伊東のスーパーナガヤ
で偶然見つけて買ってみましたが、
この→紅茶!
香りも良くて、美味しいです♪
先日は、水戸から東京に行き、東京から新幹線で三島まで行ったが、快速アクティーというのも熱海まで行っていて、次はそれに乗ってみようと思っておる。
その熱海→三島間で、このようなことが起きたと言うから、函南通過中に起きたことになる。
運転手が腹でも痛くなったのだろうと想像つくが、新幹線というのは自動運転で運転手がいなくても大丈夫なのだろう♪
もし、大丈夫でないようだったら、運転手も人間なので、運転手がクソしりたくなった時も安全に走行できる手段を整えておいた方が良いと言うことになる。
沼津宿こと沼津市に逗留したら、行ってみたいのが、地元民からは「港湾」といわれ親しまれている魚河岸、沼津港。
沼津港界隈は、魚の競りが行われる魚市場を中心に、美味しい海鮮料理のお店がどっさり!週末ともなると東京等、関東方面からもたくさん食べに訪れます。
その中でも、全国的に有名な老舗のお寿司屋さんが、「双葉寿司」。とってもおいしいです!是非、召し上がってみてください。
寿司屋☆
江戸時代から、豊かな魚、そして東海道の宿場町として栄えた沼津ですが、明治時代には東京の避暑地、別荘地となり、多くの文人墨客が逗留したり、天皇家の別荘、御用邸が設けられたりし、観光で賑わいました。戦後になると、多くの製造業の工場や支店が設けられ、工業の街としても発展し、沼津駅を中心とする商店街が、静岡県東部伊豆の物販のほとんどを担い、商業の街としても大いに栄え、沼津駅界隈は連日人波が絶えない状態でした。ところが、物販に関しては、チェーンストアの食品スーパーや衣料品チェーン、ホームセンター等に徐々に客を奪われ、他の地方都市駅前商店街と同様に「シャッター通り」になってしまいました。時代の流れで、
「それではあなたはスーパーではなく、駅前商店街に夕飯の食品を買いに行きますか?」
と聞かれれば、
「行きません!」
が正直な答えです。駅前商店街の物販独占が崩れた結果の変化です。
その沼津の商店街に最後のトドメを刺し、息の根を止めたのが、三井不動産が経営する”ららぽーと”の沼津進出です。このららぽーと進出に当たり、沼津では当然、反対運動が巻きりました。当然、時の現職沼津市長も反対にまわり、市長選でも”ららぽーとに反対”ということで選挙戦を戦い勝利し再選したのですが、どういうわけか当選したらきびすを返したように”ららぽーと賛成”にまわり、ららぽーと沼津進出が決定しました。そして、その後、市長の任期中に突然倒れ、亡くなってしまいました。これらすべてが三井裏組織の手中で行われたことは誰もが思っていることです。
駅前も寂れ、人口も減っている沼津ですが、沼津港だけは残りました。静岡県のお隣、山梨県の清里なども、バブルの時代は、ペンション等の観光で栄えましたが、バブル崩壊と共にゴーストタウンになり、牧場だけが元気に残りました。
日本全体が工業やサービス業の発展に目を奪われ、うち捨てられた農業、漁業が、日本経済が少子高齢化、じり貧下降になった今、地道に生き残っているという事実がございます。
今後、どのような日本になっていきますでしょうか?
水戸黄門の主題歌です♪
霞に雪に そびえる富士
仰げば深い 松の緑よ
香貫の空は 高く晴れて
桜は匂い 紅葉は照る
堤に丘に 草ふむ時
望めば広い 海と世界よ
狩野の流れ いつも清く
勇気をたたえ 今こそ立て
東海道中うにくらげ☆世直しグルメ旅の起点は、隠居の別荘、香貫山荘のある、東海道五十三次の12番目の宿場である沼津宿、沼津市からスタート!
沼津宿は、現在の静岡県沼津市大手町周辺にあった。本陣3、脇本陣1、旅篭屋55、総戸数1234を数えた。
旅の初めは、とんかつ弥次喜多から☆
弥次喜多は昔は沼津魚河岸、沼津港にありました。日本でまだ肉を食べる人が少なかった頃、漁港のある沼津では新鮮なお魚を食べて生活していました。特に魚河岸では魚ばかり食べていて、その中にぽつんと一軒とんかつ屋さんがあり、大人気でした。そのお店が、弥次喜多!でした。当時は、お皿の上にてんこ盛りに盛った千切りキャベツとボリューム満点のとんかつが弥次喜多のシンボル、名物でした。
今では、とんかつばかりではなく、漁港の近くということもあり、特大エビフライやお刺身で食べられる鮮度のアジをフライにしたアジフライなども大人気です♪