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騰奔静想~司法書士とくたけさとこの「つれづれ日記」

大阪の柏原市で司法書士をやってる徳武聡子といいます。
仕事のかたわら、あっちこっち走り回ったり、もの思いにふけったり。
いろいろお伝えしていきます。

読者になって下さった皆さま、超不定期更新で申し訳ありませんでした。

正面切ってブログを書こうとすると、どうしても構えてしまってかけないという状況が続き、本当はいろいろお伝えしたかったこともできずじまいでした。

しばし、連ツイまとめなどを掲載していこうと思いますので、今後ともよろしくおつきあい下さいましたら幸甚です。

どうぞよろしくお願いいたします。
 在日外国人は生活保護法に基づく権利があるかどうかについて、18日、最高裁の判決がありました。判決の内容については、既に報道されています。

【毎日新聞】永住外国人は生活保護法の対象外 最高裁、二審を破棄

判決全文はこちらに掲載されています。
荻上チキ・Session-22資料「永住外国人生活保護訴訟 最高裁判決」判決文(全文掲載)

 しかし、マスコミも混乱しているのか、わかっていないのか、五大紙であっても以下のような報道も見られます。

【日本経済新聞】永住外国人の生活保護認めず 最高裁が初判断
【読売新聞】生活保護外国人は対象外 中国籍女性が逆転敗訴

 これらの報道 ↑↑ は、タイトルだけを見れば、最高裁が永住外国人に対する生活保護を一切排除する判断を下したかのようです。実際に、一部の人たちの間では、そのように受け止められています。

 しかし、今回の最高裁判決は、「生活保護の対象外」という判断を下しましたが、「生活保護の対象外」とはしていません。
 在日外国人への生活保護が違法・違憲であるとか、今後在日外国人には生活保護を認めないなどというように、在日外国人への生活保護そのものを否定されたということでは、ないのです。

 最高裁判決に対し評価を下せるほどの識見は私にはないので控えますが、そのあたりを少しだけ解説したいと思います。

 今の生活保護法には国籍条項があり、生活保護法の対象は日本国民となっています。
 第2条 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。

 しかし、日本国内に在住する一定範囲の外国人については、昭和29年に厚生省が通知を出し、「当分の間、生活に困窮する外国人に対しては一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱いに準じて…必要と認める保護を行う」として、生活保護法による保護ではなく、これに「準じる」取扱いとするとしています。
 これにより在日外国人に対しても、行政上の措置として、日本人と同様の生活保護を行うことになりました。平成2年の厚生省の口答指示により、現在では、永住者とその配偶者等、日本人の配偶者等、定住者、特別永住者、難民認定を受けた者に限定されています。

 実際に、国籍が日本でないことで、ことさらに日本人と差異をもうけられたり、支給されるべきものが支給されなかったりと言うことはありません。私も何回か申請同行していますが、申請書の様式や調査や申請者に対する扱い、保護費の金額が国籍が日本かどうかによって異なるといったようなことはありません。

 しかし、生活保護法に基づく適用ではなく、通知という行政措置によるため、「権利ではないので不服申立はできない」とされています。どうして、権利ではないからという理由で不服申立が許されないのか、そこは学者でもない私には理解できないのですが…。ともあれ、そういうことになっており、ここに日本人かそうでないかで、大きな違いが生じています。

 在日外国人に対する生活保護は、厚生省の一片の通知の上に成り立っているにすぎませんから、行政(厚労省)の意向に左右されやすく、さらに不服申立ができないとあっては不安定なことこの上ありません。早急に、生活保護法の国籍条項を撤廃して、日本国籍を持たなくても、法の適用対象とすべきと考えます。

 生活保護法以外の社会保障制度では、既に国籍条項は撤廃されています。これは、日本が昭和54年に国際人権規約批准、昭和57年に難民条約に批准したことによります。国民健康保険や国民年金は、「国民」の文字が含まれますが、その対象は日本国民だけではありません。
 本当なら、このときに生活保護法も改正して国籍条項を撤廃すべきでした。難民条約等から求められている国籍条項の撤廃は、公的扶助であるかどうかを問いません。生活保護だけ国政条項を残してもかまわないということには、なっていないのです。

