Muddy lads part 1
「えっ?でも、雨があがるのは日が代わってからになるって、天気予報でも言ってますよ。」
「分かってるだけどさぁ。先方さん達が、張り切っちゃっててさ。多少の雨でもやるって言ってんだよ。」
「でも、多摩川の河川敷でしょ?今雨が止んでも、田んぼ状態ですよ、田んぼ!無理でしょ!しかも、朝8時に現地集合って、無茶苦茶でしょ。」
「まぁ、そう言うなよ。俺家が近いから、明日7時前にグランドの状態見に行って、必ず連絡するからさ、頼むから予定は空けといてくれよな。」
俺は、その年に2回目の転職をしていたが、前々の会社の先輩にはまだ懇意にしてもらっていた関係で、練習試合の助っ人として参加させてもらえることになっていた。なんでも取引先の卸問屋の若専務との間柄で、どうしても練習試合を企画してほしいと頼まれたらしい。
その若専務、今までサッカーなぞやったことはなかったが、子供の試合を応援に行ってるうちに、試合中に味わう興奮や、勝った後の充実感などに影響されて(自分じゃなくてあくまでも子供がやってるのだが)同じマンションのお父さん達と話が弾み、お父さん達のサッカーチームを作ったそうな。
ほとんどのメンバーが、未経験はおろか、ろくすっぽ練習もしておらず、テレビで観ているトップレベルのサッカーのイメージを妄想しているうちに、どうしても腕試しをしたくなったらしい。
そんな折、運良くというか運悪く、俺の先輩が会社にサッカーチームがあるって話をしてしまったもんだから、
もう居ても立ってもいられなくなってしまったようだ。
2週間前に決まった試合日程は、明日の土曜日。木曜日から金曜日の夜にかけて低気圧が通り激しい雨を降らせていたので、試合の有無について先輩に確認の電話をしていた。
「え、でも自分は東戸塚ですよ。世田谷に行くのは最低1時間半はかかりますって。7時に連絡もらっても、グランド着くのは8時半とかですよ。遅れたらまずいでしょ。」土砂降りの雨模様で、こっちも逃げ口実作りに必死だ。
「グランドは9-11時に予約してるから気にするなって。大丈夫だって。」先輩も、なんだかんだ俺が逃げようとしているのは既に承知。
他にすることもないので、結局行くことにした。いやいや返事をした前日、あんなにも壮絶な試合になるとは思いもよらなかった。
Lads - ケンペス先輩
あれは、高1の夏休みだった。その日は、自分達1年しかいない日だった。3年の先輩達は、受験に向けて既に引退しており、2年の先輩達も夏期講習だかなんだかでいなかった。
午後から練習があるので、部室に入って着替え始めていた。突然、部室の入り口に長髪の誰かが立って、「おうおう。やっとるのぉ。1年坊か?」と偉そうな口調で話しかけてきた。
サッカー部の部室は、古いコンクリの打ちっぱなしの長屋みたいなもので、中は昼でも薄暗かった。入口に立つと、逆光になってしまい、部室にいる人間からはそこに誰が立っているのか分からない。
その偉そうな人物は、図々しくも慣れた感じでズカズカと部室に入って来て、勝手に着替え始めた。OBの先輩だった。名前は忘れてしまったが、某大学の3年生とのこと。
サッカー未経験の1年坊である自分らは、コテコテの70年代のアルゼンチンの選手のような長髪と、意味もなく余裕をかましているその風貌から、“結構な使い手”的な雰囲気を感じ取り、多少ビビっていた。
かつてアルゼンチンに、マリオ・ケンペスという長髪のフォワードの選手がいた。78年のワールドカップでも大活躍し、地元優勝にも貢献した素晴らしい選手だ。
逆光を受けての登場の仕方とその風貌から、完全にビビってしまった自分らは、尊敬の念と敬意を表して、早速“ケンペス先輩”と名付けた。
ケンペス先輩は、さっさと着替えて、「お前ら遅ーぞ!早くしろ!」と、部室でのろのろと着替えていた自分達を尻目に、ろくにアップもせずにボールを蹴りながらグランドに飛び出して行った。
急いで着替えを終えて現場に駆け付けると、一人グランドに立つケンペス先輩は、シャドウボクシングのごとく、見えない敵を相手にドリブルを仕掛けていた。
そのボールの扱い方には、素人目にも違和感を感じたのだが、なにせケンペス先輩だ。その実力に疑う余地はない。というか、疑っては失礼だ。
1年しかいないので、シュートやセンタリングの練習もそこそこに、すぐにゲーム形式の練習が始まった。
ケンペス先輩は、所属する大学の部ではディフェンダーとのことだったが、積極的にボールを持ち、フォワードの位置でプレーを試みていた。ただ、ことごとくチャンスを潰しているように見えたが、「わりぃわりぃ」と悪びれた様子もなく、その日は終わった。
