派の)選挙演説に様変わりする。余計なことを言わない、徹底的に促すのは一致団結だ。どこぞの政治家のように調子づいた失言で信頼を損ねることはない。慎重に選ばれた言葉だけを使い、確かな一致団結を呼び込む。

●EXILE「嫌われない男気」とアドラー「嫌われる勇気」

自身のバラエティ番組などで頻繁に見かけるシーンなのだが、EXILE集団はウケるとき、なにかと立ち上がって大げさに手を叩く。その笑いを共有するためなのか、メンバー同士でハイタッチすることも少なくない。EXILEは笑いですら、個人が発生させたものを全体で認め合うというスタイルをとるのだ。そこに強制は無いが、忠誠心が前提となってはいる。

アドラー哲学を対話形式で読み解いた岸見一郎・古賀史健著『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)がベストセラーとなっているが、ここに書かれている教えは、EXILEメンタリティと相反する。「他者からの承認は、いりません」「自由とは他者から嫌われることである」とするアドラーは、「皆さんと一緒に“AMAZING WORLD”の創造へ。僕らもワクワクしながら、全力で挑戦していきます」とするHIROとその一族の前のめりとは馴染まない。「世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ『わたし』によってしか変わりえない」とするアドラー哲学は、闇雲な団結でこんな世界を愛そうと一糸乱れぬダンスを踊る集団とは相容れない。連帯から「俺たち」を起動させるEXILEは、「『あの人』の期待を満たすために生きてはいけない――」とする「嫌われる勇気」の対極にある。言うならば「嫌われない男気」、「HIROの期待を満たすために生きなければいけない――」のだ。EXILEに向き合うと大きな議題がいくらでもこぼれてくる。受け入れられないからといって「あんなホストみたいな連中」で終わらせてはいけない。

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