韓国についに旅行に行ってみた。



安い・おいしい・近い等々、理由は多々あるが私が行った韓国の感想は

他の人とは視点が違う気がする。



なぜかといえば、大抵の人がソウルは東京と大して変わらないと言う。



しかし、私からしてみれば大違い!!!!



だって町の中心がきちんと決まってる(つまりダウンタウン的なもの)

山に囲まれ空がきれい☆

女性は美意識が高く、日本人よりスタイリッシュ!

男性は日本語で話しかけてもみんな親切に道や電車の乗り方を教えてくれる。



韓国は日本より何十年と遅れていると言われてきていたがもはや

そうではなく、余裕ぶっていた日本はまさに抜かされそうになっているのだと思う。



中心地があるだけに人が生きているという感覚を感じた。

日本人が忘れた心を彼らはまだ持っている。

発展し続ければ、彼らも日本人のように機械的な人間になってしまうのか。



真の発展とはなにかそんなことを感じた。












私は小学生以来初となるお葬式へ行った




おじいちゃんが亡くなったのは小学生の時だし

離れて住んでいたのでイマイチ人が死ぬということの意味

そして悲しみを分かっていなかった




そして22歳にして人が死ぬことの悲しみを目の当たりにした


これは遅すぎるとは思う・・・だからこそこうして書いてみる




亡くなったのは同じ社宅に引っ越してきた時から住んでいた一家のお父さん



うちのマンションは仲がいいのでお葬式へ行くと

馴染みの顔が多くあり、みな涙を浮かべていた




正直言ってなぜみんながそこまで目を真っ赤にしているのか分からなかった



もちろん人が死ぬことは悲しいし悔やまれることである

しかし悲しいことに親族などを除けばある意味人事なのである




私は父と焼香に向かった・・・

列は横に4人、縦に10人くらいと並んでいて

私のところから遺影、並んで参列者に挨拶している遺族とは距離があり

私はただ下を向き順番を待っていた



そして少しずつ前へ進み顔をあげた時、

遺族の泣いてる顔がはっきりと見えた

その瞬間、私の目からは涙が溢れ出てきた


私は見てはいけないものを見てしまったような気がした



確かに同じマンションに幼いころから住み、遊んだなかでもある

しかし何年もあっていなかったのに目を真っ赤にして

悲しみに耐えながら必死に参列者に頭を下げている

私よりも3歳年下の彼女の顔を見た時



涙が止まらずに溢れ出てきた





それは人が死ぬ意味や悲しさなどという言葉を通り抜け





どんなにお父さんが逝ってしまったことに無念を感じているかという

簡単なことが私の胸に突き刺さり考える暇もなく涙が

涙が自分でも驚くくらい溢れ出てきた





それとともに隣にいるお父さんが亡くなったらと自分と彼女をだぶらせて見ている自分がいた





後から母に聞いた話だが

私より先に焼香をあげた母や同じマンションから来た一向を見た時に

それまで泣いていなかった一家が泣きだしてしまったそうだ




馴染み深い顔を見て、本当に父が逝ってしまったという感覚になったのでしょう




確かに人が一人死んでも世界は変わらない

そしてその人の周りも時間が経てば何事もなかったかのように回る







お葬式のあと私と母そして同じマンションのみんなで家に帰った





私たちの顔には笑顔があった

さっきまで泣いていてその死を悲しんでいたというような名残はない





いや、ないかのように見える





しかし確実に人の死は私たちに変化と影響を与える





その後

みんながそれぞれ少し変わった。

彼の死に携わった人々が確実に感じ、得るものがあった







特に母・・・





元気なのに異様に自分ももうダメかもしれないと

あの日から、かよわいぶっているのだ。笑









私はファッションが昔から好きである

どれくらい前から好きかというと3歳ぐらいから

母の選んだ服でも気に入らないと文句を言っていた(かなり生意気な子供である)


そして最近思うことはファッションというのはおしゃれをするという単純な概念をとび越え もっと意義のあることではないのかと。特に東京では。


東京育ちの私には流行っているもの最新のものが簡単に手に入ることが当たり前だった


中学ではサンシャインデビューをしPopteenという当時定番だった雑誌を買い

ファッション業界の動向をチェックしていた 今考えるとなかなかいけていた中学生だと思う


高校ではパワーアップし、というのも人生は高校時代が一番華だと考えていたから。(完全な勘違い)

ファッション狂の友人たちとおしゃれについて語り、誰よりも時代を先取りしていたかった。


大学でももちろんおしゃれに敏感だったし、なにがいけているかどう組み合わせたらいいか なにを買えばいいかということは当たり前のように私の頭の中にいつも出来上がっていた。


そしてハワイへ1年間留学し帰ってくると不思議なことが起きた!


何がいけていてどう服を着こなし、何を買えばいいのかが見極められなくなったのである! というのもファッションとは疎遠な場所で1年間過ごしていたために、ついていけなくなっていたのである。


私はそんな自分にかなりショックであった。 時間が経過するにつれそれは治り、また見極められるようになったのだが


私にとってその病気は貴重な経験だった。


なぜなら世の中のおしゃれからはずれ趣味の悪いコーディネートをしている人たちの気持ちが 少し分かったからだ!こんなことをゆうとDevilだが(まさしくプラダを着た悪魔のような人)私は いいとこのブランドを買っておきながらそれを着こなせていない人たちに憤りを感じていたからだ。


なぜあなたはその柄にまた柄を合わせるの!?

なぜあなたはその色にそのコート!?

なぜあなたはその丈の長さのスカートにその丈のトップス!?

なぜあなたはそのブランド柄のバッグをその普通のファッションに!?


と街で電車でピーコ並のファッションチェックを一人していたのである。

もちろんおしゃれな人のファッションは、勉強になります。と姿勢低めでチェック!


そして言えることはお金を持っていてもファッションベタな人はお金をかなり無駄遣いすることになると いうことである。

私は買い物で失敗するということがほぼないし、持っている洋服をフル活用することが出来る。 なのでファッションにより低いリスクでお金をかけ楽しむことが出来る。


ここで言いたいのはお金を稼ぐというのは確かに能力の一つだが そのお金を使うというのも一つの能力であるということだ。 他にもお金の使い方はたくさんあるが女性が普遍的に愛し共有するものがファッションなので 例に挙げてみた。


そしてセンスのいいファッションというのは相手にも良い印象を与えることが出来る。 ファッションで人の価値を見極めることはさらに難しいことだがファッションひとつで 人生をコントロールすることが出来ることも事実である。



例えば 男性ウケの良いコンサバファッション! これは保守的なファッションという意味で簡単に言うとcamcan雑誌のようなファッションである この雑誌は日本で最も売り上げが高く日本女性に支持されている。


そこからいかに日本の女性が謙虚で万人受けするものを好むかということが分かる つまり男性はそのような性格の女性を好むからコンサバなファッションが自然と好きな わけである。(おしゃれな男性は好まないファッション)


確かに金髪に意味のわからない色の服にセンスの悪い服を着ている女性

もしくはおしゃれすぎて自分はついていけないというような女性より 無難にまとまっている女性のほうが付き合いやすいであろう それなればいっそのことコンサバファッションにシフトしてみたら女性として もてるかもしれない。


人は見た目でわかるというが。 人は見た目しかみていないというこである。



中身は同じ人物でもファッションや髪型、化粧を変えるだけで人の見方は変わり 人生も変わっていくであろう

それほどファッションとは奥深いものだと私は解釈している


もういちど自分のファッションを見直し、有意義にファッションを楽しんだら 人生が変わるかもしれません。