 それなのに、どうして、当時生活保護法の国籍条項は撤廃されなかったのか。

 当時の国会審議では、既に昭和29年の通知により在日外国人には生活保護において日本人と同様の待遇がされているので、国籍条項を撤廃しなくても問題ない、と繰り返し厚生省による答弁がされています。事実上、国籍条項がないも同然なのでわざわざ法改正までしなくても、ということだったのでしょう。
 重要なのは、国として、在日外国人を排除し「生活保護は日本人に限るべき」という積極的な意図の下に、国籍条項を残したということではない、ということです。

 厚生省通知による在日外国人の生活保護利用については、今回の最高裁判決でも肯定されています。

(判決引用)
以上によれば、外国人は、行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護の対象となり得るにとどまり、生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく、同法に基づく受給権を有しないものというべきである。


 端的に言えば、最高裁判決は「今までと変わりなし」を宣言したということです。
 
 繰り返しですが、「生活保護法による受給権を有しない」ということが、生活保護の利用から在日外国人を排除することにはなりません。法の対象外=違法だ!とんでもない!という解釈になりがちですが、そこまで一直線につながるものでもありません。

 冷静な対応が求められます。
 あちこちで「女性の活躍」という言葉を耳にすることが多くなりました。
 少子高齢化による労働力不足を解消し、経済を成長させるためには、女性の活躍が重要なのだそうです。
 東京都などは、女性の活躍推進に取り組む中小企業に補助金を出すとしています。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/BOSHU/2014/05/22o5t400.htm
 
 私は、どうも、この「女性の活躍」という表現に違和感がぬぐいきれません。

 ---女性は「活躍」しなければならないのでしょうか。
 ---「活躍」と評されるくらい、頑張らないといけないのでしょうか。

 広辞苑
 【活躍】めざましく活動すること。大いに手腕を振るうこと


 女性の労働や家事、育児、介護などが正当に評価されることは必要だと思います。
 家庭の中に押し込められることもなく、「女だから」という理由で補助的立場に立たされることもなく、下に見られることもない、そういう地位の向上も必要でしょう。
 しかし、それは、「まともに評価して欲しい」「普通に働けるようにして欲しい」ということであって、「活躍したい」ということとは違うのではないでしょうか。

 女性の活躍についての、国の政策はこれが基本だと思いますので、中身を見てみましょう。
我が国の若者・女性の活躍推進のための提言の概要(内閣府)

女性の活躍促進に向けた施策

 この提言で主に想定されているのは、正社員で働いている女性や起業しようとする女性です。ある程度の技能や能力を持ち、自力で努力することができる方たちですね。
 ここには、パートなどの非正規しか就職先がない女性は存在していないかのようです。

 付け足しのように、待機児童解消や母子家庭への就労支援なども盛り込まれていますが、保育所に子どもを預けられなくて働くこともできない女性、一人で子育てしながら仕事を探すシングルマザーなど、「働く」という段階に至るまでにハードルを抱えている女性への、丁寧な支援策があるようにはみえません。「ハコ(保育所)や就労支援を用意したんだから、あとは自助努力で輝いて下さい。働いて活躍して下さいね」と言わんばかりです。

 百歩譲って、ばりばり働く女性を応援するという施策だとしても、職場のセクシュアルハラスメントや賃金格差については、提言の中に触れられてもいません。
 
 その程度の内容で、女性の活躍を求められても、私たちはどうすればいいのでしょう。

 そもそも、女性は活躍しないと認められないのですか?
 普通に頑張るのでは駄目なんですか。それすらまともに評価されていないのに。

 女性が直面する数々の問題の解決を図ることなく、いきなり「活躍」「活躍」と持ち上げられても、それが本当にこの国の男女格差を無くそうとしているようには思えません。
 頑張って頑張って男性並みに活躍する女性、しかも「働くこと」で活躍する女性なら応援してあげますよと言われているようで、普通に頑張っていたり、頑張ろうと思っていてもそれができなかったりする人たちは、結局、置いてけぼりにされているようです。

 この国が、本当に女性を応援しているようには見えないですし、「女性の活躍推進」というお題目だけが広がっていることに、気持ち悪いくらいの違和感を感じています。

 それはきっと、政治家が、「女性」というものを、自分たちの好き勝手に動かしたり評価を下したりする対象としてしか捉えていないことへの憤りでもあるのでしょう。