ryo141のブログ

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田舎の徳島から田舎者くさい田舎blog書きます。

フットサルから家族ネタあり。言いたいこと隠すタイプじゃないんでご了承を。笑

自分の記録にしていければと。

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なんでも基礎・基本が大事だよね。

子供にいま習わせてるのは、公文と水泳。


公文は、言葉数や数字の知識、文字数書き、勉強の入り口を早く経験させるのが狙いかな。あとは集中力か。

少しずつやけど誘惑を断ち切ってやれるようになってるかな。TVや携帯を見る時間を減らさないかんよね。



プールは、一番に水慣れ。水の事故に合われたら困るもんね。

我が身を守ることにも繋がるし。

顔つけも二人ともすっかり様になってビートバンもってバタバタしてます。

他の子がやってる待ち時間に一人で練習してるのなんかみると成長したなと思う。


風呂での水かけるのが楽になったね。親が。笑



藍住のプールで世話になってます!



基礎が出来てないとなんでも上手くならないもんね。だから子供には色んな経験させてしっかり『初め』を大事にしたいと思うのでした。

ちゃんちゃん。


プール終わったらご飯の時間でよく動いたあとだから子供も腹ペコで。よく食べるのだ。

今日はどこでご飯にしよう。ヽ(・∀・)ノ




Android携帯からの投稿
16日に前のブログ書いて3日ぐらいとんでもない閲覧者の数でなんか申し訳ない。

言葉足らずのとこがあったり文章がおかしかったりするとこはめをつぶっていただければと。


さっきやけど外で寝そべって久しぶりに空の星を見ながらストレッチした。


部活してたころ以来かな。真っ暗なとこでするのは。

心が落ち着くというか静まるというか。自分がちっぽけな人間なんだなぁと。考え方やなんやらや…

俺ってしょうもない。

気持ち入れ直していまから頑張ろうと。

1日1日精一杯しないとな。







Android携帯からの投稿
平成25年11月15日3時15分

曽川隆浩(そがわ たかひろ)

27歳 旅立っていきました。


彼との過ごした日々はいつまでも僕の心の中にあることでしょう。

追悼の想いを込めて彼と自分の歴史を綴っておこうと思います。


家は、走れば1分ぐらいの近所。(もっと近い人いるけどまあ近い)、でありながら保育所・幼稚園が違うかったため小学校までは面識なかったのかな。

小学校は入学から同じクラス、考えてみると6年間同じクラスだったか。


彼は従兄弟の影響だったのか一年生からサッカー少年団に入ってサッカーしてました。

僕は二年生から始めたんでそこから家族ぐるみの付き合いになりました。

中学も高校も同じ。もちろんサッカーもずっと同じチーム。

いままで何試合同じピッチに立っただろう!?100は軽くいく。1000以上だろうな。苦しみも喜びもたくさん一緒に味わった。



林崎小学校、鳴門第二中学校、鳴門高校。自分らの年代と一つ上の年代は、徳島県内では強豪チームで。

いくつのメダルとったかな。それこそトロフィー倉庫作れるよね。

小学校はニシマタ杯と天野杯で県優勝。




フットサルやけど写真のバーモンドカップでは全国にも出た。


中学校では、ナイキカップから始まり新人戦もとり




写真は総体で四国優勝して全国出場時のもの。

この時は負けたこと探すのが難しいぐらい勝った。

全国色んなとこ行くのは、当たり前でこの時は

オランダ・ドイツ・ベルギーの海外遠征までしちゃって。


高校では新人戦ぐらいかな。先輩には連れてってもらったけど…

その先輩の一人である井上さんが選手権出場時のユニフォームに名前入れて作ったこれ。







葬式終わった晩に渡したてきました。

祭壇の写真の横に置いとくわと言ってくれました。2日ともこれなくて焼香出来なかったもんは家になんぼでも来てくれよと言うてくれてます。

話もどして

高校のときは


おんなじポジションになってライバルになることもあったね。

自分の中では、3年のときのプリンスリーグの愛媛FC戦での曽川の折り返しを左足で決めたのがベストゴールじゃないかと思う。

あれは気持ちよかった。思わず抱き合ったよね。

サッカー語りだしたら終わりがみえんしはしょろう。


小学校の時はほんといつも一緒で、修学旅行でもなんでも写真取ったら一緒に写ってた。


小学校から登下校も毎日ではないけど一緒で、もちろんサッカーしてるから余計一緒で。

「バイバイまたあした」となにげなくかわすやりとりが昨日のようによみがえってきます。
何回しただろうな。中学でも高校でも。

彼の家族は「たかひろ」って呼ぶんだけど、僕はずっと「そがわ」でした。大人になっても。彼は「りょう」ってずっと呼んでたけど。 僕は滑舌が悪いから4文字が言いづらかったんよね。ということにしとこう。笑


中学校ぐらいから曽川は少し派手というか目立つというか、そんなことを好むようになった気がするな。

溝が出来たりしたわけじゃないけど、高校の時も少し。距離感じることもあったりしたけど、なんだかんだずっとおる仲で。

ウイイレとかサカつくとかサッカーゲームもよくしたプライムゴールとかキャプテン翼とかのゲームからよくやった。

先輩と麻雀するようにちょこちょこなりの、

桂家でノリさんと井上さんと川西さんとたまにタクトや八田さん。隣で勉強してる光平さんがちょこっとやってきてノリさんをいじめるのが恒例で。笑

高校卒業しても時間が合えば集合かかってたなぁ。明け方のガストなんてもう何年行ってないかな。懐かしい。


彼は京都の調理の専門学校に進み、自分は東京の大学に。なかなか会えなくなったけどネットワークは途絶えることなく。

高校まではうどんとか「うどん家」とか言われるんは好きではなかったんたろうなと。皆からネタにされることもあったし。

それがどうだったかはしらないけど専門学校もなに専攻してた!?

