東京物語 muda
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苔が生えるまで考えます

無印の「ハーブ水」は天然の素朴な風味をよく生かしており、
ハーブ特有の、脳にスッキリとした低刺激を与える
ほのかな香りがかなり高品質!と思い
久々に会った友人に少々興奮気味で差し出すと

「人工的な味がするね」

と軽くあしらわれた。

いや、相当香ばしいから!でもよく考えたら
所詮「ペットボトルに閉じ込められたハーブ」の次元で
美味しいマズいの甲乙をつけていたのであって、
天然の水(すい)と、柔らかい十分な日光と、豊かな大地
によって育まれた天然のハーブを、秘境の天然水を贅沢にも
沸騰させて編み出した「天然ハーブ水」に比べたら、
「ぺっぺっ」なのであった。

ドトールのベーグルとファッキンのフルポテに
痛めつけられた、己の人工を甘受した舌を
「アクロン」でおしゃれ着と一緒に洗ってしまいたい
ような心持ちだ。


今私の小さな楽しみというのは、昨日「杉本博司展」で買った
はがきをどこに飾ろうかと悩むことだ。大量に持ちこんだ
フライヤーもある。こいつをモールスキンのノートに挿んでやるのだ。

杉本博司の「苔のむすまで」を今読んでいるが、
とても日本人心をくすぐられて、仏を前にして
いる時のように、心が洗われるようだ。
老人のような文になりかけているが、
若気の至りということで、許してください。

彼の興味は、能、考古学、日本史に及ぶ。
「人にはどれほどの土地がいるか」
という哲学的物語を引き合いに出していて、
目から鱗だった。

ある男が、新しい土地でインディアン「日が沈むまでに
戻ってくれば、好きなところまで行って
杭を刺して、自分の土地にしていい。」
と言われる。
彼は、必死に遠くまで行って杭を刺して、
日没寸前に、インディアンの元に倒れ込むようにして
戻るが、大きな土地を所有する目前に、そのまま死んでしまう
という、教訓めいた物語。

調べると、どうやらトルストイ著作らしい。

この物語の指し示すところは、
彼は結局自分を埋める墓石分だけの土地が必要だったのだ。
という結果である。

んなるほど。プラスアルファは贅沢なのか、余裕なのか。
でも結果論でしょ?わかんないわ~
哲学って表裏一体なの?
わかんない。

いや、
結局慣れでしょ、慣れ。
大きかったら大きくっていいし、小さければ小さいなりに
人間って「こんなもんかな?」って思ったり、
「あとちょい行けそう」ってがんばっちゃうものだし。


現実とプラスαのバロメーターがグイングイン
動いて平均値を保とうとしてるのかな。
適当に言ってるだけだけど。


私読み方間違ってる気がする・・・
きっと、「欲張ったって、実際に利用するサイズってのは
限られてるのよ」ってことで、
「至極最低限の生活」とか表してるんだろうなあ。
もっと深かったもの、杉本博司が引用してる
文章の中では。

で、私なりに深めてみた。

京王線とJRを繋ぐ、ラグビー戦のように人が体当たりして
は行き交う空間で、ふと、思った。

「私ってそういえば、いっつも同じ軌道を描いてるよな。」

と。地球は広いけど、この辿ってる軌道しか、自分には
必要ないのか?違うだろ。自分の一生で辿った軌道を
アリの歩いた道筋よろしくどっかに記録してみたいなあと思った。
めんどくさいから絶対やらないけど。

そこで、漱石の「日本は広い。でも頭の中はもっと広い。」
を思い出す。

もう少し考えを進めてみると、

「目を瞑るだけで、どこへでも好きなところへ行けるのは、
人間の特権である。」

という考えがぽっと浮かぶ。
土地を奪われるより、「思考」を奪われる方が嫌だ!

ってどなたか昔の人が言ってた気がするが、

賛成!

それを考えるに至ったのも、そもそも今日、久しぶりに会った
友人と、沖縄への妄想を興じて、自分が見た沖縄の海が
いかに青かったかを主張し合って、沖縄の青い海を
想像しながら話してるうちに、
「もう限界!絶対行きたい!我慢できない!」って
状況に至ったからなんだ。

あら?じゃあ結局想像だけじゃ満ち足りてないんじゃん、私。

まあ、このように、現実と妄想(プラスα)のなかを行ったり来たり
してるんであります。

まとまってないけど、なんかいろいろ繋がって、面白い。




明日は宣伝会議賞の締め切りですね。目指せ100万円。

お金、となると実際あるにこしたことはないものねえ。
Mさんが言ってたように、
「金がないと、困ってる周りの人も助けられない」
わけだし。


でも今は自分が必要みたい。

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