さて、だいぶ感覚が空いてしまいました。

ちょっとジムや仕事で忙しくて笑


えーと2回目のシャバにでたとこですね。

では始めます。


出院の際僕の気持ちは、昂ることはなく、至って平常心。

慣れたものです。

そうして、家に戻った僕はすぐには親や兄弟の監視もあるので当分、姉の家に預けられました。

そこでは一切遊ぶことは許されず、ひたすらに職場を探すことに専念させられました。

そうこうしてても、現場などは続かず月日はながれ、ようやく実家に戻り、そこから次男が働いている鍋専門のお店にアルバイトとして、雇って頂きました。


ここで次男を紹介しておきましょうか。

次男は僕と正確にはわからないですが、7.8個くらい上の兄貴で、長男が虐待するくらいのイかれたやつでしたが、次男は真逆で小学生4年生の時担任に体罰を受け泣きながら家に帰ると、次男はその僕を見て何も言わずにただバットを持って、僕をチャリンコの荷台に乗せて黙って小学校へと向かいました。そのまま次男は職員室へと乗り込むと、バットを振り回しながら「校長だせ!!」と語気鋭く言い放ち、教頭が飛んできてそのまま校長室へと案内されました。

僕はまだ子供だったので、なんの話をしているのかわからないし、呆気に取られていたので状況を理解できませんでした。

そうこうしていると、担任が呼び出され、いきなり僕に土下座してきたのです。

僕は本当に困惑したままその場を去りましたが、その後担任の態度は急変して、校庭で野球をしていて僕の軟式ボールがなくなって探していると、担任が走ってきてそのまま車に乗せて、スポーツショップに行き新品のボールを1ダース買ってくれるほどまでに、従順な者になったのです。

そして中学の時には、携帯が欲しくてたまりませんでしかが、貧困家庭だったので諦めていました。

しかし、13歳の誕生日に次男がプレゼントしてくれたのです。その時は泣いて喜んだのを今でも思いだします。

しかしその一年後には、15万使ってへし折られますがww


まぁそれが次男です。

本当に兄貴としては、すごくできた人間でしっかりヤンキーもやりながら、高校も我が家で唯一卒業しているほどしっかりとしたものです。


話がそれましたが、面倒見がいい次男ですので、仕事でも尊敬に値する力を有しており、キッチンで一緒に働いていくこととなります。


その傍ら、僕はまた友達と連むようになり、この頃には僕が知らないやつはみんな怖く無いというほどに、知り合いが増え、駅前や駅裏によく屯していて、目が3秒合ったら喧嘩を売るという自分ルールを設け、本当にタチの悪い不良でした。

その中で段々と後輩達も中学を卒業している為、僕は同級生とはいつも一緒にいた藤森以外、あまり連んでいませんでした。

後輩がどんどん膨れていく中、僕はある計画を実行していきます。

まず、としきという二個下の後輩を筆頭に、徐々に後輩の枝を広げ、犯罪集団を構築していきました。

結果的にその犯罪集団は、30人程になり、具体的に何をしていたかというと、高校生相手に恐喝を行いひったくりなどをするといった、金銭略奪を主の目的として動いていました。


もちろんチーム名もありました。

それが「ピエロの宴」というチーム名でした。

この名前の由来は、近しい周りから僕はピエロというあだ名がありました。

ピエロとは道化師であり、その表情はいつも薄ら笑いをして、他人を騙す。

そんな印象から、それはまさに僕だということでピエロになりました。

そこに集まりという言葉をカッコよくして、宴と命名したのです。

このチーム名をつけてから、結束力は高まり、集金力も上がって、僕は何もせず日平均5万円を手にするというシステムを作りました。

そのシステムとは至って単純で、日に五万を集めるというノルマをその30人程の後輩に課したのですが、それを直接言っても働いていないガキの頃の五万円は、かなり高額です。

なので僕は、1人2,000円ずつ集まれば良いんだとポジティブに捉えさせ、その方法は犯罪をするのもよし、親に借りるのもよし、手段は選ばないと告げました。

そうすると不思議なことに、自然と2,000円を簡単に集められる30人の内の数人が、監視役となってくれ、相互監視をするという状況になり、黙っててもお金が集まるという想像以上の成果を収めてくれました。


このように僕は犯罪者として、最初はゴリゴリの実行犯だったのが計画犯へと成長したのです。


後輩達に具体的に何をさせていたかというと、簡単な所からゆうと、手当たり次第に恐喝させたり、パチンコ屋で出ている客に目星をつけ、帰りにひったくりをさせたりなど、今考えると稚拙な事をさせていました。

中でも1番卑劣なのが、福山市には神島橋という大きい芦田川という河川に架かる橋があるのですが、そこは、近畿大学附属高校の生徒の通学路となっています。

近大附属は私立です。

私立ということで勝手にお金持ちだと判断した僕はそこに後輩達を待ち伏せさせ、神島橋のちょうど下り坂になるところで、自転車に乗って勢いよく下ってくる彼等に、いきなりラリアットをお見舞いし、その後「金を出せ」と凄みを効かせて金銭を要求するという半ば強盗をさせていました。