研修で東京のレストランに出向くことがあってうちのアパートで何泊したかな。1週間ぐらいか。あれもいい思い出。バイトしてたフットサル場でフットサル参戦して徳島の田舎者でもちっとはやるんやぞって魅せたったな!

この時はイタリアンだったかな!?うどんなんてみたいな考えやったのに、いつのまにか「うどん そがわ 」の厨房に白い服着てしっかりこなしとった。

なんか今思えば自分よりよっぽど大人らしくてかっこよく見えた。色んな決意もしてたたろうから。





うどん そがわのwebサイト。

http://kaminariudon.com

すぐには難しいだろうけどまた開けてくれるはずかみなりうどん食べたい。


待ってます!


今日も号泣したけど、これも泣きながらわんわん書くかなと思ってたけど楽しかったいい思い出がありすぎて楽しくなってる。もっともっと綴りたいと言う気持ちで。


自分が結婚して会う機会も減り、でもフットサルで自分の作ったチームに誘って「斎田」でも蹴った。サッカーメインやったしなかなか振り向いてくれんかったなぁ。

まぁそんななかでも年末年始の蹴り収めや初蹴りでボール蹴る場ではよく会ってたかな。

でそのうちかなこちゃんと結婚して。結婚式行って会うまではかなこちゃんは噂というか聞く話しか知らんかって。

曽川の地元のツレや全く知らんかっただろうけど上手く対応するしきちっとした子でちょっと曽川にはもったいないなぁいうイメージだったなぁ。

店の近くの松茂アパートに暮らし始めて、またそのアパートが僕が手掛けたというかまぁなんというかした場所やってそれも嬉しくて感慨ぶかかった。


芽生が産まれた時、一番に祝いにRODYのタオルくれて。いまでも使ってるよ。

(あれっ來愛の時なんかあげたか!?記憶が…)

鳴門病院で出産したこともあって、うちの嫁とも関わって。うん。産まれたその日に仕事抜け出して見に行って誇らしげなたかひろがおったん思い出した。


來愛(くれあ)はうちの芽生に負けず劣らず可愛いわ。そこは譲らない。笑

なんて二人の会話でもよくしてたな。嫁に行く時どうする!?とかね。まだ歩いてもないときに。笑

お互い親バカは一緒やった。



かなこちゃんへはどう書いたらいいかわからんけど、自分が言うまでもないだろうけど


頑張りすぎない過ぎないように。無理しないように。

家族だけでなく、入院中も昨日も今日もたくさんの人が来たように皆がサポートしてくれるだろうから。

おっちゃんの「くれあ嫁にいかすまではがんばらなぁ」って言葉にもうね。

壊れた涙腺がもうぐちゃぐちゃ。

家族のありがたみ大切さも再認識させてもらった。

人間一人じゃないよね。一人では生きられないというか。


るみこもゆかも小さいイメージのままでおったのにいつのまにか大人になって、

ゆかなんてロードレースでダントツで優勝してたイメージが強すぎて。笑
なんかラパスのマネで会ったときかいやローソンで先あったか奇妙に思えたもんね。


最後に一緒に写った写真かな。偶然集まった機会がこうも後々意味あることになるとは。




去年の9月にフットサルの全日本大会の徳島県予選に出た写真。自分の横に曽川がいる。

あんまり普段ボール蹴ってない輩集めて即席チーム作ったんよね。

曽川も店があってフル参戦出来ずやったけど
これがちゃんとした試合でおんなじピッチに立った最後かな。

チーム名は「TAMANIHA」たまには。

たまにはボール蹴ろうぜっていう呼び掛けやったのをチーム名にしてみた。そこからまた集めて出ようとか話てたけどそれっきりになってた。今年のこの大会の前に病に犯されるとは思ってもなかったから。

たまにはけろうよ。ってまた集まって言いたかったよ。


意識がなくなってしまってからは何回も会いにいったけどもちろん信じれなくて起き上がって返事しないことに怒りを覚えそうにもなったり。

2月に自分が入院してたときにはまっさきに来てサッカーの本持ってきてくれてはよ元気になれよとまたボール蹴ろうぜって言うていったのに。

わがが入院したときはこうだもん。

自分の無力さを痛感した。でもほんと頑張った。辛かっただろうに。


最後に

まだまだ書き足りないぐらいやけど順番も、めちゃくちゃやけど。


もう涙も枯れて出ないくらい泣かせてもらった。

たかひろ自身もみんなが悲しんでしょげてやっていくことを望んでないだろうし

顔上げていくよ。ボール蹴ることは一生止めない。お前が好きだったサッカーを。

皆から好かれたやつだった。それじゃないとあんないっぱいの人がかけつけないもんね。

たくさんのことを与えてくれた君に感謝です。

ホントにお疲れ様。楽しかった。ほんと楽しかった。

ゆっくり休んでな。




石井 龍