翌日もケンペス先輩はやってきた。この日も1年しかいなかったが、俺達はケンペス先輩の真の実力を垣間見ることになった。
1年の中にも半分ぐらいはトレセンなどの経験者がいて、やっぱりそいつらは上手かった。
この日、ケンペス先輩は本職であるディフェンスの位置に下がってプレーをしていたが、ある1年がケンペス先輩にドリブルを仕掛けようとした次の瞬間、ケンペス先輩は高速で両足を閉じたり開いたりするという、まったく意味不明な動きを繰り出してきた。
ドリブルの基本技の一つに、目の前に立ちはだかる相手(ディフェンダー)の股間にボールを通して抜く所謂“股抜き”というものがある。
これは、ディフェンダーが、ドリブルしてくる相手を迎え撃つ時に、右に来るか左に来るのかと迷いながら両足に体重をかけてしまい、一瞬股間を開けてしまう時があるが、“股抜き”は、その一瞬に意表を突くドリブルなのである。
ケンペス先輩の“開閉フェイント”は、まさに対“股抜き”のみにターゲットを絞った斬新な防御フェイントだった。
ディフェンダーでありながら、相手を幻惑させるとは!なんという狡猾なフェイントだろう。その全く無意味な運動量とコミカルな動きに、俺達は度肝を抜かれた。
既にお分かりの方もいると思うが、両足を同時に開閉して相手のドリブルを防ぐということは、よほど扇風機のような速さで動かしていれば別だが、ほとんど意味がない。
特に、両足を開いた際は、両足に同時に体重がかかってしまうため、踏ん張った状態で股間はガラ空きになってしまうのである。案の定、上手い奴に、一番警戒している股間からあっさりと“股抜き”をされてしまった。
しかし、本当に度肝を抜かれたのは、その後に見せたケンペス先輩の恐ろしいまでのポジティブ思考だった。
『このフェイントをかわすとは、1年にもなかなかやりよる奴がおるのぉ』的な微笑を浮かべて、何度もその開閉フェイントを繰り返してくる。
みんな、ケンペス先輩に気付かれないように顔を伏せながら笑いを噛み殺して、何度もその開閉フェイントを破った。
その翌日もケンペス先輩は来た。さすがに辟易した俺達は、先に着替えてグランドに出て行ったケンペス先輩に分からないように、部室の裏側にある窓から抜け出して、そのまま練習をサボって帰ってしまった。
次の日、同じクラスの野球部の奴が、「お前らの先輩、夕方まで一人で壁に向かってボール蹴っとったぞ」と教えてくれた。
ケンペス先輩の着替えが残されていた部室は、内側から鍵を閉めたことを思い出した。目頭が熱くなった。次の日からケンペス先輩は来なくなった。
Lads - intro
きっかけは、「ただ何となく格好良さそうだった」から。
それから早25年。まだやってるとは。
サッカー後進県の普通科だから、ある程度は運動神経でカバーできるじゃないか的な最初のノリは、小中学校からやってる奴らを見て、あっという間に崩れ去った。
元来、こつこつと練習したり勉強したりすることが大嫌いな性分な上に、努力しないくせに負けず嫌いという一番たちが悪い性格。そんな自分が最初にやることは・・・・。短時間で手っ取り早く上手くなる方法を編み出す。
現存するいくつかの有名なサッカー雑誌は、当時から月刊で発刊されていたので、毎月のように買って、ブンデスリーガやイタリアリーグなどの選手の写真をじっと観察した。
ふと、ある共通点に気付いた。写真で載っている有名な選手は、みんな脛毛が薄かった。これだ!
“脛毛が薄いとサッカーが上手い”は、いつしか“脛毛が薄いと、遺伝学的に脚・足のどこかの筋肉がサッカーが上手くなるように発達するのでは”という馬鹿バイオ理論を導き出した。
すぐ風呂場で剃った。つるつるになった脛を、お袋に見つかった。
「男はそんなことしなくても好きになってくれるいい娘が絶対にいるから」と、訳の分からん慰め方をされた。
(俺は色気づいてんじゃねぇ!)真剣に、手っ取り早く上手くなる方法を模索し、実行しただけなのだ。
今思うと、25年前のサッカー誌の写真は、解像度が悪かったんじゃないかと思う。どの選手もみんな、脛がつるつるに見えた。
どう見ても濃油い顔のイタリア人やら南米人がワンサカいて、脛毛だけ生えてない訳がない。そんなことに気付く余裕もなく、見事な馬鹿作戦を決行したのだ。
今一緒にサッカーやってる奴ら(Lads)は、マジックテープのような胸毛や脛毛が生えている。そしてちゃんと上手い。馬鹿バイオ理論は陽の目を見ることはない。