この方法は僕の中で恐喝の進化版で、恐喝の場合、後輩達ではヤンキーとしては貧弱に見える者も目立ってしまい、舐められて、中々成功率は低いです。

ですがこのいきなりの出来事を利用することで、痛みと恐怖で相手を支配することができ、成功率はほぼ100%でした。

こんなことをしていれば、最終的に福山市のほぼ全ての高校にピエロの宴の名前は広まり、当時デコログというSNSがあったのですが、僕のフォロワーは福山市の人だけで1,000を超えていました。

それくらい有名な犯罪集団となったのです。


しかし後輩達を動かすには、僕の威厳も見せつけなければなりません。

僕自身も考案した犯罪は全て実践してみせ、それからやらせるを心がけ、できるようになるまで見届け、やり返されそうになれば僕が出張るなどをして、いわゆる教育をしていました。

更に喧嘩を売られれば、決して後輩にいかすのではなく、必ず先陣を切って僕が向かっていきました。

後輩も頭が悪いので、誰彼構わず恐喝をしかけるので、身長差、体重差がかなりあっても、内心びびりながらも、立ち向かい、辛うじて勝利を納め、威厳を保っていました。


1番面白い話で言うと、ちょうど18歳の10月頃、谷本という城北中学校時代の同級生が、僕に「ヤンキーになりたいからヤンキーにしてくれ」と珍しいお願いをされました。

僕は心はパシリが増えるなら、別にいいかとヤンキーにする気など毛頭もありませんでした。

なぜならヤンキーとは、社会とシステムは同じで、ましてや18歳にもなると、一朝一夕ではなれません。

僕自身、先輩に名前を売ることから始まり、パシリを経て、喧嘩や犯罪に明け暮れ、更生施設に入り箔をつけるなどある程度下積みと計算をして、ヤンキーになれたのですから。


そんなこんなでまず谷本に対して「ヤンキーになるなら高校を辞めろ」と遊び半分で命令しました。

当時谷本は、岡山にある龍谷高校に通っていました。

それももう三年生の冬です。

あと少しすれば卒業で、そんな中辞めれるはずがないと思っていました。

しかし1週間くらいして、谷本は退学してきたのです。

僕は正直、こんな馬鹿はみたことがないとしめしめと思いました。


そして谷本の地獄は、ここからスタートします。

まず徹底的なパシリで、少しのミスでも殴り倒して、毎日ボコボコにしていたのを思い出します。


そんな中、谷本は事件を引き起こします。

その事件とは、二個下の女の子にレイプ未遂をしたと被害者本人からタレコミがあったのです。

当時僕からすれば、正義感などあるはずもなく、ただ単純に、谷本をボコボコにするという弱い者いじめが楽しいだけなので、大した興味も湧かず谷本を呼び出しました。

ですがその事を問い詰めた時、谷本は「それがどうかした?」的な感じで、開き直ったのです。

その返した一言で、僕の怒りのやる気スイッチはONとなり、その場でボコボコにし、まだ物足りないので芦田川河川敷に場所を移動し、人目のない所で本当に半殺しにしました。

というのも、僕は谷本が素直に謝ってくると踏んでいたのですが、その時初めて僕に反旗を翻し、僕の「殺してやろうか?」の問いに対して「殺されたいです。」と挑発した顔で言ってきたのです。

だから僕は、顔面を中心にアッパー、ストレート、フックのコンビネーションを何度も叩き込み、地面のコンクリートは正に血溜まりができるくらいの殺害現場のような有様になりました。誇張なしで。

そして僕は本気で殺そうと思っていたので、そんなことはお構いなしに殴り続けました。

周りの後輩や藤森も僕の本気に気圧され、止める事さえもできない唖然の表情をして、見ていました。

そして谷本は先程まで僕に「殺されたいです。」と挑発してきていましたが、本当に殺されると理解したのでしょう。

本気で「殺さないで下さい!!」と、その時は絶叫していました。

そして僕は提案しました。

「このまま殴り殺されたいか、自分で高架から飛び降りるか選べ!」と。

その頃には谷本の顔は、正にアンパンマンのようにパンパンに膨れ上がり、ほぼ死にかけでした。

芦田川には電車が通る為の高架が通っていました。

谷本はこの殴られる地獄から逃れる為に、躊躇なく高架に上がっていきました。

そして上がって若干の躊躇いを見せつつ、高架の上に立ちすくんでいました。

その頃には、後輩や藤森もやばいと察知し、僕を宥めていましたが、僕の怒りは収まることはなく、そのまま飛ぼうとしたその時!

