10代後半の頃だっただろうか…。
次第に社会・世の中の仕組みとその矛盾点が見え始め、何度か思春期なりの失望をした記憶がある。ま、多感な時期だったということもあったのかもしれない。
要は…
「なぜこんな理不尽・不合理が平気でまかり通って放置されているのだろうか…?」
といった漠然とした不信感だったように思う。この辺はどなたでも似たような心境に至ったことはあるはず。
その後、時間は過ぎ、月日の流れとともに…ある時、その輪郭がおぼろげながら多少つかめたように思えたことがあった。
「理不尽・不合理がまかり通って放置されている背景には…それなりの理由があるのではないだろうか?」
という至極まっとうな帰結である(笑)。
では、その理由ってヤツは一体何なのだろうか…?
少年期から青年期に入って、それが自分なりのちっぽけだけど当人にとっては大問題にも思えたテーマでもあった。日常ルーティーンから外れた時などに、ふとどこからか忍び寄って来るとりとめもない疑念である。
そしてそれは程度の違いこそあれ、現在まで続いてるような気がする。完全に納得できる解答なんぞ恐らく存在しないのであろう。ただ、思春期と比べれば、依然ぼんやりとはしていても大枠はつかみかけてるような実感はある。
前置きが長くなってしまった(笑)。結論から言うと…
「その理不尽・不合理が好都合な人達がいる」
という何とも難しい問題である。要は利権になっているのだ。その規模が大きくなって団体や組織になるとより根深く、さらには権力と多少なりとも結びつくとそれは一層複雑で容易に変更できない存在となり、時には巨悪にまで至ったりもする。
厄介なことは、通常このような利権構造に光が当たる機会が著しく少ないということである。とりわけ、大規模で長期化している場合にはその傾向が強い。
本来ならこのような問題に光を当てる社会的役割を担う存在こそがマスコミであろう。ただ、近年、問題にされつつもあるようだが、今やマスコミは報道する自由よりも報道しない自由の方をより優先してると思える事案も多々見受けられる。
思春期の頃には、
「なぜ出番であるはずのマスコミはこんな時に沈黙しているのだろうか?」
と不可解に感じていた時期もあった。ただ、今は多少はわかる。ほとんどの場合、マスコミもその利権構造の一部に組み込まれてしまっているわけだ。スポンサーのご都合には逆らえず、自身のネガティブな情報を白日の下に晒したくないのは人の世の常なのだろう。
だけど…と思う。これを現実だとか大人社会だとかしたり顔で切り捨ててしまうには、どうやら僕の血潮はまだまだ熱過ぎるようだ。
さてさて…。
2020年から始まったコロナ騒動…こちらではもうマスクを着用してる人はほとんど見掛けなくなり、公的機関でも着用を求められることはほぼなくなっています。マスコミでその話題を聞く機会も激減して、街中で話題になることもめっきり減りました。大袈裟に言うと、急速に風化してもう過去のこととして片付けられつつあるような体感すらあります。
他方、日本ではまだコロナ禍が歴然と声高に叫ばれていて…マスクが外せない日々が続いているのだとか…。
何よりもこのコロナ騒動で気の毒なのは…子供達であることは言を俟たないでしょう。大事な成長期に、行動を制約されてマスクを強要されて…最近では政府が熱心にワクチン接種を推奨しているのだとか…?オイオイ~!
人間よ、もう止せ、こんな事は(高村光太郎風)。



