ラジオの深夜放送を聞いていたのは、中学生の頃からですね。
その頃、絶大な人気のあった番組がオールナイトニッポン。
一応、受験勉強をしながら聞いているんですけど、勉強に身が入るわけがない(笑)
深夜というのは親が寝てしまい、自分だけの時間なんです。
家族の中で暮らしていて、そんな時間があることはとても貴重でした。
オールナイトニッポン(第一部)は深夜1時から3時までですから、当然、翌日は寝不足です。
学校で居眠りして授業は聞いてなかったけど、ラジオは欠かさず聞いてました(笑)
オールナイトニッポンは今も続いてますけど、私の聞いていたのは1980年代。
土曜の笑福亭鶴光のエロネタは、翌週学校で必ずネタにしてました(笑)
木曜のビートたけしのマシンガンのようなトークにはしびれましたね。
なんであんな面白いことを話せるんだろうと感心しながら聞いてました。
もちろん、ネタハガキも送ったんですけど、プロのような「ハガキ職人」のネタには全く歯が立ちませんでした(笑)
あの頃のパーソナリティで、いまだに語り継がれるのは、月曜の中島みゆきですかね。
当時からヒット曲を連発してましたが、曲調が暗いのに、おしゃべりがバカ騒ぎのように明るい。
あの頃、テレビには出ませんでしたので、どっちが本物の中島みゆきなの?ってみんな思っていました。
番組はリスナーからのハガキを中心に進んでいくんですけど、今、そういう番組はないですね。
ハガキって、あの限られた枠の中に手で一文字ずつ書いていくから、みんな考え抜いて書いているんです。
メールだといくらでも書けるし、ボタン一つで相手に届くから、軽い気持ちで書けるし、内容も相対的に軽くなる。
ハガキは言葉を選んでしたためて、意を決してポストまで行って投函しているはずなんです。
番組でもおしゃべりも軽いように聞こえるけど、その放送が絶大な影響力を持っているから、話し手もかなり考え抜いて話していたと思うんです。
今はいくらでも情報発信手段があって、番組自体が軽くなっているように思いますが、あの頃は深夜と言えばラジオくらいしかなく、若者がかじりつくように聞いていました。
だから、投稿する方も話す方も、その言葉ひとつひとつが重かったですね。
笑いもあり、じーんとする場面もあり、パーソナリティの語りが一つの文化でした。
それだけに今でも心に残る番組が多いのだと思います。
ちなみに中島みゆきのオールナイトニッポンの最終回は、1987年3月31日。
中島みゆきの最後の言葉は、「こんばんは、中島みゆきです」というものであり、いったいどういう意味なのかと今でも謎めいています。
私も聞いていましたが、この日の放送終了を待って、有楽町のニッポン放送に集まったファンは1千人だったと言われています。
今、ラジオでそんな影響力のある番組はないですね。
私といえば、浪人してからエリザベスに行き、ショップで買ったセーラー服を着て深夜に勉強してました(笑)
あ、あの頃、文化放送で同じ時間帯に旺文社の大学受験ラジオ講座を聞いてたんですけど、だいたい途中でオールナイトニッポンに切り替えちゃってました。
親にばれないようにセーラー服着て、オールナイトニッポンを聞いてましたから、笑いをかみ殺すのに必死でしたよ(笑)
そんな意味でも、思い出深い番組です(笑)
↓みなさんおしゃべりも一流です。