間一髪、藤森の制止が間に合いました。

それが無ければ今僕は、間違いなく殺人犯になっていたとおもいます。

それを見て、僕も興醒めし、その事件は終了しました。


それから谷本は、僕から飛ぶのを繰り返しそれでも何度も捕まえ、酷使し続けました。


そして、僕が3度目の審判を受けるはめになる事件が起きます。

当時、合法ハーブが横行し、僕らもガスなどそれまでにやっていたので、先輩からハーブを教わった時それほど抵抗がなく、ガスより効果時間が長いことによりよく嗜んでいました。

その効果は本当にピンキリで、3〜5gで5,000円で、アッパー系、ダウン系、お出かけ前などカテゴリで分かれていて、1番すごいのがアッパー系で当たりがえげつないのだと、本当に吸って数分経つと目の前がグニャグニャになり、立っていれず、外でそのまま昏倒するなどあり、退屈していた僕らには1番のトレンドでした。

しかしそれが福山ではヤクザの絡みで売っている所がなく、岡山のアダルトショップに買いにいくことでしか手に入らない物でした。


そこである日、谷本に対して窃盗した原付を当てがい、買いに行ってこいと命令しました。

僕らは谷本が帰ってくる間、福山駅裏の当時城北中学校のホームだった美術館周りの広場でたむろして待っていました。

そこは深夜をすぎると当時街灯が全て消え、本当にチャリの電気をつけなければ、前もろくに見れない程で、警察にバレない場所としては最適でした。


そうして2時間半程で、谷本が戻ってきました。

しかし法定速度を守り行っていた為、店が閉まっていたというのです。

あまりの使えなさにまたボコボコにするのですが、そこで後輩の話が頭をよぎりました。

というのも、これから後輩の友達がピエロの宴に加入したいとやってくるとの話です。

そこで思いついたのは、谷本はひょろひょろで名前も売れていないパシリです。

しかし先輩なのも事実。

なので、これからくる後輩の友達に対し、敬語を使われないや舐めた態度をとられたらソイツとタイマンをさせよう。

そういう計画で、谷本にその計画を話し、了承しました。


それから10分程でしょうか、何か口論の声が闇の中から聞こえるのです。

前述した通り、明かりがない為数メートル先すら見えない状況なので、声しか聞こえません。

しかもその声の主の1人は何やら谷本なのです。

「お前舐めてんじゃねえぞ!」と谷本の貧弱な声が聞こえ、そこで後輩の友達がきたから闘ってんだなと理解し、近寄っていくと僕らは絶句しました。

なんと谷本と口論しているのは、酔っ払いの180cmくらいの体重100kgはあろうかくらいの3.40代くらいの大男でした。

さすがに僕らも18歳でも、低身長の集まりなので見ただけで、やばいと判断しました。

そこで一瞬谷本を引き剥がし、事情を聞きました。

そうするとなんと谷本は、あれが後輩の友達だと判断し、敬語を使ってこなかったので喧嘩を売ったというのです。

僕はコイツの馬鹿さを忘れていました。

そして後から分かったのですが、谷本は高架下のボコボコにした時に網膜剥離を患っており、目がほんとんど見えていないそうでした。

呆れてものも言えない状態ですが、その間も酔っている大男は谷本に怒り心頭で手のつけようもありませんでした。

しかし、僕も命令した人間としてケツは拭かねばなりません。

周りの藤森や後輩の手前、僕がビビるわけにはいかず立ち向かっていきました。

しかし喧嘩を幾度としてきた僕は、一瞬で敵わないと判断します。

そこで、汚いですが勝つには手段を選べないので、周りの6人くらいに喝を入れ、人海戦術をとり全員でボコボコにしました。

その際、あまり喧嘩をしたことがない後輩も中にはいたので、本気で殺すのではないかくらいに、倒れた大男にサッカーボールキックを何度も打ち込み、最終的にコンクリートに頭をバウンドさせるなど、して動けない程半殺しにしました。

改めて思いましたが、人は本性をむき出しにすればどんな人間でも人を殺める可能性はあるということです。

そんなこんなで、ついでに財布の3万をとりその場を後にしました。


そうして一月ほど月日が流れた頃でしょうか?

後輩達が続々と連絡が取れなくなっていきます。

そして最後僕も東署に呼び出され、取り調べをうけました。

大男のことです。

もう後輩達は捕まっていて、後は僕と藤森だけでした。

僕は取り調べには慣れているので、警察の嘘には完全無視でした。

例えば、「もうお前以外自白していて、お前のこともうたってるぞ」など。

うたうとは、警察にチクることを意味します。

警察は自供させる為に平気で嘘を言い、揺さぶりをかけてきます。

そして状況証拠、物的証拠をかかげて責め立ててきます。

しかし僕は慣れたもので、「お前のピアスが現場に落ちていた。DNA鑑定も済ませている。言い逃れできないぞ!」に対し、「そりゃあ落ちてるだろ?だって溜まり場だからな。他にも沢山あっておかしくねぇ。俺がやったという証拠にはならねぇ。」と悪知恵は天下一品でしたので、その場はやり過ごしました。

ですがその場だけで、関わった人間が次々に自供し、必然的に僕も状況証拠を固められ、芋蔓式に逮捕されました。

そうして東署に留置されることとなり、3度目の審判を迎えることとなりました。


次回 3度目の審判で衝撃の結果。

読んでいただきありがとうごさいました。

結構周りには好評なので、早めには書いていきます。