10年ほど前、父親が亡くなりました。
死因はアルコール性による肝臓がん。
アルコールを一生離せず、アルコールと心中してしまったけど、その割には70歳近くまで生きて長生きでした。
飲んでいない父親の姿は、子供の頃からほとんど見たことはなく、しかも飲めば酒乱でしたから、今でいう「児童虐待」でした。
あの頃はそんな言葉すらなく、ひたすら耐えるしかなかったですけど、もし児童相談所を知っていたら自分で駆け込んでいたでしょうね。
母が私によく言っていたのは、父を指して、「あなたはあんな風になっちゃダメよ。もっと立派になりなさい」、と。
私も父を見て、母の言うことはその通りだと思っていましたので、何とか世間に通用するような立派な人間にならねばと背伸びしてきました。
母が思い描くような大学に入り、就職をし、大企業に入ったからは出世しないとね、と言われ、その言葉に従ってきたところはあります。
でも、社会の大海に出ると、どうしてもうまくいかないんですよ。
私はコミュニケーション下手で、真面目一本やりで、器用に立ち回ることが上手ではない。
どんなに勉強ができたって、社会ではそんなのものよりももっと必要なスキルがあったんです。
私にはそれが欠けていて、その後それをカバーしようと一生懸命にもがきました。
でも、自分の能力の限界点はあまりに低く、背伸びし続けた私はメンタルがおかしくなりました。
そして、せっかく入った大きな企業も去ることになりました。
企業の傘も取れて肩書もなくなり、ただの一人の人間になった丸裸の私。
そこでふと感じたのは、「私は父親の生き写しだ・・・・」ということ。
父は会社では実直に働いていたようですが、出世とは縁がありませんでした。
私も社会に出てわかるようになったのですが、父の実直さは、会社の求めるうまく立ち回り会社を利する働き方とはずれていたのでしょう。
父の働く姿を見たわけではないのですが、私自身の実直さが会社の求める実直さとは異なっていたので、きっと同じだったのだと思います。
父のアルコール依存も、あれは精神的な病です。
私は父の姿を見ていたからアルコール依存にはならなかったけど、別な形で精神を病むことになってしまいました。
父も趣味と言えるほどの趣味はなかったですね。
私も、社会に出てからというもの、仕事に心血を注いでしまい、休日は疲れ果てて趣味がなくなりました。
唯一続いていたのは「女装」ですけど、これは人に言える趣味ではないですからね・・・・・・
あと、父は友達らしい友達がいなかったですね。
酒癖の悪さもあり、会社にも親しい人は少なかったのだと思います。
そんなコミュニケーション下手なところも、私と同じでした。
そうやって、一人のただの人間になった私が、父の性格や行動と自分を比較したとき、あらためてそっくりだということに気づいたのです。
正直、がっくりきました。
だって、子供の頃から何十年の間、父のようにならないように頑張ってきたのですから。
でも、結局行き着いた先は、父と全く同じ人間であったと。
まあ、よくよく考えれば父の子であるわけで、父の遺伝子を受け継いでいるのですから、似てしまうのは仕方ないこと。
もうこれはどうしようもないことなんだと思うことにしました。
そうすると、見えてくるのは父の晩年の姿です。
たぶん50代の頃は会社でもあまり仕事がなかったのでしょう。
定年後は最初こそあちこち旅行に出かけていましたが、その後は毎日酒浸りの日々。
早い段階で肝硬変になって、糖尿病も患って、医者から何度怒られようとも酒を離さなかった。
アルコール依存症は「否認の病気」ですから、自分がアルコール依存だなんて死ぬまで認めなかったですね。
私もこれから先、そんな晩年を送るのだろうか・・・・・
たぶん、今の私のまま行けば、楽しみもなく酒に走ってしまうような日々になってしまうのかもしれません。
さて、生き写しの私はどのように生きようか・・・・・
そんなことを今から悶々と考えている自分がいます。
人生を考えるとき、自分の人生に深くかかわっているのは、実は自分の両親だったりします。
もう、両親と深く関わるような年齢ではなくなっているのに、いろんなところに両親の影響が見え隠れします。
血は争えないってこう言うことを言うんでしょうね・・・・・・
↓ここにも人間模様があります。